青い鳥

けしごム

第1話


メーテルリンクの『青い鳥』の本を初めて手にしたのは、確か、サチノが小学生の時だった。

そのときは、なんだかつまらない話だと思ってすぐに読むのをやめてしまった。

チルチル、ミチルという名前は可愛いなと思ったけれど。

サチノは、平凡な女の子だった。

友達は広くもなく狭くもなく、深くもなく浅くもないと言った感じであった。

外見は普通で、可愛いだの美人だのともてはやされるような経験をしたことはなかった。

得意なことと言えば、ピアノを弾くことと、勉強くらい。

ピアノはずば抜けてうまいと言うわけではなかったけれど、クラス合唱の伴奏をやれば、"上手いね"、とお世辞ではなくいろんな人から言われるくらいには上手かった。

でも、ピアノを弾くことがとても好きというわけではなかった。

親に"習わされている"と言った方が良い感じであった。

勉強は、クラスではいつも1番をとっていた。と言っても、勉強が特段好きと言うわけでもなかった。

ただ、母親がそれなりに教育熱心で、母親といつも一緒に勉強していたからテストでは良い点数がとれていた。

でも、良い点数をとって、クラスの友達から"頭いいね"、と言われたり、通知表の国語、算数、理科、社会の全てに5がついたりするのは素直に嬉しかった。

中学に上がっても、そんな風にサチノは生きていた。

さすがに勉強は一人でするようになっていたが、いつも定期テストでは1位をとっていた。

"サチノは頭が良い"というイメージがついていたから、勉強しなければ、という妙な義務感のようなものがあったからだった。

もっとも、当時のサチノはそのことには気づいていなかったが。

まわりの友達がオシャレや恋愛やカッコいいアイドルに目覚めるようになっても、サチノはそういうことには興味を示さなかった。

恋愛については、少し羨ましいとも思ったが、その他については全くといっていいほど関心がなかった。

中学のときになんとなく身に付いた考え方は、"可愛い人は有利"ということくらいだった。

可愛い可愛いとチヤホヤされる友達を羨ましく思うこともたまにあった。

でもサチノには、勉強とピアノがあったから、そこまで羨ましいとは思っていなかった。

"そういうの、楽しそう"、くらいの気持ちだった。

高校受験はなんなく成功して、少しは苦労したけれどまわりと比較すれば楽に合格した。

それなりの偏差値の高校に進学した。

まわりから、"すごいね"と輝いた目で言われるのは嬉しかったが、サチノはその高校に入りたいという熱い気持ちは特になかった。まわりから勧められたからそこを受験したまでだった。

高校にあがって、サチノは忙しい部活に入った。

中学で部活に入っていなかったサチノには、"毎日放課後に部活を頑張る"というのが楽しそうに思えたからだった。

部活は、オーケストラ部に入った。

バイオリンに、少し興味があったからだった。

高校に入ってから、定期テストではまた1位をとっていた。

"ああ、ここでも自分は1位をとれるのか。なあーんだ、この高校も、大したことはない"と思ってからは定期テストを頑張らなくなり、順位はみるみる落ちていった。

高1のとき、中学から仲良くしていて同じ高校に進学した男子から告白された。正直、その男子のことは好きじゃなかったけれどOKしてしまい、結局、好きになれなかったと言って付き合って1ヶ月たったとき、メールで振った。

申し訳ない、という気持ちより、その人から逃げたい、自分のした罪から逃げたい、目を背けたいという思いの方が強くて相手を徹底的に避けた。

いったん会おうと言われても濁した。

廊下ですれ違えば目を反らした。

相手の気持ちはそこまで考えていなかった。

部活はとても楽しかった。

先輩はとても大変そうだった。

サチノは先輩に協力していたつもりだったが、あとから考えれば全くそうではなかった。

先輩の肩に乗っかっていた重いものの半分も解消させてあげられていなかった。

現代文の時間に、メーテルリンクの『青い鳥』をやった。

よくわからなかった。

どうして鳥は、青くなっていたのかわからなかった。

先生の説明によれば、

「最初から青かったってことにあとからなった」ということらしかった。

具体的に言えば、普段何気なく歩いている道にあるお店の存在に、ある日突然気づくような感じらしい。

こんな店、あったっけ、みたいな。


ざっくり言えば、幸せだということに気付かなかっただけということらしかった。

そんなことって、あるのかなあと思った。

高2では、部活の部長をやった。

良い部長とは言えなかったかもしれない。

仕事はきちんとこなしたけれど、あまりに募るストレスのせいで部員に当たってしまうことが何度かあった。

同学年の部員はサチノに協力的ではなかった。

サチノの性格とかの問題ではないように見えた。

仕事を頼めばやってくれるけど、頼まなければただ見ているだけ、サチノがみんなから見えないところでもせかせかと仕事をしていることに気づけないような同期だった。

ただの傍観者、という感じであった。

仕事は、サチノ一人でこなすのは相当きつい量だった。

サチノもうまくストレスを解消すれば良かったが、それが出来なかった。

勉強もはかどらず、授業のやる気もでない。

イライラばかりしていた。

後輩も、あまり出来た後輩とは言えなかった。

高1の頃は楽しかった部活も、あまりサチノにとって良くない思い出に変わってしまってから引退を迎えた。

大学受験は、見事に失敗した。

それでも、なんとも思わなかった。

勉強していなかったからだった。

全くしていなかったというわけではないが。

自分で情けないとは思ったが、志望校に対する思い入れもなかったので仕方がないと開き直っていた。

でも、中学までずっと秀才で通っていた彼女にとって、これは、アイデンティティーの崩壊を意味していた。

卒業式は、あっさりしていた。

もともと、卒業のような時に泣くような性格ではなかった。

みんなと離れるのが、そこまで名残惜しくなかったからだ。

今はもう、SNSとかで繋がっている時代だし。

高校でも、交友関係は広くもなく狭くもなく、深くもなく浅くもないものだった。

これまでの人生において、親友というものは出来たことがなかった。

高1の頃に1ヶ月だけ付き合っていた彼のことは、なんだかんだ言って、心の中にずっとくすぶっていたがついに行動は起こせなかった。

入学した、第三志望だったか第四志望だったかさえわからない大学でも、なんとなく日々を過ごした。

大学にはいると、時間ができた。

高校時代の部活の経験から、サークルや部活には入らなかった。

空いた時間は、自然と、考え事や、過去の回想をしていた。

高校時代の部活や彼のことが頭に少しよぎるだけで、身震いがした。

思い出せば思い出すほど、悪い思い出になる気がした。

楽しい思い出は、特に不思議と見つからなかった。

楽しいことはあったが、何年か経っても鮮明に思い出せるほど楽しかったことはなかった。

自分には、熱中できることがないのだとそのときに気づいた。

一時的にーーー1ヶ月とか、ほんの少しだけーーー熱中できるものはあっても、ずっと打ち込めるものは今までになかった。

チヤホヤされる可愛い子を羨ましくも、少し憎らしくも思いながらただ漠然と生きていた。

特に将来の夢もない、恋人もいない、友達とは笑ってくだらない話をするけれどどこかむなしい、そんな大学生活を送っていた。


テストも終わって暇になったある日、部屋の整理をしていたら、ふと、高校時代の部活の演奏会のDVDを見つけた。

見てみるか少しためらったが、興味が湧いたので機械にセットして再生した。


舞台にはすでにオーケストラ部全員が揃って座り、ビシッと姿勢を正して楽器を構え、指揮者が指揮棒を振り上げ演奏を始めるところからスタートした。

先輩がまだいる頃ーーー自分が部長になる前ーーーの演奏会だった。

第一音が壮大に鳴った瞬間、サチノは一筋の涙を流した。

懐かしい、という感情を自覚する前に涙が流れた。

上から水滴が降ってきたのではないかと錯覚するほどに、演奏が始まるとすぐに、突然、涙がつう、と頬に流れた。

そして、涙が溢れた。

懐かしい、このときに戻りたい、という感情が彼女を支配した。


「私が勝手に青くのかな、

時間が勝手に青くのかな、


それとも、のかな」



彼女には、その答えは、わからなかった。

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