第12話 戦争の渦

 満州国建国後、ソ連を牽制しつつ南進する日本が中国を侵食するにつれて、中国人の日本に対する不満が蓄積していき、遂に戦争が始まってしまった。


 盧溝橋事件に端を発した支那事変は、中国国民党の蒋介石と共産党の毛沢東が手を組んで抵抗した為に長期化する。戦争の前、アメリカは日本の中国大陸進出に指をくわえて見ているだけの国では無かった。蒋介石率いる中国国民政府へ援助物資のみならず義勇軍まで送り込んで支援した。そして、アメリカを味方につけた蒋介石は対日抗戦を高らかに宣言したのである。

 当初イギリスは中国に投資した工業基盤が破壊される事を懸念し、中国本土で戦争が起こることを嫌がり日英不可侵条約で日中間の仲裁を持ちかけたが、日本はこれを拒否した。その後、戦争強行派のチャーチルが首相に就任してから態度がガラリと変わる。アメリカ・ソ連と組んで日本を共通の敵国とみなしたのだ。


 一九三九年にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻してヨーロッパで大戦が勃発した。一九四〇年、日独伊三国同盟が結成される。一九四一年、南部仏印へ進駐した日本は米英との対立を深め、この年の十二月に真珠湾攻撃を実行、大東亜戦争へ突入した。誰が仕掛けたのか誰かに仕掛けられたのか? 日本のいびつな集団体制と組織防衛の為だけに奔走する指導者たちによって国策が迷走した結果ではないのか。


 戦争が始まってしまえば国の為に尽くす。私は業務用の録音機や収音装置の製作と毎日のように入ってくるニュース映画や軍歌などの録音の仕事を精力的にこなした。たとえその内容を見聞きした国民が軍部に操られると解っていても。


 その頃私は、柳田部長から新しい仕事を任されていた。

「旗島君、この仕事を君にやってもらおうと思うのだが、出来るか?」

「どのような仕事ですか」

「特殊な集音マイクを製作する仕事だ。陸軍から長距離用で指向性の強い収音マイクの制作を依頼されたんだ、この仕様書に目を通しておいてくれ」

「何の用途に使うんですかね」

「前線で敵国兵士の会話などを傍受する為だそうだ」

「分かりました、是非やらせて下さい」


 その仕様書には、一〇〇メートル以上離れた場所から人間の六〇デシベルの音声を傍受する事と、携帯が可能な構造であることなどが書かれていた。

 この仕様書から私が懸念したのは、一〇〇メートルという距離である。これだけ離れたところで音圧の小さい声を拾わなければならない。音声周波数帯域は三五〇ヘルツから七キロヘルツであるが、母音は低い周波数で子音は高い周波数である。発音は打楽器の子音と管楽器の母音の組み合わせだ、離れた距離で子音を聞き取れなかった場合、言葉の意味を取り違えてしまうのではないかと。


 この距離では筒の長いガンマイクと呼ばれる超指向性マイクはせいぜい三〇メートルしか音を拾えないので使えない。構造はパラボラ型収音マイクにすると決めた。パラボラの形状は一五〇メートルの距離に合わせて作る、携帯性から考えると大きさは直径六〇センチメートルまでだろう。マイクの部分は最新の圧電素子を用いたクリスタルマイクを選定することにした。


 私は少し傾斜した板の製図台の前に座る。薄くて透けた製図用紙のしわを伸ばしながら板の上に載せて紙テープで固定し、T型定規を傾斜板の左淵に添わせる。T型定規を押さえながら先の尖った鉛筆を持ち、一本の水平線を書く。この最初の作業は無の状態から形あるものを創造する儀式のような感覚である、いつも身が引き締まる思いがする。


 収音マイクの形状は拳銃の様な形で銃の先にマイクを内向きに取り付ける、パラボラ部分はセルロイド製で銃身の根元に配置した。材料はできるだけ木材を使用し、資源活用と軽量化を図った。指向性が高いので銃の上部に望遠スコープも着けることにする。数日後、図面が完成して試作を製造部署へ依頼した。


 一か月後、試作品が完成した。

「柳田部長、試作品ができました」

「おお、中々恰好がいいじゃないか、試験はしたのか?」

「動作確認は行いましたが、性能試験は未だです」

「どんな様子だ」

「一三〇メートル離れた場所で六〇デシベルの音を確認できました」

「良さそうな結果だな、良し、すぐに成績書を作ってくれ、私は陸軍の担当者へ報告する」


 三日後、陸軍技術本部の技術者が来社し、三階の録音技術部の部屋へやって来た。


「ようこそ来社くださいました、私は録音技術部の柳田です」

「陸軍技術本部、本部長補佐官の向井です。意外と早くできましたね」

 向井補佐官は軍服を着てメガネを掛けている。襟章は中佐だ、軍帽は左わきに挟んでいた。


「この旗島君が設計したんですが、彼は仕事が早いんですよ」

「初めまして、旗島です、軍のお役に立てる様努力致しました。これは試験結果と検査成績書です、あちらが完成した収音マイクです」


 書類を向井中佐に渡し、会議机に置いてある収音マイクを指さした。

「ほほう、中々良い結果だな」向井中佐は試験結果の数値を確認する。

 暫らくしてから、向井中佐を会議机の方に案内した。


「この収音マイクは引き金を引くと、ヘッドホーンから音が聞こえます。望遠スコープで目的の位置に照準を合わせて音を傍受します」

「ちょっと触らせてくれ」向井中佐は軍帽を机に置いてから収音マイクを手に取り、窓際の方へ歩いて行った。

「あそこで話をしている人がいるから、話声が聞こえるか確かめて良いか?」

「どうぞ確認してください」


 向井中佐は自分で窓を開け、ヘッドホーンを装着して収音マイクを持ち、道路の反対側にいる人の口元に照準を合わせて引き金を引いた。

「おお、これは良く聞こえるぞ。軽くて操作性もいいな」

 向井中佐は会話の傍受を数分間確認した後、ヘッドホーンを外し収音マイクを会議机の上に置いた。


「合格だ、早速だが三十台分の製作の準備をしてくれ」

「ありがとうございます」柳田部長は深々と頭を下げた。


「唯、少し心配があるのですが」

 私はこの装置における自分の懸念を素直に伝えようと思った。

「このパラボラ部分はセルロイド製ですので、熱に弱い欠点があります。戦場でご使用される場合は炎天下で放置されますと、変形するかも知れません」


 すると、向井中佐は意外な発言をした。

「戦場では、ほとんど使用しない」

「え、何処で使用されるんですか?」

「主に国内だよ」

「国内の誰の会話を傍受するのですか?」

「それは君、想像できるだろ」

「まさか」

「陸軍の幹部に対して快く思わない連中の会話を聞くのだ」

「共産主義者とか反乱分子ですか?」

「それは警察に任せておけばいいんだ」

「海軍とか、まさか身内?」

「これ以上はもういいだろう」


 せっかく苦労して作った私の装置は、何の為に誰の為に使われるのか。

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