第6話 真空管の音色
征二は、紙箱の中にあるテレベッケンの真空管を取り出そうとした。
「あ、ちょっと待ってください」耕太郎は慌ててカバンの中から白い布の手袋を出す。
「真空管は素手で触らないほうがいいんじゃないですか?」そう言って手袋を征二に渡そうとするが、
「歳をとると、手がカサカサして乾いているから大丈夫」と言いながら、真空管のアルミベースの部分を持って眺め始めた。
真空管のガラスには、ロゴの下にRV238の文字と製造番号がエッチングされていた。
「1932年9月製造だね、最近は"アキバッケン"とか、偽物が出回っているんでね、よく調べないと」
秋葉原の電気街には偽物の真空管が出回っているようだ。
「この球、ガラスの内側もあまり黒ずんでないから、まだあまり使われてないようだな」もう1つの紙箱も開けて同じように確認した後、
「よし、音を確かめてみよう」
征二は2本の真空管と美咲の描いたグラフを持ってアンプの所へ行き、真空管を交換してからアンプの調整作業を始めた。アンプのバイアス値は美咲のグラフを参考にするようだ。
アンプのバイアス調整が終わり電源を入れると、2つの真空管が発光し始める。
「このオレンジ色が徐々に発光するところがたまらないんだな。本当は1日くらい電源を入れっぱなしにした後で音楽を聴くんだが、今日は10分でがまんしよう」
時計を睨むように見ていた征二は、ぴったり10分後、レコードプレーヤーを回し始めた。
「悩んだ末に結局これに決めたよ、ワーグナーのワルキューレ第3幕」征二はヘッドホンを着けてレコード針を何回か操作した後、ヘッドホンのピンジャックを外し、
「さあ、始まるぞ」と言いながら耕太郎と美咲の間に割り込んで座った。
その曲の出だしを聞いた耕太郎は、
(すごい迫力! これはあの有名な映画、何とかの黙示録に出てくる音楽だ。しかし心臓まで響く音だな) 背筋をピーンと伸ばして固まっている。
征二は腕を組んで目を閉じている。
美咲は曲の途中から、
(女の人の高い歌声が頭に突き刺さるようだわ、この部屋。レコードの音が部屋中を駆け巡るのね) 首を左、上、右と動かしていた。
しばらく聞き入っていた征二は目を開けると、
「なかなかいいぞこの球、よし貰った。このまま置いてってくれ」と言って立ち上がり、レコードプレーヤーを止めに行く。すると少し間を置いてから、コンコンと小さくドアを叩く音がしてドアが開いた。
「あなた、応接間にお紅茶を用意しましたよ」幸江は、音楽鑑賞のじゃまをしないタイミングを見計らって、紅茶の用意をしていたようである。もしかすると、聞き耳を立てて部屋の様子を伺っていたのかも知れない。
征二と共に耕太郎たちも応接間へ移動した。庭の見える応接間には、幸江が言ったように紅茶が3つテーブルの上に用意されていた。耕太郎と美咲はひじ掛けの着いた長椅子に座り、征二と幸江もひじ掛けの着いた一人掛けの椅子にそれぞれ座る。
「冷めないうちに、どうぞお召し上がりくださいね」幸江は2人に紅茶を勧めた。
2人が紅茶を飲んでいると、いきなり、
「あの真空管、十五万円で買ってやる」と征二が言いだした。
「え~、2本で十五万円ですか~」耕太郎が渋い顔をしてそう答える。
「1本じゃよ」
「わ!」
紅茶をこぼしそうになった耕太郎は慌てて、
「あ、ありがとうござます、分かりました。早速2本で合計三十万円の請求書を書きます。お支払いは銀行振り込みでよろしいですね」
(やったぞ、六万円儲けた。さすが元潜水艦の艦長だけあって、決断が早い)
耕太郎は紅茶を置いてカバンから伝票を取り出す。こういう時はとにかく早い。
横に並んで座っている美咲は、
(わ~、二十四万円ゲット! これであの高性能のノートパソコン買えるわ) パソコンにお金をつぎ込む女子高生など滅多にいないはずだが、ここにいた。
「あれと同じ真空管をもう2本探してきてくれ、どこで見つけたんだ」征二がまたいきなり言い出すと、幸江は、
「あなた、この方たちは部下では無いのですから、もう少し優しく尋ねてくださいね」と耕太郎たちを気遣った。
「美咲ちゃん、どこで見つけたの」
「先週、お父さんの実家の甲府のおばあちゃんちへ泊りに行ったとき、近くの穴で見つけたんです。まだ何か残っていたような……」美咲が答えた途端、
「よし分かった、交通費と日当を出すからもう一度探してきてくれ、どうだい?」征二は半分命令調で目をむいて、耕太郎のほうへ顔を近づけた。
征二の鋭い眼光に、背中をそらせる耕太郎と美咲はお互いに顔を向ける。
「美咲ちゃんどうする?」
「……」
「お父さんとお母さんに確認しないと……」
「あの~、この件は持ち帰って検討します」耕太郎は即答を避けた。征二は、
「あんな球は滅多に出てこない。必ず見つけてきてくれ、わしは音楽を聴く」と言って応接間を出て行ってしまった。
「本当にすみませんね、うちの主人は言い出すときかないものですから」幸江は耕太郎たちに頭を傾げる。
「奥様、お気になさらずに、今日中に返事しますから。これ、お願いします」耕太郎は請求書をテーブルに置くと、紅茶を一口飲んでから、
「美咲ちゃん、そろそろ失礼しましょう」と立ち上がり美咲も、
「おば様ごちそうさまでした」と言って2人はお屋敷を出るのであった。
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