張りぼての大仏の思い出1

@mariko1920

卒業制作の提案

 小学6年生の時、クラスで大仏を制作した。いわゆる卒業制作である。なぜ大仏を製作しようと思った経緯はいまだにわからない。クラスの誰かに熱心な信仰者はいなかったし、第一提案したのは大のお調子者である。彼の提案は「面白そう!」という圧倒的な賛成で可決された。

 今思い返すと、小学校の頃人望が厚かったのは、勉強熱心なまじめな人物ではなく、こうした人物にスポットライトがあたっていた気がする。(しかし中学に入ると不思議なことに彼らは息を潜めていた、彼らが活躍できる期間は短い。思春期とは儚い。)お調子者の彼の提案は担任にも承認され、教室中がわくわくムードにあふれる中、窓際の席で私は悶々としていた。彼らは大仏を商店街のマスコットと勘違いしているのではないか。第一大仏を作ってどうするのか。ざわめく教室内で一人「HRで毎月の愛唱歌を歌う代わりに、全員で大仏に向かって念仏を唱える朝」を思い浮かべた。担任は「大仏があれば穏やかになれる、いい意見だ」と腕組みして深くうなづいた。私はその言葉が「持つだけでお金がたまる財布」等の類のキャッチコピーに似ていると思った。なるほど大仏を置くだけで幸福なクラスになるのか・・・と無理やり自分の反対意見を封じた。

 私の他に心の中でひそかに、反対するものはいないか、周囲の目を伺ったが、誰一人

 反対する者はいないようだった。みんな大仏作りに意欲を燃やしている。私はこのムードで反対する勇気はなかった。たった一人の反徒がクラスに紛れ込んで、大仏制作に関わるなんてみんな思ってもいないだろう。私が歴史上でこの立場なら、大仏の内部に呪詛の札でも貼っておいたかもしれない。

 さて、大仏の制作は次の日から早々と開始された。まず粘土で大仏の形を作る。小学生の頃の記憶なので、はっきりと思い出せないが、確か土粘土で頭と胴体を別々に作って最後にくっつけていた。大きさは当初「奈良の大仏と同じ大きさ」など、卒業後も小学校に永久に通い続ける事態になるところだったが、どうにか教卓位の意見に収まった。

 クラスは皆団結している、その中で私だけが「最後どうするんだろう」と大仏の耳たぶを作りながら、その後の扱いを心配していた。(もし、こんな土粘土の大仏を下級生にプレゼントしても、たいしてうれしくないだろうし、もらったほうは何の意図かわからない)不器用な手先で作られた耳たぶは、大きさが微妙に違った。私は何食わぬふりをして、「耳でーきた」と、はしゃいだ演技をして顔の横にすばやく貼り付けた。誰にも気づかれないためには、周りと波長を合わさないといけない。熱心なクラスメートは「ありがとう!早かったね」と返事をした。私はなんだか後ろめたい気持ちになった。

 図工の時間と放課後も使って制作された大仏は、あっという間に完成した。あとは

 金色の色紙を細かく裂いたものを、貼り付けていくのみになった(続く)


 

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