不眠罪ゲーム どうやらショートスリーパーの少年〝ゼロ〟は『睡眠時間を賭けるデスゲーム』で、無双するつもりのようです(旧題インソムニア・ゲーム) 

どっこちゃん

プロローグ

「それでは、皆様にはこれより、存分に「夜更かし」をしていただきたいと存じます!」


 ……耳障りな声を聴いて、彼はぼんやりと意識を取り戻した。


 前後不覚――というのは、たぶんこういう状態のことを言うのだろう。

 

 自分がどこにいて、今がいつなのかもわからない。

 

 いや、自分が誰なのかは知っている。


 俺の名は城 御旗キヅキ ミハタ。どこにでもあるような、冴えない高校に通っているはずの、どこにでもいるような……、ただの、俺だ……。


 少年――御旗は、パイプ椅子に座ったまま虚ろに周囲を見回す。


 夜なのかと思ったが、そこは薄暗い建物の中だった。室内だ。かなり広いが、殺風景で、まるで場末の倉庫の中のようだと思った。


 ――場末の倉庫になんて行ったことはないのだが、多分こんな感じなんだろう。


 寒々しい場所のようだが、妙に蒸し暑くも感じる。


 とにかく、閉め切った体育館みたいなその場所で、彼はパイプ椅子に座って、重たい頭を持て余しつつ、うつむいている。


 5メートルぐらい先に仄明るいサークルが見える。


 立ってそこに近づこうとしたところ、しかし肩をやんわりと抑えられた。


「お待ちを。もうレクリエーションが始まってしまいましたので、終わるまではこのままお願いいたします」


 レクリエーション? 俺はなんでそんなものを見ているのだろう?


 思いながら脇を見上げると、幾分の薄い闇を隔てて人が立っていた。


 すぐそばに人がいるとは思わなかったので少々驚く。


 声からすると女だが、しかし顔が見えなかった。


 暗すぎるせいかと思ったが、そうじゃない。そいつには顔が無かった。真っ黒で、のっぺらぼうな。


 勢いのけぞりそうになって、重い頭を取り落としかける。


 しかし、よく見てみれば何のことはない。こいつは何かを顔にかぶっているのだ。


 仮面か? いや、別にそこまで硬くもなさそうなものだが、風邪の時にするマスクなんかよりはだいぶ丈夫そうな材質に見える。


 頭の方も妙だ。真っ白くてふわふわした、ポメラニアンみたいなかつらをかぶっていやがる。


 そのせいで余計にのっぺらぼうの黒マスクが際立つのだ。


 脅かしやがって。なんだってんだ? 仮装か? 仮面舞踏会でもあるのか? ハロウィンには早すぎるし、ここはユニバーサル・スタジオ・ジャパンじゃあないぞ。……多分だけどな。


 なんにしろ、俺は貴族ともセレブとも縁がない一般市民だし、流行りに流されてバカな仮装をしてインスタに上げまくるような脳みその軽やかな連中でもねぇ。


 ――じゃあ何かって? 何だっていいだろ。


 いわゆる中間層だよ。うるせーな。ちょうど真ん中かその辺の、とにかくその辺のパッとしねぇ一市民だ。悪いかよ。


 おっといけない。つい、癖で脳内での会話を始めちまった。


 別に何人かの人格が住み着いているとかじゃあなくて、考え事をするときに、こういう風に脳内会議風に会話を重ねることがあるんだよ。良いだろ別に。


 だいたい、それどころじゃないだろ。いくら脳内で実のある会話劇を繰り広げたって意味なんかないんだ。


 結局はいくらやっても独り相撲。もっと外から情報を引き入れないと何の結論も出てきやしない。


 良し、とにかく何でも訊いていこう。しかし何から? 何を?


 ――と、内部の葛藤から現実に帰還した御旗が傍らの奇妙な格好の人物に、何から問い質すべきかを迷っていると、その黒服白ぽわ黒マスクの女は、今度は白い手袋をはめた指で彼の向けるべき視線を光の先、檀上のような場所に差し向ける。


「ご質問は、後ほどお受けいたします」


 そのステージの上では、大柄な男が身振り手振りを交えてマイクに声を張り上げている。


「それでは皆様――」


 一段高い場所にいる、こっちも顔を覆い隠した男だった。


 しかし、こっちの男のそれは、まるでガスマスクに鳥のくちばしがついたような気味の悪いもので、頭のぽわぽわに至ってはなぜかレインボーカラーの長髪である。


 隣にいる顔無しのポメラニアンとは違った意味で異様だった。


 あいつは、……そうだな、七色のスプレーで落書きでもされた浮浪者にしか見えない。それも相当に気合の入ったおっさんのホームレスだ。


 しかし、にもかかわらず、服装ばかりは不釣り合いなほどにパリッとした上等そうな小豆色のスーツに白手袋といった具合だ。


 こんな香ばしいカッコした人間、路上はもとよりテレビでも見た事ねぇよ。


 そして、この道化のような格好の男は、先ほどから壇上で軽快なトークを続けているらしい。


 どうやら、御旗はその途中か、或いは始まってすぐに意識を取り戻したということのようだ。


 そして「皆さま」という言葉で、彼はようやく、薄暗いステージと自身の間の空間に、彼と同じようにパイプ椅子に腰かけた人間が、それも数十人もいることに気が付いたのだ。


 そこで、彼の脳がとうとう現実を、一気に認識し始める。――そうだ、思い出してきた。


 寝ぼけている場合ではない。彼はこのゲームに参加するために、わざわざ、ここに来たのだった。


 思いのほか手荒な歓迎をされたようだが、事はに運んだのだ。


 確信と同時に、胸が高鳴り始める。この非現実的な空間が、それを加速していく。


「えー、という訳で皆さまには、それぞれ自己申告で、自分のコードネームを決めていただきます。えー、字数は4文字以下でお願いいたします」


 それまでは、まるで雲霧うんむの如く物言わぬ置物の群れにしか見えなかった人々、――おそらくは御旗と同じ『参加者』たち――が、矢庭にざわつき始めた。


「なぜ?」


 声が上がる。


「なぜ、とは?」


 レインボーガスマスクが応える。


「どうして自分で付けるのよ? 別に番号でもなんでも、勝手に付ければいいじゃない。そんな、……自分で? 名づけることに、何の意味があるの?」


 幾分刺々しい声は女のものだった。年は高校生である御旗よりも一回りほど年上だろうか。


 クラスメイトよりは、三十歳前後だった彼の担任教師のそれが近いと思われる。


 仄黒いシルエットにしか見えない人の群れは、よく見れば性差も年齢も区別されてはおらず、座っている位置にさえ偏りが無いようである。


 本当に、ただそのまま詰め込まれているようなものだ。こりゃ、まるで家畜の輸送か何かのようだな。


 ――いや、とそこで御旗は思い返す。


 それも当然か。ここにいるのは、彼、城御旗も含めてそのすべてがビップでもお客様でもない、言うなればなのだから。


「いえいえ、大した意味はないのですよ。意味があるかどうかは、そのうちにわかります。ただ、こうしたほうが――覚えやすい、というのが一番の理由でして」


「覚え、やすい?」


「はい。皆様がお互いを見分けやすくなれば、とね。それに、自分でつけた名前なら、忘れにくいでしょう」


「……、」


 刺々しい気配は、何言かを返そうと暫しの間息を止め、そして何も言わずに言葉を切った。


 イラついたような空気だけが闇を介して伝わってきた。


 いや、その女だけではない。卒業式か何かの様にパイプ椅子に座らされた一塊の老若男女が、そろってピリピリした空気をまとい沈黙している。



 一人だけ来賓席に座っているかのように、後ろからそれを見ていた御旗は危惧してしまう。


 このまま暴動でも起こるのは願い下げだ。彼はまっとうにこの〝ゲーム〟に参加し、そして勝つためにここにいるのだから。


 おいおい頼むぜ。ゲームの前に妙なやり方で参加者を煽らないでくれ。


「どうして4文字なのでしょうか?」


 黒いゴム塊みたいな参加者の群れの中から、別の、もっと若い声が上がる。


 コレも女の声だ。御旗と同じか、もっと若いかもしれない。彼よりも年下でこのゲームに送られる人間が居るのだろうか?


 今更だが、このゲーム、いや、〝刑罰〟というべきか。未成年でも関係ないらしい。


 ――もっとも、昨今では少年法そのものが〝もはや意味を失っている〟などと言われ始めている時代だから、さもあらん、といったところかもしれない。


「ゲームが進めばわかることですが、もちろん互いを認識しやすくすること。それには覚えやすいことが大事です。ところが、5文字では多すぎるのです。皆さん、とても、。そして、逆に3文字以内に限定してしまうと、今度は選択の幅が少なすぎるのです。似たような名前が続いては、これも――よろしくない」


「さようですか……。わかりました。もう結構ですわ」


 たっぷりと含むところの在りそうなレインボーの言葉に、いまいち納得がいかなそうにしながらも、問う声は引き下がった。


 それはそうだろう。5文字では覚えられないかも。似たような名前では間違うかも。だから、自分でつければ忘れないかも。


 ――って、俺たちは何だと思われてんだよ! 幼児じゃねぇんだから。高々この程度の人の名前と顔ぐらい覚えられるわ。


 皆が一様に抱き、また声には出さず押し殺したような憤慨ふんがいを、しかしあえて無視するかのように、レインボーカラーの長髪ぽわぽわ男は続ける。


「えー、それではですね。ここに来た方から順番にどうぞ。えー、正確な順番でなくても構いません。だいたいでかまいません」


 すると、人塊のうち何人かの視線が一人の男に向いた。それを追うように、スポットライトが閃き、その姿を露わにした。


 いきなり衆目に晒された男は、どうして自分なのかと問い返したそうな、急にしおれたような顔で、僅かに身を捩った。


 緊張のせいか、石のように固まった口からは声が出てこないようだ。


 くたびれたようなスーツを着た、頭の薄い中年の男だった。


「もちろん同じ名前はいけませんので、早い者勝ちです。お好きなものを選べます。むしろ有利ともいえます」


「――とろいな。じゃあ、俺からでもいいかい」


 脇からの声をスポットライトが追った。初めて発言する男のものだ。おそらくは二十歳前後と言ったところだろうか? なかなか快活そうな印象の男だった。


「構いません。有利などとも言いましたが、実際には大した意味はありませんので」


「じゃあ、俺は〝アクト〟で。――俳優志望なんだ」


 男は芝居がかったしぐさで笑顔を振りまく。


「……なら、私は〝トーキー〟。クラシック映画が好きなの」


「〝トラベル〟」


「ド、〝ドラッグ〟」


 すると、矢継ぎ早に声が上がり、スポットライトがあわただしげに瞬く。


 皆が先を争って名乗り始めた。しかし仮面の黒服共が止めないところを見ると、これでも構わないらしい。


「じゃ、〝サーカス〟」


「〝レンチ〟」


「何でぇ。横文字ばっかじゃねぇか。おれは〝もぐら〟だ」


「わ、私は――〝ヤマト〟」


 最初に何も言えなかった禿頭の中年がようやく言った。特に反応はない。本当に特別な意味はなさそうだ。


「〝帽子ボウシ〟」


「もとのあだ名でもいいんですかぁ? んじゃ、〝キララ〟で」


「〝オレガノ〟」


「〝わだつみ〟」


「〝ちくわ〟」


「〝シェイム(恥)〟」


「……〝シャム〟」


「シャムネコ、で?」


「いえ。シャムネコのシャム、だけ。……だめですか?」


「構いません。次の方」


「ボクかい? フラッシュ、……フルハウス――もダメか。なら、〝ツーペア〟でどうかな」


「フヒ、――ぼ、ぼくは〝キング〟」


「――ウッゼぇ。おれは〝シード〟だ」


 闇を介してもなお目につくほどだった、赤い髪を撫でつけたひょろりとした男が、先にキングなどと名乗った肥満体の醜い男をにらみつけ、遠慮のない舌打ちをした。


 対して反抗するでもなく卑屈な笑みを浮かべたのは、矮躯わいくでぶよぶよと太った、およそ醜い男だった。


 遠目からでも、その小さい目やいびつな丸顔が見て取れた。


 不健康的に浅黒い肌も吹き出物だらけで、まるでカマキリの卵を想わせる。


 なるほど、キングなどとは分不相応にもほどがあるだろう。しかしルール上は問題ないのか、それ以上は特に咎める声もない。


 命名はそのまま続く。


「〝さくら〟」

「〝不貞寝ふてね〟」

「〝ムッシュ〟」

「〝たこやき〟」

「〝プアマン〟」

「〝ホワイト〟」

「〝まだら〟」

「〝カムイ〟」

「〝バズーカ〟」

「〝小松菜こまつな〟」


 ……やる気はあるのかこいつら? 特に後半……。いや、こういう状況だからこそあえて、バカみたいなこと言ってる可能性もあるけど……。


「〝アヤト〟で。――ええ。本名ですが、いけません?」


「〝アアアア〟。コレ定番でしょ。……あれ、逆に寒いかな?」


「下らねぇ。〝ソノダ〟だ。文句はねぇんだろ?」


 先の声、――ひるがえるスポットライトの下、一層小柄で華奢な影を揺らす、金髪の少女。


 彼女は本名だという〝アヤト〟という名前で通してしまった。


 ずいぶんスタイルが良いが、中学生だろうか? このメンバーの中ではかなり若いその少女に続いて、しょうもないことを言っているメガネの女。


 そして、明らかに堅気には見えない強面の男も、本名でドスを利かす。


「えー、全員終わりましたかな? おや、一人足りない」


「あたしも本名でいい。――〝レイア〟」


 最後の一人も、本名で通したようだった。イントネーションに変なとこはなかったけど、こっちも外人か? まぁ、ぜんぜん日本人でもある名前かもだけど。


「よろしい。このコードネームは記録してありますのでいつでも確認が可能です。ご安心ください。さて、それではそろそろ、ゲームのルール説明に移らさせていただきたいと思います。えー、実は時間が押しておりまして」


 そう、ゲームだ。いよいよかと、御旗は息を呑む。


 だが、これは決してイベントやレクリエーションの類じゃない。れっきとした〝刑罰〟なのだ。


 この先に待っているのは、ある法を犯した人間が送られる、断罪の場なのだ。


 ここにいるのは、皆犯罪者だ。


 ――そう、〝〟という大罪を犯した、この社会においては赦されざる咎人。


 それが俺たちなのだ。




 何の前触れもなく、御旗たちから見てステージの奥にあるスクリーンに光が灯り、次いで何事かの文言が順に映し出されていく。


「では、このゲームの基本原則を、まず発表しておきましょう」



1 〝カード〟は〝ルール〟に優先する。


2 如何なる場合も、他のプレイヤー及びベータ・シープへ暴力・脅迫等の危害を加える行為は容認されない。


3 一日に付き、8時間分のチップが自動的に加算される。このチップを金銭で売買することは赦されない。


4 ゲームは〝真夜〟の間、ふさわしい会場でのみ行われる。


5 ゲーム時以外でのチップの奪い合いは認められない。


6 配布された装備品等を故意に破壊したり、引き剥がそうとする行為は認められない。


7 チップはマイナスになり得る。マイナス分は、ゲーム終了毎に「脳への負荷」として、その都度、0になるまで清算される。


8 ゲームの趣旨に従い、各プレイヤーは、睡眠以外の生理的欲求を制限されることはあってはならない。


9 ゲーム会場内にプレイヤーが持ち込めるのは、それぞれの「デッキケース」に納められたカードだけである。



 御旗をはじめ、誰もが呆然とこの文言を見上げていた。正直、現時点では何のことなのかまるで理解ができない。


「……こまかいルールは、皆さまにそれぞれついているベータ・シープがその都度解説しますので、後にご確認ください。ルールは何度ご確認くださってもかまいません」


 シープ? そこでようやく、というべきか、御旗は隣の女がかぶっているこのぽわぽわした被り物に、ちょこりと黒い耳のような飾りが生えているのを知った。


 つまり、この格好はシープ。つまり羊を模した仮装だったのか。


 ……何で羊? それにこいつらがベータだというなら、アルファ・シープやガンマ・シープも居るのだろうか? 


 どういう区別があるのだろうか? 


 ……いや、今はいいか。訊けば答えると言ってるんだから、あとでこのベータ・シープとやらに、直に問いただせばいいだけだ。


「このように、えー、これから7日間かけて「睡眠時間」をチップとして奪い合うゲームを行っていただきます」


 レインボーの奴が続ける。


「ゲームにはオンとオフがあり、『オン』つまりの時間帯にのみ、このチップを奪い合うゲームが各会場で催されます。それ以外の場所ではゲームは出来ません」


「じゃあ、それまでの間、何をしてりゃあいいんだ?」


 荒っぽい声が上がる。さっきのシノダ? いやソノダとかいうオヤジか。それとももっと別のおっさんか? さすがに声だけでおっさんの判別は難しい。


「真夜になるまでの間に、いくつかあるゲーム会場までたどり着くことも、ゲームの内だと思っていただきたい。第一ステージ、第二ステージと使用できる会場は異なります。そこにたどり着くことも、またゲームの内です」


「どうやって移動するんですかぁ? 歩くの?」


 今度は幼い感じの声。これは誰だっただろうか。御旗は静かに耳を澄ます。


「基本は徒歩ですが。手段は様々です。真夜オンの間のゲームの結果によって、さまざまな特典を得られます。それをうまく利用していただければと思います」


「特典?」


 誰ともなく、一同がざわつく。御旗も身を乗り出した。重要な点だ。なにせ、聞くところによれば、これはなのだから。


「では、実際にやって見せた方がよいでしょう」


 すると、二人の色違いのぽわぽわ達。つまりベータ・シープが壇上に上がった。


 それまで解説をしていた長髪シープ――おそらくはあれがアルファ・シープなのだろうか? ――が居た辺りには、いつの間にかシープたちの腰の高さぐらいの大きな金属製の箱のようなものが置いてある。


 二人のベータたちは、立ったままそれを挟んで向かい合あった。それぞれの手には、片手で楽に持てるレンガぐらいのものがあった。


「後ほど、スタートと同時に、必要な装備としてこのデッキケースをお渡しします。ケースにはゲームの胆となる〝インソムニア・カード〟がランダムに入っています。


 このカードを選び、専用ボックスの上の窪みに、相手には見えないよう、伏せてセットします。――これがフェイズ1です」


 すると、二人のベータ:シープはそれぞれにカードを取り出し――カードというには妙に分厚くて金属質な代物だった――それを一枚ずつ、伏せた状態でボックスの窪みにはめ込んだ。


「そして、ここからがフェイズ2ッ。一度両者がセットし終えたら、もうカードを変えることはできません。そして、ここでチップをレイズするかフォールドするかの選択をしていただきます」


「じゃあ、トランプを使わないポーカーをやるということかな?」


 声が上がる。男の声だが、今までのそれとは違ってずいぶん軽やかで甲高い。誰だったろうか?


「えー、それはあながち間違ってもいません。――が、このゲームはポーカーよりもかなり簡易的な進行をするものだと思ってください。まずは、まずは聞いていただきたい。そしてフェイズ3、カードをオープン!」


 アルファ・シープはわざわざ手袋を脱ぎ、スナップを鳴らす。


 すると、台にはめ込まれていたカードは、ひとりでに反転して表向きになる。そういう機能がボックスのほうにわざわざついているらしい。


 ――驚いたが、必要かその機能? 


「カードには1から5までの数字が掘ってありますので、数字の大きい方が勝ちです。簡単でしょう? 勝負の形は各会場に設置されているゲーム・ボックスにも依存しますので、ベータ・シープの解説をよく聞いて、何処の会場へ向かうのかを決めてください」


「なんだそりゃ?」


「ろくな勝負にならないじゃないッ」


 所々から落胆や非難の声が上がるが、アルファ・シープはど派手な羊毛を振り乱して、「ご心配なく、ご心配なくぅ!」と全身で声をあげる。


「本来はもっと細かいルールがあり、駆け引きの要素も十分にあると自負しております。決して運だけで決まるゲームではありません。


 ――が、ここでは最も簡単な大枠の基本ルールだけを解説いたしました。ルールはその都度確認することが可能ですので、ご安心ください。どうぞご安心ください」


 場はしばしざわついていたが、アルファ・シープが言葉を切って沈黙すると、誰も声をあげなくなった。


 確かに、あとで質問できるというなら、ここで渋っても益はない。そのぐらいの事は誰にでもわかるだろう。


「カードでの勝敗が着きましたら、チップが移動したのを確認して、ゲームは終わりです。使用したカードは破棄されますので。昼間オフの間に再び手に入れてください」


 すると先ほどオープンされたカードがそのままボックスの中に吸い込まれてしまった。


 場が静まったのを睥睨へいげいするかのように見下ろし、うんうんとうなづいた派手な羊(?)は、改めて解説を再開する。


「カードにはチップ以外にも「特典」を得られる効果を持つ種類のものがあり、それによってさまざまアイテムや情報を得ることができます。真夜の間のゲームだけがすべてではないのです。


 ――つまりは、『メタ・ゲーム』。実際にゲームが始まる以前に、如何に自分に有利な条件を整えられるか、そしてこの〝真夜〟以外の時間を上手く使うことができるか、これが勝利につながります」


 ベータ・シープたちがボックスを片づける。いや、それだけではない。それまでは視界の外の暗がりに潜んでいたらしい、結構な数のベータ・シープたちが、何やら活発に動き回り始めた。


「よって、このオフの時間帯で、追加のカードを手に入れたり、進むルートを選んだり、身体を休めたり、食事をしたりといった行動がゲームの勝敗を分けることになるのです。よろしいですか?」


 最初から感じていた妙な振動が、少しずつ大きくなっていく。どうやら、この場所は倉庫でも体育館でもなかったらしい。


「おっと、時間も押しているようですね。えー、オフの間の拠点となる『パーク』は睡眠を除くすべての欲求に応えるように努めています。


 どうか皆さま、快適でスリリングなゲームを体験していただきたく存じます。どうか、どうか死力を尽くしていただきたい」


 振動はガクンッ、という大きな揺れとなって途切れた。建物自体が制動したようだった。


 つまり、この空間はそれ自体が今の今まで動いていたらしい。――船だ。この空間自体がバカでかい、おそらくは空っぽのタンカーみたいなものの内部だったのだろう。


 それはつまり、ここがもはや日本の本土ではないことを意味する。皆、気づいたはずだ。


「7日間かけて、最終ゲーム会場まで到着すること。そして最終ゲーム終了時にもっとも高い〝チップ〟すなわち〝睡眠時間〟を獲得していた方が勝者となります」


 しかし、誰もがその事実を無視するようにシンと静まり返っていた。


「勝者には減刑・賞金・そして政府と我々〝企業〟の持つ機能・権能の許す限りにおいて、あなた方の願いに応える用意があります!」


 アルファ・シープのその言葉に、皆が皆、目をぎらつかせているのが背後から見ていてもわかった。


 そう、これは「不眠症インソムニア・ゲーム」


 互いの〝睡眠〟を奪い合う、禁断のゲームだ。


 本来は法を犯した者だけが送られるこのゲームだが、しかし勝った者には減刑と、それ以上に信じられないようなリターンがもたらされると言われている。


 いわば、るか反るか。どん底からの一発逆転、起死回生のゲームなのだ。


 負ければ刑期が加算されるどころか、廃人になるというハナシも、敗残者が相次いで自殺したというハナシも有る。

 

 しかし御旗は自ら、この未知数の危険なゲームに参戦することを決めたのだ。



 なぜなら、勝てるからだ。



 彼はこのゲームで、誰よりも優位に立てる。そういう特異な能力が、彼にはあるのだ。


「――ところで、最後に来たあなた」


「え?」


 再び壇上の中央に踏み出したアルファ・シープが、唐突にこちらへ、つまり御旗みはた個人に声を掛けてきた。


 ライトが向けられ、総員が御旗を振り返る。


 視線が集まる。


「失礼しました。飛び入りで最後に滑り込むような形での登録だったので、あなたはまだコードネームが決まっていませんでしたね。皆さんと同じように、コードネームを決めていただけますか」


「ゼロ」


 衆目に晒されることには慣れていない。何より、いきなりの事で何も考えられず、言葉に詰まろうとして、――それでもその名は、意識するよりも先に滑り出ていた。


 驚くほどに滑らかに。それが当然であるかのように。


「ゼロ? それがコードネームでよろしいのですね」


「ああ。――俺は、〝ゼロ〟だ」

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