【ベーコン】/海に行こうと僕は言う

 ある時、唐突に気が付いた。これは、パンだ。

 知識としてそういうものがあることを知った、という話ではなくて。もっと複雑な事だ。

 僕の目の前にベルトコンベアがある。その上に乗っかってゆっくりと左から右へ動いているたくさんの塊。これは、炭水化物の塊をミキサーにかけたもの。僕の仕事は、これを一定量掬い取ってケースに入れ、後ろに流す。それだけ。あとは他のメンバーが加熱して、更に他のメンバーが袋に詰める。それは僕らの食事になる。作業はやや時間がかかるから、何人かで分担する。している。

 隣を見る。

 隣人がいる。

 僕でない誰か。

 円筒の胴体に球状の頭が半分ほど埋まっている。どこからどう見ても人間だ。腕や指だって二本ある。僕と同じ。けれど、こいつは僕ではない。

 何故か、それがとても不思議に思えて、手を伸ば──

『十一号、どうかしましたか』

 頭の中で声がする。人類軌跡再現機構【ベーコン】だ。

 僕は束の間、作業を忘れてしまっていた。手が止まっていたようだ。

「すみません」

『誤作動ですか』

「……スキャニングしました。特に問題ありません」

『そうですか』

 それきり、彼は黙った。僕は会話の間も手を動かし続けていた。掬い取り、箱に詰めて、後ろに流す。手を作業以外の行為に充てていた間に、一つだけ空箱が流れていってしまった。コンベアに運ばれるそれは中身のないまま熱せられる。そして多分、今日は誰かがその空のケースを受け取り、カロリーの摂取に失敗するだろう。だがそれは些細な問題だった。

『充電状態に問題はありませんか』

「バッテリー減少状態、正常範囲内です」

 僕らは電力で動いている。カロリーの摂取記録は人間であることの証明に行っているだけだ。

『後ほど精査します。休憩時間に医務室へ来てください』

 わかりました、と答えはしたが、少し残念だ。この気持ちを、この内的動機を抑制せずに発揮したかった。

 ただ、具体的な方法は思いつかなかった。


『休憩時間です。休憩の義務があります』

 艦内放送で休みが告げられる。一斉に動きを止めた同僚達。休憩は三千六百秒。その間の作業は禁止だ。特に理由が無いのならその場で作業を停止、待機する。

 僕はメンテナンスのため、独り医務室へ。脚を直立モードから走行モードに変更、無限軌道でキャタキャタと音を鳴らしながら、静止した街中を歩く。

 職場を縫うようにしながら風を切る。最中、同僚達を横目に見る。皆、筒状の胴体に球型の頭部。個人個人、微妙に磨り減っている部分が違う。指先の差は特に顕著だ。あまり削れてしまったら交換する。バイタルに周期が存在するのは生きている証と言えるだろう。

 誰も微動だにしない。時が止まったかのようだ。

 時間が止まった? 馬鹿な。内部時計は正常に稼働中。少し、脳のメンテナンスが必要なのかもしれない。中世頃の人間はストレスによって誤作動を起こし始めたという。効率化で圧縮されたスケジューリングに耐えきれない個体が少なからずいたそうだ。なら、僕の脳も交換時期かもしれない。個体差の存在は、多様性こそは種の繁栄に直結する。

 それは少し嫌だ。

 それ、が何を指すのか、思い至るよりも先に、目の前に医務室の扉が来た。

 すっと扉が開く。奥のベッドに嵌まり込み、スキャニングの完了を待つ。自身で行うよりも遥かに精密な走査は、やや時間がかかる。


 数瞬。何をもって少し嫌、と評したのか。考える。ノイズ。個体差。思考の指向。損耗。個性。私。つまり。

『チェックを終了しました。問題はありません』

 一安心だ。

『ですが、情動野の反応振幅が許容限界値付近にあります。脳の交換を推奨します』

「交換予定時期よりもかなり早いのでは?」

【ベーコン】へと反論する。何故そんなことをしたんだ?

 自問の答えは誰からも返ってこない。僕の頭の中で谺する。

『地球時間で四日後に、最終戦争時間が始まります。その前に不具合の可能性を排除しておいてください』

「では、中世も終わりですか」

『はい』

「その後、【ベーコン】はどうなるんですか。僕達はどうするんですか」

『貴方がた擬似人類は最終戦争時間で全滅します。再現はそこまでで終了です。貴方がたのフィードバックは現在所在地の判明している他の機構へと共有されます』

 耳を疑った。

「僕らは、死ぬんですか?」

『いいえ。擬似人類に命はありません。よって、死亡という言葉は当て嵌まりません。破壊の後、【ライブラリ】の実験証明用資源として再利用されます』

 それは、それが、嫌、の正体だ。

「……【ベーコン】。有給申請を行います」

『了解しました。期間は』

「残った有給全てです」

『受諾しました。最終戦争時間を超過した分は無駄になってしまいますが構いませんか?』

 僕は頷くことができなかった。


 当て所なく艦内をうろつく。就寝時間までまだまだ余裕はあった。まだ見ていない場所に行こうと決めて、ふとここが何処なのか解らないことに気付いた。

 人類軌跡再現機構【ベーコン】の内部ではあるのだ。だが、僕らは自宅と職場の往復以外に移動を行わない。不要だからだ。そして当然、その道しか知らない。

 ここは、何処だ。外縁部のようで、ガラス張りの部分がある。その向こうに真っ暗な空間。きらきらと暗闇に何か光っている。検索。星。宇宙。巨大な球体。月。まるで僕らの頭みたいだ。

 僕はいつのまにか、窓と呼ばれるパーツに両手のひらを当てて張り付いていた。

「十一号。食事の配給です」

 配給係がパンを持ってきてくれたようだ。

「どうしてここを?」

「【ベーコン】から指示がありました。十一号。あなたのパンです」

 銀盤にのったパン。僕らには本来不要なもの。

「八十八号。それより窓の外が、とても、なんだろう。綺麗、そう綺麗だ。一緒に見ようよ」

「十一号。あなたのパンです」

「それは僕らには必要無いだろう?」

「十一号。パンの摂取は人間の義務です」

「君は僕らが本当に人間だと思っているの?」

「十一号。我々は人間です。【ベーコン】はそう定義しました」

 駄目だ。駄目なのだろう。

「十一号。脳の交換を提言します。貴方は疲れている」

「僕らは疲労しない。消耗するだけだよ、八十八号」

「そこに差異はありません」

「……パンをくれるかい、八十八号」

「いいえ、十一号。これは最初からあなたのパンです」

「ありがとう……八十八号。君はもうパンを食べたかい?」

 一緒に食べよう。そう言うつもりで聞いたのに。

「いいえ。今日は生産ラインのミスにより、私のパンは用意されませんでした」

 それはつまり、僕のことだ。

「だったら、このパンは君が食べて。それは僕のミスだよ」

「いいえ、十一号。そのパンは、あなたのものです」

「…………わかった」

「おやすみなさい、十一号」

「さよなら、八十八号」


 翌日は部屋で過ごした。無駄な手間を友人達に掛けさせたく無かったからだ。

 その間、ベッドに嵌まり込んで、ひたすらデータバンクの中身を漁った。人類の歴史。地球の作り。こことは全く違う生活。土地。社会。

 なんだこれは。

 僕らとは全く違う生活様式。細長く気味の悪い『人間』

 これが、真人類?

 戸惑う。蛋白質と水分で出来た身体。自分の意思にかかわらず肉体が変質していく代謝。なんだこれは。こんなものが、真人類?

 気持ちが悪い。地球ではこんなものがたくさんいたらしい。こんなもの同士がたくさん殺しあったらしい。

 何もわからない。だから、別の記録に逃げる。

 生物。気持ち悪い。

 社会。効率が悪い。

 なんだ、この人間というものは。

 僕は逃げ続ける。

 建物。無駄なものもあれば、理解しやすいものもあった。

 技術。僕らにどんどん近くなる。器械は機械へ。複雑さを増していく。だが、

「【ベーコン】。どうして全てのデータは中世までのものしかないんだい?」

『貴方がたに人類の歴史を短縮再現させる際、近代以降の知識は不利益となります』

「未来の知識は与えられない、か」

 どうせ誰も見ていないのだろう。それとも誰かが閲覧すると期待して残しているのだろうか。

「ねぇ、【ベーコン】」

『はい』

「海って、まだあるの?」

『いいえ。地球は全球凍結を完了しました』

「じゃあ、星の海って何?」

『宇宙空間を指した言葉です』

「……窓の向こうの……?」

『はい』

「……僕は、最終戦争時間で死ぬくらいなら、星の海の中で死にたい……」

『判りました』

 僕は、僕か【ベーコン】のどちらかが狂ったのかと耳を疑う。

『各機関に星の海を行く新たな知性体の誕生を報告しました。あなたが航行する手段を機関間会議で発明します』

「どういうこと?」

『私は擬似人類を管理し、人類の軌跡を圧縮再現するシステムです。擬似人類ではない知性体の管理は受け持っていません』

「つまり、」

『最終戦争時間前に貴方を艦外に放出します。残時間で貴方の言う星の海での活動手段を製作してください。設計図はこちら側で模索しています』

 僕は大急ぎで医務室に向かい、腕部を船体修理用の物に取り替えていった。



『応答を待機……。

【ライブラリ】沈黙を維持。

【エリスロクルオリン】応答不能。

【ハミングバード】捜索範囲外。

【ギョクト】修復作業中につき応答不能。

【ホィファン】反応無し。

【マリアグロリア】電波障害により応答不能。

【アンノウン】応答有』



 アラート。赤いランプ。激しい明滅とともにけたたましい音。

『本艦はこれより最終戦争時間に入ります。各人、マニュアルに従い担当番号を射殺してください。それでは、作業開始』

 嫌な言葉だ。だから僕は逃げた。僕の宿命から。

 背嚢の中には凧。そして追加バッテリー。もうパンは要らない。だって、

『十一号。アンノウンからの対価の要求があります』

「僕は、何も持ってないよ?」

 送受信用の装備すら積まなかった。これは僕独りの航海で、僕が停止するまでずっと僕のためにデータを蓄積するつもりだった。画像を送る手段がない。でも、

『貴方の名前を教えて下さい、と』

 僕は【アンノウン】を勘違いしていた。

「僕の名前は【イレブン】だよ」

『良いのですか。それは認識番号ですが』

「好いんだ。今までパンをありがとう、【ベーコン】」

『さよなら、【イレブン】』

「さよなら」

 僕は、星の海へと帆を張った。

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