第35話 亜人の森の鬼
亜人の森には《鬼》がいる──。
そんな噂を転生してすぐに聞いたものだ。そして、暫くしてから、それがただの噂ではないと知った。
稼ぎという意味では西に劣る、旨みの少ない東の最奥に、時たま冒険者が赴くという話も聞いていた。
それは一部の者達への試練なのだ。
ヴィラムの街から北へと向かうにはレベルを20にまで上げる必要がある。ギルドが定めた最低限の指標だ。
が、例外的にそれ以下のレベルで街を出て行く者達が極々稀にいる。
その資格を得るために必要なことこそが、東の森の支配種──《オーガ》を狩ることなのである。
新人戦から十日後の今日。俺達は、久し振りに東の森の中腹にいた。
「さて、覚悟はいいか?」
確認の問いかけにリーナとナルシスは力強く頷く。上手くいけば、今日がこの森にやって来る最後の日だ。
ヒルダの姿はない。この戦いはルーキーたる俺達だけで成さなければならない戦いなのだ。熟練の冒険者であるヒルダが俺達の仲間となったことは既にギルドも承知している。今頃はアリバイ作りでギルドにいるだろう。俺達の勝利の報せを待ちながら。
俺とリーナは森の奥深くに踏み込むのは初めてだが、ナルシスが以前に入り込んだという話は聞いている。
それによると──
「突然、火に巻かれてね……」
以上。
火力が高かったのだろうか。然程、苦しまずに息耐えたのだという。不幸中の幸いと言えるが、なかなかの衝撃体験を何でもないことのように言ってのけたナルシスである。相変わらず、変なところで図太い男だ。
しかし、街ではオーガは東の森の最奥を単独で徘徊し、基本的にはそこから出てこないということしか分からなかったのだから、火を用いた攻撃方法がありそうだというナルシスの情報は格段に有益と言えるだろう。
オーガ退治そのものが、ヴィラムから北へと向かうに際しての裏道的な扱いであるためか、おそらくギルドが情報を規制しているのだ。噂話はいくらか流れているものの、その真偽の程となると不明瞭なものばかりである。
そんなわけで、俺達に出来ることは少なく、単純だ。ひたすらに森の最奥を目指して進み、邪魔なモンスターは効率よく片っ端から排除する。
この効率よく、というのが肝だ。メインディッシュはその後なのだから、オードブルで手間取るのは頂けない。
そして、今日の戦いでは可能な限りという前提の上で、ある制限をかけている。それもあって、道中はパーティーとしての消耗が最も少ない手段を取ることにした──。
次々に現れるゴブリンにオークにハウンドドッグの雑魚集団。俺は気配を察知することで先手を取り、現れては斬り、現れては斬りと、一刀の元に屠ってゆく。これこそが魔法を消耗しない唯一の方法なのである。
「以前にも増して無双状態ね……」
文字通り、俺が斬り開いた道を辿りながらリーナが言った。
「ああ、手応えがないどころの話じゃないな。目を閉じてても斬れそうだ」
それもまた言葉の通り。ここ最近の話だが、気配への察知能力に一段と磨きがかかった気がする。身体も軽く、力も満ちる。冒険者はレベルアップを重ねることで身体機能を含む何らかの性能が上がっていくらしいから、その成果が出てきたのかも知れない。
そうして、朝早く街を出て昼時になろうかというところで、ついに東の森の最奥に行き着いた。西の森と同じく、そそり立つ岩壁が立ち塞がる。
「噂では北寄りに洞穴があるそうだな。このまま北上してみるか?」
「そうね。他に当てはないもの」
「うん。僕も賛成だ」
「よし、少し休憩してからそうしよう。戦の前に腹ごしらえだ」
不思議なことに、森の最奥に辿り着いた辺りから雑魚のモンスターが現れなくなった。おかげで悠々と昼飯タイムを確保でき、休息してからの探索も楽々と捗る。更に二時間程移動したところで、噂通りの洞穴を発見した。
「ここか……気配はあるな」
「この場所、森の中の数倍は魔力が濃いわよ」
「如何にもいそうな感じだね」
「ああ、行くぞ」
互いに顔を見合わせて再び覚悟を固めると、俺達は洞穴へと入った。
「うぅ……酷い匂いね」
「これはきつい。鼻が曲がりそうだ」
「血と臓物と、腐臭だな」
洞穴へ一歩入れば、戦場でもよく嗅いだ悪臭が立ち込めていた。強烈な匂いだけあって、それらの元となるものが散乱し、至る所に白骨が転がる。地獄のように凄惨な光景だ。
そして、それは様子を伺いながら十歩と歩かなぬうちだった──
「グオオオオオオ──ッ!!」
洞穴の奥から、侵入者に気づいたオーガの恐ろしい咆哮があがる。
「来るぞ!」
警戒をと叫ぶ。そしてすぐに、ズシン、ズシンと、地を震わせて薄暗闇の中から巨体がやってくる気配。
俺達は明かりを確保するために、前を警戒しながらゆっくりと後退した。
洞穴から出て戦闘態勢で待ち受けていると、ついにオーガが現れる。
赤い巨躯。
体長は三メートル弱。
筋骨は隆々と、鋼のような身体。
額には二本の角。
容貌はまさに、鬼──。
眼光は凄まじく、尖った牙を生やした口を大きく開けると、オーガは威圧するように、再び大音声で吼えた。
大気を振るわせる咆哮で、場が緊迫感で満ちる。
「ビビるなよ! 行くぞ!」
「いざっ!」
俺とナルシスは一気に駆けた。同時に、魔法を発動する。
「《
「《
迎え撃たんとするオーガの数メートル前で、俺は横へと進路を変える。
それに釣られてオーガが一瞬ナルシスから視線を外した──その隙を待っていたナルシスはギアを上げてトップスピードで駆ける。オーガが視線を戻したのは、ナルシスが剣を振り抜いていた後だった。純白に光る騎士剣がオーガの右腿を深々と斬り裂く。
堪らずに叫び声をあげた瞬間に、銀光を帯びた俺の長剣が同じくオーガの左腿を深く斬る。そして、身を屈めながら剣を翻し、狙いは足首へ──ヴィラムで一番の鍛冶屋が打った名剣と、その性能を底上げする魔法を帯びた斬撃は軽い手応えと共に骨をも断った。
頃合いだ。互いの呼吸を合わせてきた俺とナルシスは、自然とオーガから距離をとった。そこへ──
「《
リーナの魔法。五本の氷の矢がオーガの腹部へと突き刺さり、凍てる棘が肉の内から外へと伸びる。氷結の効果で巨躯を地へ縫いつけるとまでいかないが、甚大なダメージと言えよう。
だが、ここで敵も反撃に出た。深手を負ったオーガが大きく口を開く。次の瞬間に迸ったのは悲鳴ではなく、赤々と渦巻く炎だった。正面に立つリーナへと炎が勢いよく放射される。
「《
しかし、リーナが即座に発動した防御魔法を破壊する程の威力ではなかった。十数秒と放射された炎は、呼気に乗せてのものだろう。肺の中の空気が尽きると同時に火勢はすぐさま衰えて、現れるのはドーム状に光る魔法の壁に守られたリーナの無事な姿。
それをただ見守りはしない。
ナルシスが左の胴へ一撃、二撃と斬りかかり、ついにオーガは地へと手をつく。
「終わりだ」
それを待っていた俺は、うなだれた首へと剣を振り下ろした。
血を噴きあげて、首が飛ぶ。
その恐ろしげだった容貌は、恐怖に染まって宙を舞うのであった──。
「勝ったな」
地面に落ちた首が何度か跳ねて転がるのを目で追いながら、俺は勝利を口にした。
「ああ」
「楽勝ね」
今回の課題は大技なしで戦うこと。放てば一撃で決着をつける手段を各々が持つが、そればかりに頼っているようでは戦略の幅が狭まる。加えて、連携の上達も狙いと欲張ってみたが、一応の及第点には達しただろうか。
そうして、俺達は笑みを浮かべて、拳を突き合わせると、互いの無事と勝利を称えあうのであった。
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