第八十三話 竜司、安心する。

「やあ、こんばんは。

 今日も始めて行こうかな」


 

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 僕は目の前に聳え立つビルを見上げた。


 これからどうなるんだろう?

 そんな事を考えながら生唾を呑みこんだ。


「さあ、こっちだよ竜司君」


 ヤマさんと龍一さん、龍二さんに連れられて中に入る。

 中に入るとたくさんの警察官が忙しなく庶務に追われている。


「ええと、少年課は……

 八階か。

 さあ、こっちだ竜司君」


 僕は大型のエレエーターに乗り込む。

 竜三人が入ってもスペースに余裕のある大きさだ。


 じき目的階に到着する。

 そのまま外へ出る僕ら。



 少年課



「よおっ、涼子さんは居るかい?」


(あ、ヤマさんご無沙汰です。

 涼子さんですか?

 居ますよ。

 おーいっ!

 涼子さーん!

 お客だぞーー!

 ちょっと待って下さい。

 しかしヤマさんまた何で県警本部に?)


「君も知ってるだろ?

 栄の例の事件。

 その重要参考人を連れてきたんだよ」


 そんな話を聞きながら少し待つと一人の婦警がこちらにやって来た。


「あら?

 誰かと思ったらヤマさんじゃないですか」


「おぉ、涼子さん。

 相変わらず良いケツしてんなあ。

 ゲヘヘ」


「止めて下さいヤマさん。

 セクハラですよ」


 確かにこの涼子さんという婦警。

 胸はそんなに大きくないが全体的に均整の取れたプロポーションをしている。


 腰の位置も高くまるでスーパーモデルみたいだ。


 ストンとした長いサラサラのストレートの黒髪。

 目は大きく少し目尻が上がっている。


 何となく冷たそうな印象。


「あぁ悪い悪い。

 ちょっとこの子の世話係を任せようと思ってな。

 今抱えている仕事はあるかい?」


「いえ、私はデイリー業務ぐらいですが……

 この子は?」


「例の栄の事件の重要参考人だよ」


「この子が……」


 その涼子さんという人が近づいてくる。

 僕は咄嗟に身構えてしまった。


「キミ、こんな所までありがとう。

 名前教えてくれる?」


 涼子さんは屈み、僕と目線を合わせにっこり笑顔で質問した。


 前言撤回。

 この人は暖かい人だ。


 でも周りは知らない大人ばかり。

 そんな中で堂々と出来る程僕はずぶとくない。


「……すめらぎ……

 竜司りゅうじ……

 です……」


 涼子さんは屈んだ体勢を崩さず会話を続ける。


「そう、竜司君ね。

 私は飛鳥井涼子あすかいりょうこ

 よろしくね」


 手を差し出す涼子さん。


 僕は恐る恐る握手をした。

 手を離し、屈んだ体勢を戻す。


「でも竜司君も気の毒にねえ。

 こんなイカツイおじさんと仏頂面の双子に連れてかれて。

 怖かったでしょう?」


 少しおどけて言う涼子さん。

 ヤマさんはチェッといった表情で。


「何だよ。

 そんな事、無いよなあ竜司君?」


「えっ……!?

 ええ……」


 僕はキョドってしまった。


(自分たちも忠実に職務を全うしただけでありますっ!)


 龍一さん、龍二さんが同時に言う。

 さすが双子。


「ホラ、竜司君驚いてるじゃない」


 ヤマさんはガシガシ頭を掻きながら首を回す。


「やれやれ……

 これでも課じゃ丸くなったって言われるんだけどなあ……

 まあいいか。

 じゃあ涼子さんよろしくな。

 ワシはこれから雑務があるから上へ行くわ。

 じゃあな竜司君。

 その色っぽいお姉さんに甘えな。

 ワッハッハ」


(自分たちも通常勤務に戻るでありますっ!)


 龍一さん、龍二さんはビシッと敬礼する。


「お前ら、聖塞帯せいさいたい無いんだから無茶すんなよ」


(はっ!

 ありがとうございますっ!

 では失礼しますっ!)


 龍一さん、龍二さんは一礼して去って行った。

 じきにヤマさんも去って行った。


 僕は一人になった。


 ガレアもどこかへ連れて行かれ孤独感が僕を襲う。

 戸惑っていると涼子さんが優しく声をかけてくれた。


「じゃあ、竜司君。

 ここは騒がしいから別の部屋に行こっか?」


「……はい」


 涼子さんに連れられ、応接室みたいな部屋に入る。


「さあ座って」


 ソファーに座る僕。

 向かいに座る涼子さん。


 しばし沈黙が流れる。

 気を使った涼子さんが口火を切った。


「あ、そうだ。

 頂き物のお菓子があるんだ。

 持って来るわね。

 あと飲み物も持って来るけど何が良い?」


「……じゃあオレンジジュースで……」


 今何時だろう?

 少なくとも日は跨いでいるはずだ。


 僕はスマホで時間を確認した。



 午前一時三十分



 随分夜も更けたものだ。


 まあ関係ないか。

 警察に厄介になって僕はめでたく引き籠もりに戻るんだし。


 僕は皮肉交じりに自分を推測った。


 トントン


 ドアをノックする音がする。

 涼子さんがクッキー缶と飲物を二つお盆に乗せてに持ってきた。


「竜司君、お待たせ」


 ソファー前のテーブルにお盆を置きそのまま向かいに座る。

 そして上品にミルクティーを一口飲んだ後、話しかけてくる。


「ふう……

 そういえば竜司君。

 苗字がすめらぎって……

 もしかして豪輝ごうきさんの弟君?」


「兄を知っているんですか?」


 涼子さんがぽんと柏手を打つ。


「やっぱり。

 すめらぎなんて苗字珍しいものね。

 それで竜河岸って言ったらそうじゃないかって思ったわ」


「そうですか……」


 僕の気の無い返事を聞いて何かを察した涼子さん。


「あら?

 もしかしてお兄さんの事、あまりよく思って無いのかしら?」


「いえ……

 そう言う訳では……」


 僕は言葉を詰まらせた。


 僕が豪輝兄さんに抱いている感情は一言では言い表せない。

 僕は焦点をずらす為に別の話題を振ってみる事にした。


「……そう言えば飛鳥井あすかいさん……」


「ウフフ。

 私の事は涼子で構わないわよ」


「じゃ……

 じゃあ涼子さん……

 普通、警察って苗字と階級で呼ぶんじゃないですかね?

 それなのに兄の事は名前呼び……

 一体、兄とどう言ったご関係なんですか……?」


 そう聞くと涼子さんの様子が変わった。


「かかっ……!?

 関係っ……!?」


 涼子さんは頬を赤らめ、胸の前で両手の人差し指を合わせモジモジし出した。


 何か十歳以上若返ったみたいで少女の様だ。

 黙ったまましばらくその所作をしてようやく口を開く。


「……一応……

 ……恋人……」


「そうなんですか……」


 涼子さんの少女の様な人差し指の所作はまだ続く。

 いつまでやってるんだろう?


「そりゃあ……

 豪輝さんは公安部の特殊交通警ら隊の隊長って言う花形ポストで素敵な男性よ。

 私みたいな所轄の一巡査には勿体ないぐらいの人だわ……」


「兄ってほとんど家に帰って来ないですけどそれで付き合えてるんですか……」


 涼子さんがピクッとなる。


「あ……

 あの人は日本の竜河岸関連の事件の七割ぐらい管理している人で……

 いつも日本中を飛び回っているからしょうがないわ……」


「……そうですか……

 はぁ……」


 いつまでたっても気が晴れない僕を見て涼子さんが踏み込んできた。


「竜司君……?

 私からも一つ良いかしら?

 どうしてさっきからずっと落ち込んでいるの?

 良かったら……

 私に話してくれない?」


「………………あの……

 僕は家出中なんです……」


「そう…………

 何でそんな事をしたか聞いても良いかしら?」


「……家に……

 ……居場所が無くて……」


 僕はブルッと震えた。


 旅が本当に楽しい事ばかりだっただけに久しぶりに家での辛かった時の事を思い出したからだ。


 涼子さんは話を続ける。


「……そう言えば豪輝さん、実家は加古川って言ってたわ。

 そんな遠い所からよく名古屋まで来れたわね。

 旅費とかはどうしてたの?」


「それは……

 兄からの仕送りと旅で出会った人たちに助けられて……」


「そう……

 出会った人たちは優しかった?」


「はい……

 それはもう……」


「そう……

 それは良かったわ」


 涼子さんは笑顔でそう言った。


 その笑顔に何か包み込まれるような優しさを感じる。

 この人は信用しても良いかも知れない。


 少し沈黙が流れた後、僕は重い口を開け、そして話した。


 横浜事件の事。

 引き籠もりになった事。


 家で空気の扱いだった事。


 ガレアと出会い、救われた事。

 今、横浜に向かって旅をしている事。


 僕は全てを話した。


「そう……

 驚いたわ……

 広域重要指定125事件は竜司君が引き起こしたのね……

 あの事件は急にぷっつり捜査をしなくなったって聞いたけど……」


「それは多分祖父が裏から手を回したんだと思います……

 …………家の名前の為にっ!!」


 僕は語尾を荒げた。


「落ち着いて竜司君。

 話を聞く限りでは逆鱗に触れたのは事故よ」


「はい……

 すいません」


 僕は深呼吸をして落ち着いた。

 涼子さんが口を開く。


「まずはありがとう。

 話してくれて。

 これで竜司君がずっと元気が無い理由が解ったわ。

 私達に連れてかれたから家に戻されるって思ったんでしょ?」


「はい……

 やっぱりそうなんでしょうか……?」


「安心して竜司君。

 おそらくそんな事にはならない。

 今の児童福祉法ってのはねそう言うネグレクトの保護者に対しても適用されるの」


「ネグレクト?」


「ネグレクトっていうのは児童に対する保護者の著しい無関心、無理解による育児放棄の事よ。

 竜司君は充分それに当てはまるわ。

 希望なら旅を続けられるかもよ」


 僕は黙った。


 頬に水が伝うのを感じる。

 僕は黙ったまま泣いていた。


 良かった。

 本当に良かった。


 助かった。

 地の獄である家に帰らなくて良い。


 心の底からそう思い、全身で喜びを実感。

 そんな僕を見て涼子さんが気を使ってくれた。


「そんなに辛かったのね……

 もう一度言うけど安心して。

 ホラもう泣かないで」


「はい……」


 僕は涙を拭った。

 と、同時に安心から欠伸が出てまた頬に水が伝う。


「あら?

 眠たくなった?

 それもそうね。

 もう深夜二時だもの。

 こんな時間だと宿を取るもの難しいし今日は県警の仮眠室で泊まっていきなさい」


「……はい」


「あと明日、豪輝さんもこっちに来るから」


「ええっ!?」


 僕は一瞬で目が覚めた。


「何故ですか!?」


「だって栄の事件って五百人規模の大乱闘事件よ。

 多分事件名は広域重要指定126号事件って呼ばれるんじゃないかしら?

 竜河岸関連の事件でこれだけ大規模なのは初めてだから隊長自ら来るって事よ」


「……そうですか」


 僕は納得した。

 いや、納得せざるを得なかったというのが正しい。


「でもこっちに到着するのは朝の八時頃らしいし、まだ時間はあるわ。

 ぐっすり眠って心の準備をしておいてね。

 嫌いじゃないんでしょ?

 お兄さんの事」


「……はい」


 僕は涼子さんに連れられて三階上の仮眠室に案内された。

 だだっ広い和室はがらんとしていて誰も寝ていない。


「お布団ココだから。

 あんまり使われないから好きな所で寝て良いわよ。

 あと狭いけど隣にシャワー室もあるわ」


「ありがとうございます」


「じゃあ私は仕事に戻るから。

 また朝に起こしに来たげる。

 じゃあお休みなさい……」


 涼子さんは静かに扉を閉めてくれた。

 僕は手早くシャワーを浴び、布団に入った。


 今日は疲れた。

 僕はすぐに眠ってしまう。


 本当に疲れた時に眠ると一瞬で時が過ぎるんだよな。

 僕の感覚でほんの数秒で目を開ける。


 ゆっくり体を起こす。

 窓の外はもう日が昇っている。


 僕はスマホで時間を確認した。



 午前七時九分。



「ん~~……

 ガレア……?」


 居ない。


 普段の習慣でガレアを探した。

 僕は今警察署に居るんだった。


 着替える為、布団から出る。

 手早く完了し、布団を三つ折りにたたみ隅に片づける。


 確か涼子さんが起こしに来るって言ってたな。


 待とうか。

 でもトイレにも行きたいし僕は部屋から出る事にした。


 ガチャ


 扉には鍵はかかっていない。

 不用心だな。


 僕が逃げるとか思わなかったんだろうか?


 案内板を頼りにトイレに辿り着く。

 用を済ませ外に出て何気なく左を見た。


 するともう一枚扉があった。

 なるほどそう言う事ね。


 ガチャリ


 そんな事を考え見つめていると扉の鍵を開ける音がする。

 涼子さんが入って来た。


「あら?

 おはよう竜司君早いのね」


「おはようございます」


 僕はぺこりと挨拶した。


「どう?

 ぐっすり眠れた?」


「はいおかげさまで」


 涼子さんは手に持っていたコンビニ袋を見せる。


「お腹空いてるんじゃない?

 コンビニだけど朝食を持って来たわ」


 僕はコンビニ袋に薄く映る中身を見る。


 ぐう


 同時に腹の虫が鳴る。

 眼と脳と腹が繋がっている事を感じる。


「フフフ、私もお腹ペコペコ。

 一緒に食べましょ」


 僕ら二人は仮眠室に戻り、畳の上に食べ物を広げる。


「さあ、どれでも適当に取って食べてね」


 僕は言われるままサンドイッチを手に取り食べる。

 食べながら僕は涼子さんと話をした。


「涼子さん徹夜ですか?」


「二時間程、仮眠は取ったわよ」


 改めて警察が激務な事を認識した。


「それはしんどいですね……」


「いつもはちゃんと定時には帰れるんだけどね……

 今色々事件が立て込んでて。

 あんまり寝不足が続くとお肌にシミが出来ちゃうんだけどね」


 涼子さんはおどけて言う。

 切実ではないのは全然涼子さんの肌は綺麗だからだ。


 僕は話を進める。


「そう言えば涼子さんっていくつなんですか?」


「あら?

 女性に年齢を尋ねるなんて失礼よ竜司君」


「す……

 すいません」


「まあいいわ教えてあげる。

 二十五よ」


 年相応と言った感じだ。

 豪輝兄さんより三つ年下か。


 思わず口に出てしまう。


「年下か……」


「え?」


「いや、豪輝兄さんより三つ年下だなって。

 確か兄さんは今二十八のはずだから」


「そういえばそろそろお兄さんこっちに着くけど心の準備は出来た?」


「一応は。

 かなり会うの久しぶりですけど」


「お兄さんには一応、栄事件の重要参考人が竜司君だって伝えてあるからね」


 ひとしきり朝食を食べ終わり涼子さんが腕時計で時間を確認する。


「そろそろね……

 さあ竜司君、昨日の部屋でお兄さんが来るのを待ちましょう」


「わかりました」


 やはり少し不安が残る。

 そんな僕を察して涼子さんが声をかける。


「竜司君、安心して。

 来てすぐ二人きりにはさせないから。

 私も同席するわ」


「ありがとうございます」


 僕らは降り、昨日居た部屋に戻って来た。

 ソファーに座り、兄さんを待つ。


 じきにドアの外が騒がしくなってきた。

 到着したのだろうか?


 僕は少し緊張して来た。


 ガチャ


 部屋のドアが開く。

 兄さんがやって来た。



 ###

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「はい、今日はここまで」


「パパー?

 ネグレ何とかってなあに?」


 たつが尋ねる。


「ネグレクトだね。

 お父さんお母さんが自分の子供に興味を示さない事だよ」


「それが何でイヤなの?」


 たつはこの深刻さがピンと来ていないらしい。


たつ、考えてごらん。

 今はママが朝と晩にご飯を作ってくれてるだろ?

 それはママがたつに愛情を持っているからなんだ。

 さっきの言葉で言い換えるなら興味を示しているからだね。

 じゃあその逆のネグレクトって言うのがどういう状態か考えてみよう」


 たつはブルッと震え頭から布団をかぶってしまった。


「ウチは大丈夫だよ。

 ネグレクトなんて事にはならないから……

 じゃあおやすみ……」

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