Kill The King
アイダカズキ
プロローグ 業火
彼はひたすら逃げていた。
汗でぬめったズボンが足に纏わりつく。
胸部を覆う防弾チョッキは拘束具のように重く煩わしい。
周囲で殺される豚のような悲鳴が上がる。彼の「家族」たちが生きながら焼かれる悲鳴だ。
助けを求める悲鳴と、断末魔を聞きたくなくて耳を覆った――無駄と悟りながら。
全てが燃える、「家族」たちの身体と、築き上げてきた全ての上で、炎が意地悪い勝ち鬨を上げて踊り狂う。
足がもつれて転ぶ。立ち上がった時、ズボンの裾は彼自身のものとも「家族」のものともつかない血でどす黒く染まっていた。
死神が追ってくる。俺を殺すためにあの死神が追ってくる。
曲がり角の向こうから、ゆっくりとあいつが姿を現した。
中世のローブにも似た、ゆったりとした黒一色の法服を着た、見上げるほど背の高い男だった。服装そのものはおかしくなかった――なぜそんなところに裁判官がいるのかという点を除けば。
そもそも、なぜその両目がぼろぼろの包帯で覆われているんだ? その手に持った古ぼけた天秤は何の冗談だ?
「…………私は、あなたがたを裁かない」
炎と、悲鳴と、全てが崩れ落ちる轟音の中で、なぜかその声だけは、はっきりと彼の耳に届いた。
「あなたがたを裁くのは、この天秤です」
法服の男が高々と掲げた天秤が甲高い唸りを上げ、触れてもいないのに大きく傾いた。
狂ったように重機関銃の炎を吐き出していた尖塔が震えた。音もなくただわずかな煙のみを上げて、まるで波打ち際に作った砂の城のように、強固な尖塔がもろもろと崩れていく。戦闘員たちの悲鳴は、尖塔が崩れ落ちると同時に止んだ。
恐怖を覆い隠すための吶喊が間近で弾けた。法服の男が尖塔を崩している隙に、別の部隊が背後から攻勢に出たのだ。突撃銃と散弾銃が立て続けに火を噴く。
至近距離から浴びせられる高速弾と散弾に法服の男が確かによろめき、血が飛び散るのが見えた――だが倒れない。
なぜ死なない? 何十発も弾丸を浴びせられて死なない奴なんてこの世にいていいと思っているのか?
法服の男が首をめぐらせた――それで終わった。じゃああっ、としか形容のしようがない男とともに、悲鳴すら上げられず戦闘員たちが人型の灰となって崩れ落ちた。手にした銃も、ボディアーマーも、幾百幾千の火の粉となって文字通り、消えた。
そんなでたらめな話があるか?
よろめくようにして玄関から這い出た――鮮血に染まった噴水と、湯気を立てる臓物に覆いつくされた庭園を横切って。
黒光りする防弾仕様車が目の前で急ブレーキをかけた。悲鳴を上げて飛び退いた彼は、車内からこちらを見返す生き残りの護衛たちを見出した。
「
言葉の後半は喉をつんざく絶叫となった。次の瞬間、真上から巨大な拳で一撃されたように車体そのものが叩き潰されたのだ。二撃、三撃、破砕音とともに幾重にも連ねた装甲板が紙のように潰れ、彼の身長よりも車体が低くなっていく。助けを求めるように血まみれの掌がウィンドウを叩いたが、それも数度の衝撃が加わるまでだった。防弾タイヤが潰れ、ホイールが潰れ、割れたウィンドウの隙間から鮮血と肉片が飛び散った。
徹底的に性質の悪い、恐ろしく手の込んだ手品を見せられているようだった。手品のはずがあるか――ただの手品でどうやったら地雷の炸裂にも耐えうる防弾仕様車をパンケーキみたいに平べったくできるんだ?
背後でポストコロニアル様式の洋館が燃えながら崩れ落ちていた。嗚咽が勝手に喉の奥から漏れ出した。膝をついた――もう足に立つ力が残っていなかった。顔を覆った――なにも見たくなくて。
誰かが泣いている。とっくに殺したと思っていた、臆病で無力な少年が泣いている。
少年は死ぬことも昇天することもなく、ずっと彼の中にいた。
「見よ、侮る者たちよ」
顔を上げると、一人の男が立っていた。
「驚け、そして滅び去れ」
かつん、と軽い音が響いた。男の持つステッキの先端が路面を突く音だった。
「私はあなたがたの時代に一つのことをする」
50をとうに過ぎた、老人と呼んだ方がいい男だ。高価な生地が意味をなさないほど地味に仕立てた喪服のようなスーツに包まれた身体は、動くだけで軋む音が聞こえそうなほど痩せて、脆く見えた。貧相な、指先だけで捻り潰せそうな男だった。
「それは、人がどんなに説明して聞かせても
あなたがたの到底信じないようなことなのである」
呆然とする彼に向け、指先だけで捻り潰せそうな男は薄く笑った。
「何を驚いているのかね? ハッパ売りの頭目君。君が血眼で探していた〈犯罪者たちの王〉が自分から会いに来たというのに?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます