第8カ条
「ヒナオ君、元気戻ってきた?」
男らしさを美森に見せつけるべくお化け屋敷に挑み、見事に完膚無きまでに情けない姿を見せた俺はお城の外にあるベンチに座り、雄大に育つ入道雲を見ていた。
あまりに俺の姿が真っ白に映ったのであろう、美森が心配そうな表情で俺の顔を覗いてきた。
「うん、もう大丈夫。しかし、美森があんなにお化けに強かったなんてな」
俺が苦しまぎれの笑顔で返すと、美森は再び顔を赤くした。
「うぅ言わないでー。思い出すだけで恥ずかしい。あんなにはしたない姿を見せてしまうなんて」
はしたない…ってなんか、うん、グッとくる響きだ。
「私、小さい頃から妖怪とかすごく好きで。お化け屋敷もすごく楽しくて、つい。うわああ」
美森が楽しんでいたというのは凄く伝わってきたし、こうして体を小さくくねらせて恥ずかしがる姿は新鮮で、何が言いたいのかというと取りあえず良い時間だああ、と俺の元気も戻ってきたようだ。
「よしっ、せっかくお城来たんだし、もう1回、天守閣に入ってみる?」
「…私、妖怪も好きだけどお城はもっと好きだよ」
俺の提案に再び目を輝かせて頷く美森。自分の好きなモノに真っ直ぐな女の子なんだな。
俺は半歩後ろをニコニコしながら歩く美森が気になって、城内に展示してあった兜も日本刀も全く頭に入らないまま最上階につながる階段の前まで来てしまった。
「最後の階段はちょっと急だな。気を付けてな」
「うん、少し怖いから私が先に登ってもいい?もし落ちそうだったらヒナオ君に守って欲しいな、…なんてね」
少し冗談めかして笑う天使にただにやけるだけの僕。そして、我に返りすぐさまダンディに格好つけようと試みる僕。
「もちろんさ。美森は俺が命を懸けて守るよ」
花陽がいたら殴り倒されそうなほど寒い一言にも微笑む天使は恐る恐る階段を昇り始めた。
そして、俺はすぐさま気が付いた。慎重に階段を上っていくたびに揺れる花柄のワンピースに。そしてその先に広がっているであろう光景に。
「見ちゃだめだ、見ちゃだめだ、見ちゃだめだ…」
俺は心の中でただひたすらに呪文を唱えることにした。
「もう少しだ。上はけっこう風が吹いているよヒナオ君」
美森は小さく息を吐きながら、知らずのうちに俺の呪文を掻き消すかのように話かけてきた。
「おお、そうなのか」
一点集中。今の俺には階段の木目しか見えてこないぜ。帰宅部兼図書委員が絶対に普段使わないであろう集中力で階段を登り切ると、涼しい風が耐えきった俺を祝福するかのように体を通り抜けてく。何かいろいろな意味で心臓がドクドクとしちゃったよ。
「わあ、遠くのほうまで良く見えるね。気持ちいい」
美森の黒く短い髪が麦わら帽子の下で揺れる。
「…なんか分からないけどいいね」
「うん」
俺が長年、妄想の中でイメージしていた彼女との初デートのシチュエーションは全然違った。映画館だったり、遊園地だったり、ショッピングモールだったり。それが、まさか今はずっと好きだった女の子とお城で風に吹かれながらまったりと風景を眺める初デートなんて。
その時、強い風が2人の間を通り抜けた。
「わわっ」
花柄のワンピースがふわりと浮かんで、美森が慌ててそれを抑える。白い光が見えた…気がした。
俺は少しの罪悪感と恥ずかしさに包まれながら心の中で叫んだ。良いどころじゃない、超良い初デートだ、と。
その後、お城の外にあった茶店で2人並んで抹茶ソフトクリームを食べ、お城の近くにある庭園をゆっくりと散策するという、渋くも楽しい初デートを終えて、自分たちの住む街へ再び戻ってきた。
「凄く楽しかった。本当に今日はありがとう」
駅前広場で美森は深々と綺麗な姿勢で頭を下げた。
「いやいや、俺のほうこそ人生で最高の1日を更新したよ。また2人でどこかいこう」
「もちろんっ」
小さく手を振る美森を見送って、これまでに感じたことのない幸福感ともう少し一緒にいたかったなという寂しさで心が一杯になりながら帰途についたのだった。
今晩さっそく美森にメール送ろうかな、なんて考えながら歩いていたらあっという間に家についてしまった。
「ただいまーっ」
弾んだ声で帰宅を叫んだが返事がない。
「あー、父も母も仕事に行ってるのか、そうかそうか」
俺はルンルンと鼻歌を歌いながらリビングに入るなり、ドサッとソファに沈むように座った。
「ああー、なんて良き日だったんだ。」
今日の余韻に浸る俺は端から見れば相当に変質な者に見えるだろう。だがそれも仕方ないことなのだ。
「そうなのだ。ってスイカ?母が買ってきたのかな」
テーブルの上に置かれた立派な西瓜をぺチぺチと叩きながら、陽気に鼻歌を歌う俺は今この時、全世界で一番幸せな野郎に違いなかったのだった。
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