第7カ条
近所の犬の鳴き声が響き、太陽がゆっくりと空に顔をのぞかせる時間。いつもは静かな朝、伊笠家は大騒ぎだった。
「ちょっとーっ、俺のあの服どこにしまってるのか知らない?」
大騒ぎの原因である高校生の息子に母はあきれた声で応対する。
「知らないわよ。そこのタンスの中とかじゃないの。まったく、今日は朝からどうしたのよ」
どうしたのだって?そんなの答えも真実も1つにきまっているじゃないか。今日は俺が17年間、妄想の中だけの話だと思っていた彼女との決戦、もといデートの日だぞ。
そう、この話の発端は図書館で美森と仲直り?をした先日までさかのぼる。
図書館のロビーにあるソファに2人並んで座り、何を言えばいいのか脳内の辞書をめくり上げていた俺に美森が話しかけてきた。
「何か急に呼び出してこんな話をしちゃってごめんね。でもちゃんと聞いてくれてありがとう」
いつも凛としている美森が頬を染めているものだから、なんだか俺も恥ずかしい気持ちになり視線がふわふわと泳いでいた。
「…お化け屋敷」
「え…?」
それは壁に貼られていたお化け屋敷のポスター。俺の視線をたどって美森もそのポスターを見つけたようだ。
「毎年、お城の中でやっているお化け屋敷だね。私、怖いも…」
「行ってみようよっ」
ついここがデートに誘う好機だと思って食い気味にいってしまった。美森の反応はどうだ。恐る恐る横を向くと天使のように微笑む美森がいた。普段、キリッとしている目が微笑むと本当に可愛過ぎる。
「いいね、行ってみよう。明日は美術部の活動があるから、明後日とかどうかな?」
そうして美森との記念すべき初デートにワクワクしながなら、本日を迎えたわけですよ、はい。
俺は少しでも自分が持てる最大級のお洒落をしようと家族を巻き込んで準備をしていた訳ですが、途中で自分のセンスの無さをしっかりと再確認して、結局普段とそんなに変わらない容姿で家を出ることになった。
待ち合わせの最寄りの駅前広場には何とか集合時間の10分前に到着。こういう初デートで男が遅れるわけにはいかないしね。
美森がまだ来ていないことを確認して、ちょっと安心し一息ついていると向こうのほうから光が差し込んでいるのが見えた。
いや、誇張表現なんかじゃないよ。大きな麦わら帽子をかぶり、花柄のワンピースを揺らしながら微笑む美少女が光じゃなかったら何なんだ、と急騰するテンションを抑えて美森に挨拶をする。
「ごめんね、待った?」
「いや、全然待ってないよ。俺も今来たところ」
まさか生きていて女の子とこんな会話をする日がくるなんて。感激に浸っていた俺に美森が拳を上げてきた。
「良かった。それじゃ、お化け屋敷に向かってレッツゴーだよ」
美森もテンションが上がっているのか、学校で話す時より2段階ほど陽気な気がする。
「よし、行くぞー」
俺も美森に合わせて拳を天にあげた。
電車とバスを乗り継いで、辿り着いたのはそびえ立つ天守閣の前だった。お城とはいっても復元されたもので、エレベーターから冷暖房まで完備したある種、最新式のお城である。
「おおお、お城なんて小さいときに来た以来だけど、なんかワクワクするな」
キラキラしているであろう俺の目を見て美森が笑った。
「何か、ヒナオ君、子どもみたいで面白いね」
「やっぱり俺も男の端くれだからね。お城見てるとロマンが湧きたってくるのさ」
なんてダンディを勘違いした格好のつけ方をした俺を見て、美森はまた笑う。
「ふふ。あっ、あれだよ。お化け屋敷。まだ朝早いからあまり人も並んでないね」
お化け屋敷はこの天守閣の中に作られているようだ。
『よしっ』と俺は心の中で少し気合を入れた。
俺の(勝手な)イメージでは女の子はお化け、幽霊に弱いはずだ。そこを俺がダンディに守ってあげれば2人の仲はさらに深まり、初デートは大成功。あわよくば美森と初めて手を繋ぐイベントだって発生するかも…という邪な発想は数分後にあっけなく崩れ去ることとなった。
「…なんだこれ、すごく雰囲気あって怖すぎるだろ」
受付のお姉さんに『気を付けていってらっしゃいね』と笑顔で送り出されて数秒後、おそるおそる進む薄暗い通路で俺は震えていた。
「結構、怖い感じだね、美森。」
俺は虚しいかな、こんなにも恐怖に襲われている最中でも怖くないですよ、という口調で後ろを振り返った。
あれ?普段、俺の後ろを歩いているはずの美森がいないぞ。もしかしてはぐれたか?と焦って前を向くと、黒い影が目の前で揺れた。
「ひゃああっ。」
思わず情けない声が出た。
よく見ると美森の麦わら帽子の影だった。いつの間に美森は前に来たんだ。
「よく作り込まれてて、ワクワクするね。ヒナオ君」
薄暗い中でもわかるくらいキラキラと凛々しい目を輝かせ、美森はグイグイと前を進んでいった。
「え?あ、ちょっと待って美森。って、ひゃああああ」
城内に高らかな叫び声を幾度となく響きわたらせ、最後に飛び出してきた白装束の幽霊に驚いてこけた俺はライフポイントを限りなく0近くまで削り、お化け屋敷を後にしたのだった。
「…………」
疲労感と恥ずかしさと情けなさを感じながらベンチに座り込んだ俺の横で、また美森も顔を赤くしていた。
「ヒナオ君、やってしまったよ私」
「…?」
「私、怖いものすごく好きでテンションが上がってしまって、はしたない姿をヒナオ君に見せてしまった」
きゃああと小さく首を振りながら恥ずかしがる美森を見届けて、俺の魂は空に旅立っていった。
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