第6カ条

 高校生活の最重要期間の1つと言っても過言ではないであろう、夏休み。各々の夢に向かって部活に励む者、勉学に勤しむ者。

 そんな中、冴えない顔で午前10時にやっとこさ起床する者、伊笠日生、17歳。

「やっぱり帰宅部の夏休みの醍醐味といったらこれだよなあ」

 なんて布団の中で満足しながらモゾモゾとしていたら、部屋の外から爽やかな朝に似つかわしくない大きな声が聞こえてきた。

「ヒナオーッ。起きているの?お母さん、パートに行ってくるから後宜しくね」

「はいはーい」

 後宜しくね、の後とは何だ。洗濯物を干す任務か、食器を洗っておけということか。などと若干憂鬱になり、母が家を出る音を確認した後にゆっくりとベッドから這い出る。

 そして、枕元に置いているスマホを見て、メールが入ってないことを確認。大きなため息をついて天井を見上げるのであった。

 夏休み前に学校図書室の前で美森と変な雰囲気になってから、彼女の俺に対する態度は微妙によそよそしいものになっていた。メールは送れば返信はくる。あれから1回は一緒に帰ったりもした。それでも何か変な空気を感じてしまう。

「あああー、幸せだった頃に戻りたいよー」

 などと彼女いない歴=ほぼ年齢の男の発言とは思えないことを叫びながら、俺の夏休み初日がスタートしたのだった。



 たんまりと積まれていた洗濯物たちを日光浴させるべく丁寧に干して、食器の山を新品同様にピカピカに洗い上げた俺はひと休憩しようとアイスを握りしめ自室に戻った。

「メールが来ている。美森っ?」

 俺はチカチカと光るスマホの画面を急いで開いた。

“美山 美森”

「うおお」

“おはよう。夏休みになったね。突然だけど今日ってヒナオ君はどこか時間空いていたりしませんか?”

 俺のテンションは瞬間的に沸騰した。もちろん空いているよ、空いていますよ。一人で盛り上がる俺の脳内にふと冷静沈着な悪魔が舞い降りてきた。

「あれ、これってもしかして別れ話をされたりとかじゃないよな…。これで2人で会うのは最後ね…みたいな」

 急に脳内を悪魔に支配された俺は不安になってきた。

 しかし、俺が美森にする返答はただ1つだけだ。

“おはよう!今日はずっと暇だよ。どうしたの?”

 スマホのランプが光るのを待つこと3分。ソワソワする俺の元にメール到着の知らせが届いた。

“良かった。今日ヒナオ君に会いたいなと思って。”



 夏の昼下がり。俺はセミの鳴き声と子供たちの声が共鳴し大合唱を繰り広げている市立図書館の玄関前にいた。

「…よく考えたら美森と付き合い始めてから休日に会うのってこれまで無かったかも。美森の私服か」

 俺の脳内では美森の私服姿を妄想するハッピー野郎と別れ話をされるのではという悪魔の激しいせめぎ合いが始まっていた。

 脳内での戦いが始まって5分後、ハッピー野郎が攻勢を仕掛けていた頃に俺の目の前に悪魔も黙り込む清涼感を纏った美少女が小走りでこちらに向かってきた。

「ヒナオ君、こんにちは。急にメールしたのに来てくれてありがとう」

「…淡い水色のワンピースにサンダル。大きな麦わら帽子。…天使だよ、天使」

「え…?」

 うわああ。心の声がそのまま垂れ流しになってしまっている。夏休み初日に会って初めての第一声がこれとは世の全女性が引いてしまうレベルだよ。

「いやいや。私服姿の美森なんて初めて見たから少し感動しちゃってね」

 照れながら弁明する俺の言葉を聞き、美森も少し赤い表情を浮かべた。

「褒めてくれているんだよね。ちょっと恥ずかしいけど嬉しいよ」

「暑いし、中に入る?」

「うん」

 俺が先に図書館の中に入り、美森がこれに続く。最近はこの距離感がつかめてきた気がする。美森はいつもの通り俺の少し後ろを歩いている。

「ちょっと待って、ヒナオ君」

 図書館のロビーで突然歩みを止められた。

「…話をしたいことがあるの。少しソファに座らない?」

 神妙な面持ちで提案をしてきた美森を見て、俺の表情が固まった。やはり、やはりなのか。

 隣同士でソファに腰を掛けると、美森は麦わら帽子を膝の上に置き、小さく息を吐いた。

「ヒナオ君、ごめんなさい」

 俺の心臓が5秒間止まり、そしてドクドクと早く脈を打ち始めた。恐る恐る隣を見ると、美森はギュッと目をつぶって下を向いていた。

 なんて早く儚く散っていく青い春なんだ、と俺は覚悟を決めた。

「いや、そんなことは…。」

「私っ、ヤキモチをやいてしまっていたのっ」

 突然かつ想像をしていなかった告白だった。

「ヤキモチをやいてしまって、どうヒナオ君の顔見ればいいのか分からなくなって。変な態度とっちゃってしまってごめんなさい」

「え、…ヤキモチ?」

「うん。ヒナオ君が友達と仲が良いのは嬉しいことだと思っているし、分かっているんだけど。すごく、その、羨ましいって、そう思っちゃって」

 なんとなく花陽のことを指して言っているんだと察した。

「女の子はこういう時でも気にしないで笑っておくものだと考えていたんだけど、けど、私初めてで。…その、こう羨ましいって思っちゃうのが。それで変な態度とってしまったからどうしてもヒナオ君に謝りたいって思ったの」

 俯きながらワンピースの裾を掴む美森の姿とその言葉に俺はKOされた。好きな女の子からヤキモチをやかれることがこんなに嬉しいものだと知らなかった。

 数分前まで俺の脳内で強大な勢力を誇っていた悪魔はどこかへ行ってしまったようだ。

「こっちこそ美森に変な心配かけてごめん」

 美森は俯いていた顔を上げて俺のほうをそっと見た。そして、普段はキリッとしている目尻を下げて微笑んだ。

「嫌だと思ったら俺に我慢せずに言ってくれていいから。そうして2人の仲は深まっていくものだと思うから」

 美森がコクリと可愛く頷く。

 俺の最高な青い春はまだまだ続きそうです。

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