ムラサキシキブのせい


「ねえ、これ、あのあじ?」

「だから、ぼくにはわかんないです」

「こまるの。ねえ、あのあじ?」


 来る日も来る日も。

 男の子は目玉焼きの味見をさせられています。


 今日は雨降りの中。

 いつものように、お勝手の扉の前。

 飛び石にフライパンを置いて食べているので。


 雨水がフライパンをぺんぺんと鳴らして楽しい反面。

 いつもよりびっしょりなので、薄い味に感じます。


「……やっぱり、めだまがまるくないとだめ? おいしくない?」

「たぶんまるいほうがおいしいとおもう」


 何のために味見をさせられているのかもだんだん分からなくなってきた男の子。

 でも、正直に感想を言うと女の子はこうしてしょげてしまうし。


「ううん? ほんとはおいしかった!」

「ほんと? あのあじになってる?」


 そしてウソをついて褒めると。

 自分の知らない、女の子が探している味かどうか確認されるのです。


 男の子は、困って返事も出来ないので。

 代わりに、心配事を話しました。


「それより、ようちえんにきて? みーんな、しんぱいしてます」

「だって、ママ、かぜなの。あと、めだまやきをつくんなきゃいけないの」

「うん。それでね、かぜがはやくよくなりますようにって、ようちえんのみんなでツルをおってるの」


 男の子がツルの真似をすると。

 女の子が笑います。


「ツルをおってるの?」

「おりがみ、もうたくさんおったの!」

「なんで?」


 確かに。

 男の子はどうして千羽鶴を折るのか意味を知りません。


 でも、風邪をひいた人にツルを折る理由はきっとそう。

 男の子は自信を持って答えます。


「きれいだから! きれいをみると、ちがった、きれいなのみると、げんきになるのとおもいます!」

「きれいは、げんきになるの?」


 女の子は何か閃いたようで、家の中に入ってしまいました。


 雨音がぺんぺんとフライパンを鳴らす中。

 男の子がしばらく待っていると。


 ずーっと昔に見た覚えのあるピンクの箱を持った女の子が。

 お勝手の扉から顔を出します。


「きれい、これ?」

「それおぼえてる。なかにはいってたまるいの、きれいなやつ」

「ぶろーちっていうんだよ?」

「このはこ、ぶろーちっていうんだ。これもきれいです」


 男の子は勘違いしているようですが。

 女の子は気にせず聞くのです。


「じゃあ、これは? あたしのいちばんのきれい」


 女の子は宝石箱の蓋を開けて男の子に見せますが。

 その中には、かつて見た丸い物の代わりに。

 くしゃくしゃになった紙のような物が入っているだけです。


 だから男の子は、このくしゃくしゃでは無くて。

 ブローチの話をしているのだと思ったので。

 元気に答えました。


「これ、きれい!」

「ほんと!? じゃあ、ママに見せてくる!」


 そして女の子は。

 フライパンと男の子をその場に放って、家の中へ入ってしまいました。




 ~ 十月十七日(水) 誕パ好?嫌?好? ~


   ムラサキシキブの花言葉 賢さ



 体育の授業。

 今日は千五百メートルのタイム測定。


 その準備を先生方がしている間、俺は渡さんと神尾さんに相談していました。


「思い出せないのですが、確かにブローチが一番好きなものと言っていたのです」

「思い出せないのに? 確かに?」

「はい。……多分」

「不確かじゃない」


 おっしゃる通りの渡さん。

 そして、苦笑いを浮かべる神尾さん。


 俺が有識者と認める二人に頼らなければならなくなったのも。

 さすがに身の危険を感じているからでして。


 修学旅行も来週に控え。

 早いところ、解決しておかないと。


「このブローチの謎が解けないと大変なのです」

「プレゼントを買えないから?」

「いいえ。昨日は母ちゃんに叱られて、家の廊下に立たされたのです」

「……関係性はまったく分からないけど、家で?」

「そしてもう許したげると言われた直後、珍しく早い時刻に父ちゃんが帰ってきて。そこからぐちぐちと一時間ほど延長戦です」

「あはは……。深刻……」


 事情が分からない二人にも。

 さすがに俺が置かれた境遇だけは伝わったようで。

 解決策を提示してくれるのですが……。


「他のプレゼントにすればいいんじゃないのかな……」

「確かに。でもあいつ、ほんとにブローチが好きと言っていた気がするのです」

「まどろっこしいわね、直接聞けばいいじゃない。……穂咲!」

「あ、今回の怒り方をなだめるには正攻法じゃダメだと思うので……」


 何かをずるずると引きずりながら歩く穂咲へ声をかけた渡さん。

 彼女にアドバイスをしようとしたのですが。

 思わずその言葉を途中で飲み込んでしまいました。


 君、何引きずってるの?

 三角コーン?

 今日は別に、そんなの並べる必要ないんじゃないの?


「ねえ穂咲。ブローチ、なんで嫌いなの?」


 うわ、しまった。

 穂咲が引きずる三角コーンに気を取られている間に。

 賽は投げられてしまったのです。


 そして瞬時にして俺たちの前に現れたのは。

 昨日と同じ、真剣な怒り顔。


 渡さんも神尾さんも。

 こんな穂咲の顔を初めて見たのでしょう。


 神尾さんはオロオロし始めて。

 渡さんに至っては青ざめた顔で、即座に危険を回避したのです。


「……って、秋山が聞いてくれって……」

「うおい!」


 ようやく一日かけて日常会話できるまで関係が回復したのに。

 何てことするのです?


 俺から顔を逸らして指を差す渡さんの姿を見て。

 穂咲が真剣な怒り顔を俺に向けます。


「意地悪道久君なの! 略して意地久君なの!」

「誤解です! あと、そんな呼び方しないで欲しわぷっ!?」


 そして穂咲が引きずっていた三角コーンを頭から被されたのですが。

 ……まさか、このために持って来たのですか?


 ぷんすこと膨れたまま穂咲が離れていくと。

 渡さんは両手を合わせて謝るのですが。


 その後ろから、穂咲に負けず劣らずの怒り顔をした先生が近付いてきます。


「何を遊んどるか!」

「ちょっと! あなたは英語の担任でしょうに、なんでいるのです?」

「タイム測定の手伝いだ。……まったく、その手にしてるのはなんだ? 三角コーンを持ってこいなどと言った覚えはないが?」


 では、何と答えましょう。

 ええと……。


「ぼ、帽子です」

「よし。ならば秋山は、それを被ったまま走れ!」


 ……むちゃくちゃなことになりました。


 ああ、渡さん、そんなに責任を感じないでください。

 頭を下げられても困りますし。

 それに、この恥が軽減されるわけでもありませんし。


 俺は校舎からも笑い声が届く中。

 巨大な三角帽子をかぶったまま走りました。




 ……去年より、いいタイムでした。


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