第5話 不死の秘密
水遊びに行こうと言い出したのは、リーベだった。
それでリーベとカルマとリーベの二つ下の弟トートは、連れ立って川へと出かけた。
子どもたち三人だけで。
誰か大人と一緒でないと、川へは行ってはいけないと言われていたのに。
夏の暑さがぶり返した、秋の始めのことだった。裸足になって川に入ると、冷たい水が気持ちよかった。三人は泳ぐ魚を追いかけたり、水を掛けあったりして夢中で遊んだ。
そして、事故は起こった。
気づくと、さっきまでそこにいたはずのトートが居なかった。大きな岩の影にでも隠れているのかと思って見てみたがそこにも居なかった。
二人は必死になって探した。
「トート、トート!」
声の限りに名前を呼ぶが、返事はなかった。
川の深みからトートの遺体が見つかったのは、翌日のことだった。
お葬式のとき、リーベは棺にすがりついて泣いた。冷たくなったトートにすがりついて、わんわん泣いた。
あのとき、自分が水遊びに行こうと言わなければ、弟が命を落とすことはなかったのに。
あのとき、自分が目を離さなければ、弟が溺れることはなかったのに。
あのとき――
そう思うと、リーベは悔やんでも悔やみきれなかった。しかし、ひと月も経たないうちに、その後悔はもっと深刻でもっと残酷なものとなった。
弟を亡くして以来、リーベの母は心労の余り床に臥せっていた。ベッドの母を元気づけようと、リーベが野に咲いていた花を摘んで持って行ったときのことだった。
「ありがとう、トート」
「母さま?」
母はリーベのことを弟の名で呼んだ。それが始まりだった。
「母さま、私、リーベよ?」
「トートは優しい子ね」
「違うわ、私、リーベ……」
「でもねトート、男の子は優しいだけじゃダメよ。強くなきゃ」
ベッドの母は、リーベに語り続けた。
「剣技会で優勝するぐらい強くならなくちゃ。お父様もお爺様も剣技会で優勝したのよ」
弟の名で呼ばれ、戸惑うリーベに向かって。
「剣技会で優勝したお父様が近衛隊にいらしたとき、王宮に行儀見習いに上がっていた母様と出会ったのよ。お父様はそれはそれは凛々しい騎士様だったわ」
そう言って、母はリーベを抱きしめた。
「大きくなったら騎士学校に行って、立派な騎士になって、お父様の跡を継ぐのよ、トート」
そう言って、母はリーベの頬に口づけた。
「トート。私の可愛い坊や」
「母さま――」
そこで、ようやくリーベは何が起きているのかを理解した。
そして、
「わかったよ、母さま」
リーベは答えた。
「俺、騎士になる」
病床の母に向かって答えた。
「俺、騎士学校に行って、剣技会で優勝して、近衛隊に入って立派な騎士になる。そして、父さまの跡を継ぐよ。だから……」
母に答えると、
「早く良くなって、母さま」
リーベは抱き付いて、零れる涙を隠した。
「わかったわ」
すると、母は優しく微笑んだ。
「元気になるわ、トート」
「母さま……」
その日、リーベは肩まで伸ばしていた髪を切った。亡くなった弟と同じくらいの長さに。
そして、その日から自分のことを『俺』と呼ぶようになった。死んだ弟の代わりに。
◆ ◆ ◆
「俺がこんなにしてるのに。母さまのためにこんなにしてるのに」
リーベの青い瞳が涙で潤む。
「女だから。俺がトートじゃないから、騎士として認めてくれないんだろ?」
溢れた涙が頬を伝う。
「だから本気で来ないんだろ?」
零れる涙をそのままに、リーベは叫んだ。
「答えろ! カルマ!」
「リーベ」
屍王は静かに言った。
「帰るんだ、リーベ」
「なんだって?」
「剣を捨て、騎士を辞め、郷に帰ってひとりの女の子として生きるんだ」
「カルマ」
「いいひとと結婚して、子どもを生んで、命を繋ぐんだ」
「君も父さまと同じことを言うんだな」
剣技会の決勝で受けた傷が癒えて両親に優勝の報告をしたとき、リーベは全く同じ台詞を父から聞かされていた。
優勝を報告すると、病床の母は心から喜んでくれた。弟トートの手柄として。
母が喜んでくれるのならそれでいい、そう思っていた。しかし、父はリーベの快挙を喜んではくれなかった。剣技会で優勝すれば、父や祖父に追いつけば、きっと家督を譲ってくれるだろう。母の願いを叶えられるだろうと思っていた目論見はあえなく外れた。
代わりに父はリーベに結婚を勧めた。あのユベルを婿にして家督を譲ると言うのだ。
亡くなった弟の代わりに。
『子を生み、命を繋げ。女にしか出来ないことだ』
それが、リーベのことを思って父が言った言葉だということはわかった。しかし、リーベはそれを受け入れることが出来なかった。騎士学校で頑張ってきたのは、あんな男に家督を継がせるためじゃない。弟の代わりに自分が継いで、母を喜ばせたい。ただそれだけのために、女であることを捨て、騎士となったのに。だのに――
父の言葉を振り切り王都に取って返すと、リーベはそのまま近衛隊に入隊した。
それから三年間、がむしゃらに働いた。
近衛のひとりとして王宮に仕えるうち、王陛下の覚えめでたく直々にお言葉を賜るようにもなった。王から屍王討伐の勅命を受けたのは、リーベが近衛隊に入ってから来月で丁度三年が経とうとしているときだった。
かつての友カルマをこの手で討つため、リーベはこの迷宮へとやって来たのだ。
「女だからって、俺が何も出来ないと思っているのか」
「君には僕は殺せない」
骨の玉座に座したまま、屍王は答えた。
「さっき試しただろ? 僕には君の剣は効かない。君には僕は倒せない」
「倒せるさ!」
その言葉をリーベは否定した。
「俺にしか屍王は倒せない。いや、倒さなきゃいけないんだ」
そして、今は屍王と呼ばれる幼なじみを見つめる。
「友として」
「どうやって?」
真っ直ぐに見つめるリーベの青い瞳に、屍王は尋ねた。
しかし、それには答えず。
「あの日、剣技会の決勝戦、観に来てくれたんだろ?」
「え? あ、ああ」
唐突に全く違うことを言い出したリーベに、屍王は戸惑っているようだった。
「観衆の中にカルマを見つけたとき、嬉しかったよ」
「あんな大勢いたのに、僕のことがわかったんだ」
「当然だろ? 子どもの頃からずっと一緒だったんだ。俺がカルマのことを見つけられないはずがない」
その言葉に、屍王は口を閉ざした。子どもの頃から二人はずっと一緒。それは紛れもない事実だった。
「あの決勝戦、悲願だった優勝を勝ち取ったものの、俺は事故で重傷を負った」
決勝の相手ユベルは、既に勝負がついているにも関わらず斬りつけ、リーベに瀕死の重傷を負わせた。そのことでユベルは騎士学校を退学になるところだった。だが、そうはならなかった。それが、公爵と縁続きの父親の力であったのかどうかはわからないが。
「あのときの傷、心臓に達していたそうだ」
屍王の唇が、幽かに震えた。
「普通なら即死だよ。遺体安置所行きだ」
「でも、君は生きている」
「そう、生きてる」
思わず口をついて出たのであろうその言葉に、リーベは同意した。
「とうに傷は癒え、こうして生きてぴんぴんしている」
同意し、そして――
「まるで『魔術』でも使ったみたいだ」
そして、つけ加えた。
地下迷宮を照らす魔術で灯されたかがり火が、ゆらりと揺れた。
「この迷宮に来る前、魔術学院に行って君の魔術の先生に会ってきた」
「シックザール先生に?」
よほど予想外だったのだろう。屍王が明らかに動揺しているのがわかった。
「先生は色々と教えてくれたよ。『不死の秘法』に関することを、色々と」
動揺するかつての友を尻目に、リーベは続けた。
「『肉体は命の器に過ぎない』だったよな?」
「先生に何を聞いたんだ」
問い質す屍王の声に、焦りの色が見て取れた。
「不死になるためには、身体から『命』を抜き取って『器』に入れるんだってな。宝玉だったり、壺だったり、人形だったり。カルマも教えてくれたろ? 『器』にはある一定の条件があるんだって」
屍王が痩せた唇を真一文字に引き結んだ。
「いくら身体を傷つけてもそこに『命』が無いんだから死ぬことはない。それが『不死の秘法』の秘密」
引き結んだまま、ぎりりと歯噛みした音が聞こえた。
「そこまでわかれば答えは簡単だ。不死の魔術師を倒すには『命』の無い肉体じゃなく『器』を壊してやればいい」
「僕の『器』はここにはない!」
「いや、ある!」
屍王の言葉をリーベは即座に退けた。
「『命』を入れる『器』の条件とは、『命』を持っていない物であること」
「違う」
退けておいて、左手の盾を捨てる。
「例えば、死体とか」
「違うったら」
捨てた盾が、床に当たってガランと鳴る。
「加えて、魔術師と長く過ごしたもの」
「そうじゃない」
それから、両の手で剣を持ち直し、
「同じ年、同じ日に生まれた幼なじみとか」
「間違ってる!」
切っ先を自分の方に向けると、
「子どもの頃からずっと一緒だった、俺とカルマみたいに」
「いやだ!」
狙いを定め、
「カルマ! 君の『命』はここにある!」
「止めろおおおぉぉぉーーーッ!」
リーベは己が腹を一気に貫いた。
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