第8話 凰の血
境内を降りた二人を待ち受けていたのは、死屍累々となった想人が呼び出した怪物たちの姿だった。
全身に邪紋が広がり、彼らは一人残らず動くこともできずにうめき声を上げている。その周辺には蛇、神使の遺体がこれまた無数に広がっていた。
「——ものの見事に祟られたな」
「……てめ……この……言えよ!」
先の態度をかなぐり捨て、甲虫の怪人が口から黒い吐しゃ物をまき散らしながら想人へ怒りの声を上げる。
彼らは愛居真人の血を以って契約した眷属だが、悠城想人の使役する召喚獣とは異なり、主との関係性が薄い。想人の召喚獣が神使を傷つければ、その祟りは主である想人自身に返ってくるが、真人の眷属が神使を傷つけたとしても、それは彼ら自身か、主である愛居真人が祟られるだけで、悠城想人への反動はなかった。
もし、祟りが真人にまで及んだとしても、まずは想人が神前にたどり着けばよかったのだ。
「
悪戯っぽく笑う真人に、表情のないはずの甲虫が怒りに歪んだのが二人にも分かった。
「
そう叫び、甲虫の怪人=
その全身を蝕んでいた邪紋がゆっくりと薄れ、彼らは再び自由を取り戻していた。
「——邪気が晴れたか」
神の怒りが一度は収まり、祟りが消えているのだ。それに合わせて魔物たちが回復し、周辺を徘徊し始める。
「じゃ、ここまでだな」
想人の言葉に、真人が軽く請け負う。
「よし、お前ら――この街の住人、てか残ってるの死体だけど、全部喰ってきてもいいぞ」
真人の言葉に、祟りから復活した魔物たちから歓声が上がった。
「……あ、永森のばーちゃんだけは残しとけ。あとは人間に見つかる前に退散できれば、好きにしてよし!」
ヒャッハー、と奇声を上げて30体を超える魔物たちが一斉に町中に散逸する。その全てが、愛居真人の眷属だ。
住民は神使によってすべて殺されるか、蛇の苗床にされてしまったが、魔物たちにしてみればその死体でも、彼らの残した食料でも魅力的な餌に他ならない。
一瞬前まで抱いていた祟りの使い捨てにされた怒りを忘れ、魔物たちは次々と宝の山と化した民家に入り込んでいく。
その真人と魔物たちのやり取りを横目で見ながら、想人は何も言うことはなかった。遺体処理がキレイに済むのならば、人手を使わずに済むのだ。
二人が、再び最初のキャンプ場に戻った時、そこはすでに前線基地から野戦病院に様変わりしていた。
祟りの邪紋は退いたとはいえ、それで倒れた術者がすぐに復帰できるというものでもない。多くの人間は、魔物より体力も魔力も劣るのだ。
「——若様!」
二人の姿を見つけ、駆け寄ってくるものがいた。
最初に二人を迎えた沙蛇昇司に似ているが、それを二回り以上老けさせたような風貌の男だった。
「お久しぶりです。沙蛇伸司どの」
沙蛇伸司、沙蛇昇司の父親である沙蛇家当主は、息子と同様に悠城想人に向かって深々とお辞儀をする。
「やめてください。私はただの学生に過ぎません」
「いえ、此度の件、若様――想人様のお力添えなくばどれほど苦労したものか。我らの手に負えるものではありませんでした」
大きく首を振る沙蛇伸司に、想人は困った顔をした。
神が関わる件なのは事実であったが、自分がそれほど貢献できたという自覚はない。謙遜ではなく、想人本人の実感だった。
「ご子息たちは無事ですか?」
「はい、消耗が激しく、すぐには動けませんが、命に別状はないとのことで……」
前線で何かあった場合の後詰として控えていた彼らは、自分の子どもや弟子たちの救助にてんてこ舞いの様子であった。
「それは良かった——では、湯葉大地はどうなりました?」
安心した声から一転して冷徹な声色に切り替わり、沙蛇伸司は表情をこわばらせた。その視線が泳ぎ、別の男に助けを求める
「——すでに確保しております」
そこに助け船を出した男は、事務的な態度で想人に対する。
無表情を絵にかいたような機械的な偉丈夫だった。
「
「総代の指示です――湯葉大地はあちらに」
促された視線の先で、拘束具に全身を封じられた男が何かをわめきながら連行されていく。まだ若い男だ。父としても夫としても若すぎた男だ。
「お望みなら、お逢いになりますか」
「不要です。では
拒絶する想人の言葉に侮蔑が混じった。この後は今回の事件の取り調べと尋問だ。面白い物でもなく、彼が関わる必要もなかった。
想人は再び沙蛇伸司に向き直る。
「白蛇王からいただいた猶予はあまりありません。祭儀の準備はどうなっていますか?」
「以前から準備は進めておりましたが、祭器の調達が遅れておりまして……あと三日ほどは時間をいただければ……」
「では、祭儀は四日後にはつつがなく行えるように取り計らうように、手順は間違いなく?」
「はい。院の方から、永森の先代当主からの手順書を回してもらっています。わが沙蛇家も同じ蛇の道でありますので、儀式は問題ないかと」
冷ややかな想人とのやり取りに沙蛇伸司はしどろもどろになる。息子より年少の若者に、完全に気圧されている。
「——結構。鷹匠、永森家の家宅捜索は?」
「ただいまより始めています。今回の不正に関する物証の確保と、湯葉家との関連についての疑惑を証明するようにと指示されています」
「——
「承知いたしました」
鷹匠翼弥が悠城想人の言葉に従う。
ただの学生と自称しながら、この場にいる二人が、立場も年齢もはるかに格上のはずのものたちが、悠城想人に従っている。
その様子を、想人の背中越しに見ながら、愛居真人は無表情に立っていた。想人から指示されることがなければ、愛居真人に動く理由もなかった。
この場を支配しているのは、間違いなく悠城想人だ。
鷹匠翼弥の身に着けていた通信機がなり、通信機越しに彼が会話をする。
「——若様、永森家邸宅で、
「そうですか。ほかに異常は?」
「ありません。引き続き、捜索を続行します」
その場の誰にも、老婆の死は意外ではなかった。
永森沙奈は、長年にわたり永森家を守り続けてきた女史だ。
彼女には、仕えてきた神に背いた償いのため、娘たちが連れ出された時点でどうなるかわかっていただろう。
そして彼女が自死を選ぶことも、想人と真人にはわかっていたことだ。
「伸司どの、おめでとうございます」
それまでから一転、冷ややかな表情に笑顔を浮かべて、悠城想人は沙蛇伸司へ向き直った。
なにを、と戸惑う男に、想人の口の端が吊り上がる。
「これでこの町はあなた方、沙蛇家のものだ。護法輪総代、
「……あ、ありがとうございます」
師父の名を出し、宣言する想人を前に、沙蛇伸司は深々と頭を下げた。
永森家が途絶え、蛇目町の住民は全滅した。
だが、護法輪にとって、住民の有無は問題ではない。彼らが必要としているのは霊地そのものだ。
そこに神が在り、それを祀る一族がいるならば、その土地に価値がある。
影蛇を祀る沙蛇一族の中から、白蛇を祀るものを供出すればこの土地を沙蛇家が継承するのに何の不都合もなかった。
「では、万事つつがなく」
「我が一族の全力を以って、務めさせていただきます」
緊張で震えながら、沙蛇伸司は礼を止めて屹立した。
住民が滅びた。裏を返せば、この蛇目町すべてが彼ら沙蛇一族のものになるのだ。その土地も、残された資産も。それが護法輪の在り方だった。
人間社会における法的手続きは、護法輪の後ろ盾を以って成立する。
後は、彼らが祭儀を正しく行い、白蛇王に認められるだけの話に過ぎない。
与えられた責任の重さと、得られる利益の大きさに、男の心中は大きく揺れていた。
こうして、この町での悠城想人の役割は終わった。
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