番外話① 救いへの優しさ
彼は、ヒーローを救ってくれる人なんて、誰も居ないと考えていた。
でもずっと、助けて欲しいと思っていたのかもしれない。
軋む。笑顔が固まり、歪んで取れない。心は変化しているというのに。だから、軋むのだろう。三越栄大は、己が限界に近いことに気付いていた。
それは、高校に入学して少し経った時。彼女と彼女と彼女と彼女。沢山の恋情を集め過ぎてしまったそんな頃。
栄大は、そろそろ重荷を持ちきれなくなっていることを悟り始めた。
「はぁ。やばいな」
好きな相手と一緒にいるのは、楽しいばかりではない。栄大はそれを、最近知った。
だから、こうして離れた場所で、独りになっているのだろう。自分に恋する彼女らが決してこないであろう場所、安さが売りでその他はなおざりな牛丼チェーン店にて、頼んだ丼に手を付けることすらなく、栄大はため息をつく。
これが、一時の逃げであるというのは分かっている。携帯電話はずっと、ぶるぶる煩い。けれどもそれを切って、拒絶することが出来ないのが、自分の中途半端さなのだろうな、と栄大は思う。
「俺だって自分のやったことくらい分かってるけどさ……どうして揃いも揃って視野が狭いんだろうな。恋愛と恩返しは違うってのに」
栄大は、そう独りごちる。恋は盲目らしい。だが、彼女らがこちらに向けてくるものは、恋とすら違うと思うのだ。
「まるで、亡者の手だ」
それは、もっともっと助けて欲しいと、伸ばされた手のひら。掴まってしまったら、きっと一生面倒を看なければいけなくなってしまう。
まだまだやりたいことがあるというのに、そんなのは、嫌だった。
「俺だって、恋、したいんだよ」
栄大は苦しげに吐く。しかしその笑顔は変わらなかった。
栄大は、自分の能力が高いことを知っている。それは容姿にテストの点や、かけっこの順位のようにわかり易く示されるものだけではなかった。
果たして察しが良いと、何度言われたことだろう。人の弱い部分を見て取ること。栄大はそれが、抜群に得意であったのだった。
問題を見つけて、それを解決する。すると、毎度のように褒めれた。最初は親のわざとらしいシグナルを受け取るばかりであったが、栄大は次第に他人の隠したものですら察していくようになる。
助けることで都度、栄大は褒められ愛された。人助けは深く信頼を得ることが出来て、更には他者への優越感すら覚えられる、優れた方策。彼がはまり込んでしまうのも仕方のないことだったのかもしれない。
しかし、だからそれは、端から綺麗なものではなかったのだ。愛されたいがための、人助け。栄大にとって、彼らの笑顔なんて、どうでも良かったのだった。
これで、いい人、なんて笑ってしまう。あまりに簡単に得られたそんな称号に、栄大は笑みを隠せなかった程である。
そんなだったから、その悩みの深さ、重さを測ることが出来なかったのだろう。やがて、栄大は失敗する。
栄大は望み通りに中学時代、四人の少女らに愛されることとなる。しかし、それはあまりに深すぎていた。
彼女らは校内でも有名な美少女。それぞれ、良くも悪くも人気があり、揃いも揃って、見目麗しさの中に、問題を隠していた。
正直なところ、全員のそれらを解決するのが面倒なことは間違いない。しかし、栄大はその能力を駆使して、救ってしまったのである。
彼は、七坂みほをいじめから守った。五反田雛の恋を正した。大一道子に負けさせてあげた。
アプローチに、欲望に満ちた意図がなかった訳がない。どれも、好んで関わりを持った相手。だが、どうしてだか途中で、深く繋がろうとは思えなくなった。憐憫や同情が、彼女らを保護対象と認めてしまったのだろうか。
その証拠に、全員から恋慕を向けられたその時に、栄大が感じたのは、これでコレクションできたのだという、感慨ばかり。もう、後は野となれ山となれ、と思っていた。
「栄大!」
「……栄大」
「栄大っ」
「栄大君」
しかし、恋する少女たちは栄大から離れてくれない。それは、背伸びして届かせた志望校においてすら、三名ばかりとの縁は続いてしまった。
栄大は思う。早々に奪い合い喧嘩し、自分を見損なってくれれば良かったのだと。しかし思いの外、彼女らはナイーブである。そして、優しくもあった。だから、相手を恋敵と認めてしまう。
そうして出来たのは、理解できないハーレム空間。そんな香り高すぎる女臭さの合間にて、しかし栄大は笑顔を作り続ける他になかった。
だって、彼女らはあれだけ泣いて、壊れていたのだ。助けて救ってしまったが、それでも全てが全て完全に癒やされた訳ではない。急にトラウマが裂けて、中からとんでもないものが出てこないとも限らなかった。
栄大は別に、カウンセラーではない。そう何度も綱渡りを続けて助けてあげることも、根治させる程に癒やしてみせることも出来ないのだ。
だから、好意の嵐の中、蔑視すら受けつつも、ただ少女らを刺激しないように、笑むばかりである。
「栄大!」
「……栄大」
「栄大っ」
「あはは……」
少年は人を救うということの重みを知らなかった。狭く苦しい、人の檻。緊張強いられる仮面の下にて栄大は、死にたい、とすら思う。
「はぁ……」
楽しいからずっと、栄大は助ける側だった。そうして、彼女たちのヒーローになり、それを続けるはめになる。そのことが重みになって、何時か壊れてしまう前に自死を選ぼうとする彼は、とても青い。
栄大は悪人にはなりたくなかったのだ。何しろ、そのやり方を知らなかったから。不明が、選択を狭める。そんなことは、このように往々にしてあるのだった。
だから、それを彼女の明るさが吹き飛ばすようなこともまた、起きて然るべきなのだろう。無遠慮にもカウンター席、栄大の隣に座って、山田星は語りかけた。
「さっきから見てましたけれど、それ、冷めちゃいますよ?」
「はは。ぼーっとしていただけだよ。何、逆ナン?」
栄大は再び笑顔を被り直す。そんな彼の防御行動を、星は知らない。故に、ただ彼女は茶化す言葉に驚いた。
「むむっ、ぼーっとしてただけ、ですか……あ、逆ナンって気はありませんでした。ちらともそんなことは考えていませんでしたねー」
「ふーん。だったら、何用かな? 聴きたいこと、あるんでしょ? 顔に書いてあるよ」
笑顔の自分よりも尚大輪の花。まるで何も考えていないかのような無垢な表情に少し苛立ちを覚えながら、栄大は察して直ぐに用向きを聞く。せっかくの独り。早く、どこかに行って欲しかったのだ。そして、死に親しみたくて。
だがしかし、果たしてそれは拙速だった。
「凄いです! よく分かりましたね。こんなツーカーさん、中々いませんよ。……では改めて。何か、悩み事でもあるのですか?」
「……はは。君には俺のこの楽しげな笑い顔が見えないのかな?」
「え。それ、笑顔ではないですよね」
「――――っ!」
栄大は、心の用意もなく、突かれた図星に、どう反応していいか分からなくなってしまう。ただ、魔法のように、その笑みは解け、ただの気落ちした少年の顔が顕になった。
「そう、見えたかい?」
「何でかそう、思ってしまいました。どうしてでしょう?」
「俺に聞かれてもね……」
顎に手を当て真剣に考える様子の星。暗がりから逃れた今改めて見て、その美貌に栄大はハッとする。そうして、頷きと共に彼好みの肉体が、ぴょんと跳ねてぶるんと揺れた。
「そうです! 私よりも笑顔が下手だったから、でした!」
そうして、星はそんなことを言う。栄大には、この名も知らない少女が、より分からなくなった。
星のひまわりのような笑みは変わらない。だが本当に、この少女は心から笑っているのだろうか、と疑問にすら思った。
「どうして、俺の悩みを聞きたいのかな」
「困っている人が居たら、訊いてみるのが情けというものです。解決できるかどうかなんて、八卦ですねー」
「そんなものかな。立ち入ったなら、絶対に救ってやろう、とか思わない?」
それから、栄大が星と話し続けているのは、どうしてだかは分からない。ただ、いたずらに否定できる理由はないのだと、彼は思う。何しろ、今までで誰よりも自分を理解している人なのだろうから。
だから、つい本音を言ってしまう。中途半端で褒めも愛されることすらない救いの手なんて、面白くないのではないかと思い込んみながら。
「え。私に人を救うなんて出来ませんよ。優しくしてあげるくらいが精々です」
「そう、かな」
「そうですよ。私に一人ひとりを助けて支えて、それを続ける覚悟なんてありません。優しく、隣り合うので一杯一杯ですもの」
「……ああ、そう、だったのか」
実に申し訳なさそうに語る星の言葉に、栄大は理解を覚える。なるほど、この人は考えていたのだと。少女はちゃんと、利己ではなく、相手のことを見ていた。
性急にも、成長の階段にリハビリの時間を無視してただ依存させ、それで救いを成したと思い込んでいた、自分。それが、あまりに情けない。
思わず、栄大はうつむく。
「あ、あれどうかしました?」
「……そうだね。誰だって、分かったらやってたかもしれない。別に俺じゃなくても、良かったんだろうな」
「む? また良く分からないですね。でも、きっと、それは違いますよ?」
「そう、かな……」
これまでずっと間違い続き。今まで見当違いの方に育んできた自信など、もうない。だから、少年は、自分よりもっと優れた誰かを夢想すらする。
しかし、はっきりと、星はそんな逃げを否定した。
「後悔しても、もしもなんてないのです。変えられるのは、今だけです。間違うことを恐れては進めません。それに、誰も分からないことを見つけてやってのけた、あなたって、実はとっても凄いのですよ?」
栄大の耳に届いたのは、ありきたりな、そんな言葉。しかし、どうしてだかそれに籠もった実感は、あまりに重いものだった。故に、しっくりと胸元にはまってしまう。
だから、言うのだ。
「ああ、俺だって頑張ってたんだ」
辛い今があるから過去を間違いと思っても、代わりなどない。故に、出来るのは否定ではなく認めること、それくらいだった。
そして、過去を認めたからには、今を直視する他にない。そう、壊れそうな今を生きる。その覚悟を、決めないといけない。
そうして、栄大は心に決める。間違っても良いと、もっと自分を誇れと彼女が言うのならば。
「これからも、頑張るか」
辛いのだからもう、笑わない。でも、何時か自然に笑えるように。そう思いながら栄大は星の方を見た。
「はい。頑張って下さい!」
すると、期待通りに満面の笑みで、彼女はこちらを見ている。思わず照れた少年は、少女から顔を逸してしまった。
丼に手をつけ始めた少年の隣で、少女は湯気の立つ牛丼を掻き込み始める。
よく喉をつかえさせないものだな、と半ば呆れながら彼は彼女を見守った。
「もぐもぐ。うまうまですねー。更にキン肉と言えば、牛丼なのです! あのムキムキに筋肉膨張の願いを込めるのですよー。あ、でも多分、あなたには分からないでしょうねえ」
「うん。よく分からないな」
「ふふふー。謎が女の子を魅力的にするのです。私ったら、ミステリアスレディですねー」
「はは。そんなのごはんを口元に付けて、形容するものではないと思うけれどね」
「わわ、恥ずかしいですー!」
確かに今は暗いのだろう。ただ、前に進み続けていれば、もしかしたら明るい明日があるのかもしれない。
隣の笑顔の優しさに、少年はそう思えた。
この日、仄かに点いた恋の炎。それは、何時か栄大の心の中で消えない大火となって、やがて綺麗な花にのように燃え盛るのだろう。
そして、まるであの日のひまわりのように優しく、彼の胸は痛むのだ。
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