サヨナラだけが、青春だ

神崎 ひなた

① 清水の舞台

 ここじゃないどこかに行ければそれでよかった。


 ただ連れが「京都に行きたい!」と言ったから、その程度の気持ちで京都駅に降り立ったアタシ。気が付けば清水寺まで手を引かれ、「見て! 清水の舞台が見えてきたよ!」という声ではっと我に返る。


 さすがにガキだけあって体力は有り余っているらしい。ここまで相当な坂を登ったはずなのに、そんな気配は微塵も感じさせない勢いで、連れは駆けていく。


「おい、あまりアタシから離れるな! ――ったく何がそんなにいいのかねぇ! 寺なんか見たって一文の足しにもなりゃしねぇだろ!」


 アタシが声を張り上げると、連れはムッとした表情を浮かべつつ振り返った。


「分かってないね、じゃく。これはただのお寺じゃない。清水寺だよ。国宝にも指定されている由緒正しいお寺なんだ」


 それから連れは、堰を切ったように清水寺の素晴らしさを懇々と語り始めた。アタシは馬鹿なので寺の高尚なんぞこれっぽっちも分からなかった。馬鹿の耳に念仏、だっけ? そんな感じのやつ。


「寂! 清水の舞台から見降ろす眺めはどう?」


 連れに手を引かれつつ人ごみを掻き分けつつ、アタシは清水の舞台の最前線に躍り出た。不思議と他の観光客には迷惑がられず、むしろ微笑まし気な視線を送られた。お年寄りから外国人まで分け隔てなく。

 どうやら国境を越えても、ガキの無邪気さは万人に許容されるらしい。


 清水の舞台。

 かくしてその眺望は、期待外れの普通さだった。予想していたよりも高いとか低いとかいう前に、生い茂る木々が邪魔でお世辞にも眺めがいいとは言えない。


「すごいね。確かにここから飛び降りるには相当の覚悟が要りそうだ」


「清水の舞台から飛び降りるってやつか? アタシはそうは思わねぇけどな」


 むしろ飛び降りても骨折くらいで済むんじゃないかと、木々の間から見え隠れする観光客の群れを見ながらアタシは思った。


 舞台の真下を通過している連中は、まるで自分が見られているという意識が無さそうだった。その程度の高さはある。逆にいえば、その程度の高さしかない。人がゴミのようには見えない。


「それでね、寂。聞いてほしいことがあるんだけど」


「なんだよベイビー改まって。ガキなんだから言いたいことくらい好きに言え」


「そういうわけにもいかないんだよ。ええと、その」


 男らしくもないモジモジとした態度がムカついたので、連れの首根っこ掴んで持ち上げた。年相応の体躯は、見た目よりもずっと軽い。


「ヘイヘイヘイ! ベイビーベイビーよぉく聞け! 男は常に堂々としてなくちゃいけねぇんだよ! そんな弱気で何言ったって人の心にゃ残らねぇ! 虚勢コケでも嘘でも構わねぇ、堂々と背筋張ってシャキッとしやがれ弱虫小僧!」


 連れを舞台にぶら提げて、アタシは言った。周囲の観光客は慌てふためき、制止の言葉を投げかけてくる。うるせぇ外野モブがクソッタレ。どうやら国境を越えても、子供をイジメる奴が悪だって思考は万人に共通するらしい。


「分かったよ! だから早く降ろして寂! みんなこっち見てるよ!」


「なら最初っからそうしやがれクソガキ! 手間取らせんじゃねぇよ」


 連れを舞台に引き戻し、強引に手を引いて順路を掻き分けていく。そこのけ外野モブ共、見せモンじゃねぇぞ。

 人気ひとけが落ち着いてきた辺りで、連れの手を離す。


「それで? 一体なんだってんだよ」


「うん。あのね」


 連れは意を決したように、真っ直ぐにアタシの眼を見て言った。


「僕は寂のことが好きだ」


「は?」


「だ、だから! 清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で……寂のことが好きなんだ!」


 溜息が出る。やれやれつまらなくなってきやがった。

 コイツは恐らく、恋と憧憬どうけいの違いが分かっていない。面倒くせぇ年頃だ。

 アタシは悪人らしい表情と、持ちうる限り汚い言葉で連れを罵る。


「下らねぇな。そんな告白じゃこれっぽちも濡れやしねぇよ。アタシをどうにかしたいんなら、もっと気の利いたセリフを用意しやがれ」


「濡れる……?」


 連れはぽかんとしていた。おいおいおい、まさか意味が分かってねぇのか? どんだけ初心ウブなガキなんだ。


 溜息を吐きかけた時、連れは何かを思いついたよう瞳を輝かせた。


「そうか! 感動のあまり、頬が涙で濡れてしまうってことか! 寂は見た目によらずロマンチックなところがあるんだね!」


「アア!?」


 何がどうしてそうなった。


「分かった! 次はもっと、感動的な言葉を用意しておくから」


 そう言い残し、連れは元気よく清水寺の順路を進んでいく。それは恋敗れた背中ではなく、希望に満ちた背中だった。


「どうしたの寂? 早く行こうよ」


「……オーケイオーケイ。ったく、大した肝っ玉だよテメェは」


 心の底から毒気を抜かれて、アタシは渋々着いて行く。

 どうやらガキの無邪気さは万人に許容されるらしく、そして万人には漏れずアタシも含まれているらしかった。


 面倒くせぇ。

 なんでアタシ、こんなことしてるんだろう。

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