第27話 # 大学生活

駅の目の前にある大学。新しく出来た背の高い門を潜りくぐり、メインストリートを歩くと度々視線を受ける。


その視線は昔と毛色が違うように感じる。その量も明らかに増えた、そのような気がする。しかし、園はそれに気付かないフリをして園が第二外国語とするフランス語の授業のある建物へと入っていく。


エレベーターの前は満員。建物外にはみ出しかけている。園はその脇を通り何階か階段を登り教室へと向かう。


ガラガラ。開けると照明はついてない。バトミントンのラケットケースを壁に立てかけた知らない男達が窓際の席でバックパックを机に置いて話している。授業があったわけではなさそうだった。


ジロジロとこちらを見る人。プライベートスペースをまるで園が侵してしまったような雰囲気だった。これは一人でいることの多い園が遭遇しやすい空気でもあった。


しかし、それは無視して、ズカズカと入っていき、いつもの席に座る。壁際の三列目。それが園の席だ。別に決まっているわけではないがそうなっていた。


未だに感じる視線。その視線もどこか咎めるような性質の視線ではない。背中に感じる重さが違った。だからと言って、何ですか?と言うつもりも園には無く、フランス語の単語帳を開ける。使いこまれた単語帳。それに触れると勉強した時の風景が次の単語に移るごとに脳裏で次々に弾ける。


そうしているうちに、園と同じ小教室にいた男子生徒たちも消え、2限目の時間になった。その頃には教室はそこそこ満杯の状態になり、教壇にはフランス人の講師の姿も見える。


まず、会話から。配られた紙に話した人の話の要旨を書きこむのだ。園は昔行ったインド留学について写真を使って説明しようと思い、昨夜スマホに写真を入れてきている。


園は立ち上がるが、決まった誰かと話すということもないため所在無さげにしていると講師が近づいてくる。


「SALUT , Shiobu. 」

Ça va大丈夫?」


園がトレ ビィアン メルシーとても元気ですと片言で返事をするとストールを巻いた少し年配の講師は笑顔で園の席の前に座る。


園は講師にインドに留学した際のホストファミリーとその家を無難に紹介する。


次にその講師が手で招いた人懐っこそうな小柄の女の子が園の目の前にやってくる。その女の子、朱音と一通り会話の練習をし終わっても周りはまだ練習中だ。


「あの、忍ちゃんさ。何か変わったよね?」


朱音が園のに気がついたのか、ただ園の人と交わるようになって変わってきた雰囲気のことを言っているのか園には分からないが小声で内緒話をするように朱音はそう言った。


「変わったかも。髪型変えたし。」


間違ってはいない。軽いジャブだ。目の前の女の子が何のことを言っているのかを見極めるべきだと園は思った。


「そうじゃなくて!なんかもっと全体的に!」


朱音はその違和感の正体をうまく口に表す事が出来なかった。3ヶ月前にある場所で彼氏とその友達とキャンプをしている時に彼氏と言い争いをしてふて寝してから、ふとした瞬間に感じるのだ。ほんのちょっとした違和感を。それを感じるからと言って、その違和感の具体的なことを言い表すことは難しい。


その違和感を園からふわりと感じるが、どこにそれがあるのか朱音には見当がつかない。


朱音は首をひねる。


「やっぱり、忍ちゃん髪変えたからかなー?」


何か変わったと言われて、思い当たるのは園が頭の棚の中にしまったことだ。しかし、その棚を園はまた開ける気はなかった。


「髪型、今日初シニヨンだし。だから雰囲気違うんだよ、多分。」

「そうかなー。」


朱音は園の灰色がかった淡褐色の目を見つめる。園の目は不思議な魅力を持っていた。


よく考えれば、園が話しやすくなっているような気が朱音はした。前より話しやすい雰囲気になったのかもしれない。園には失礼だが、それが違和感の正体かもしれないと朱音は思った。


「朱音さんは、ラクロス?今日。」


朱音はラクロス部のウィンドブレーカーを羽織っている。いつのまにか自分の中で解決を見た疑問を朱音はすっかり忘れてしまう。それが朱音の美徳でもあった。


「そうなんだよねー。ミーティングがあるの、昼。」


そう言って朱音はウィンドブレーカーの袖を引っ張り腕をふらふらと振ってみせた。朱音は今日のミーティングに想いを馳せる。


「大変?」

「大変。」


そのような会話をしていると教壇に立った講師が腕を振ってこう言った。


「ツギねー!」


今まで一年通して同じクラスだがこのような会話の練習の時ぐらいしか話す機会のない人が、園の変化を言い当てそうになった事実に驚いたが、人と積極的に関わるようにしている今、自分の事ながら、他人が違和感覚えるほどの変化を遂げているかもしれないと園は思う。


"心配したって事態は良くならない。私もいろいろなことを心配するが、ダムからあふれる水までは心配しない。"とウォルト・ディズニーが言っているように園も気を病んでも仕方のないことに気を病まない。


園にとってそれは"ダムから溢れている水"と同じだった。園がいくら考えても解決する道は見つかりそうもないのだ。



授業が終わると、4階まで階段を登り学生食堂へ。たぬきそばの食券390円を買うと、園はそばやうどん、ラーメンの列に並ぶ。


園は、なるべく軽量化するために導入した教科書をPDF化して取り込んだ電子ペーパーと手との間に食券を挟む。


覚えることは多い。試験前に徹夜する時間の融通も効かないため隙間時間に勉強しておかないと単位が取れないのだ。


「たぬきうどんね。」


園が食券をガラスケースの上に乗せると学食のおばさんが食券を見てそう言った。


ものの数分で出来上がったたぬきうどんをトレイに載せると、いつもの様に空いている席に座ろうとするが、空いていない。


ガタン。園は立ち食い席にトレイを置いた。つゆが揺れる。


園はそば丼の中を覗いた。きつね色のつゆに浸かるうどんに揚げ玉がのる。立ち昇る湯気に遮られる視界。垂れた髪。この時ばかりは学食の値段なりのたぬきうどんも宝のようだった。


園は垂れた髪を耳にかけつつ箸を持って手を合わせると、無心にうどんをすすり始めた。

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