第16話 #三次審査の終わりに
朝。それは別れの時である。
大ホールに張り出されたA4の合格発表の紙の中に名前を一生懸命探す人。1日目に落ちた人は一クラス分以上はいるだろうか。皆の流す涙は悔し涙か安堵の涙それとも悲しみの涙かわからない。親しくなった人が荷物を持って出て行く。片方は荷物の整理。片方はレッスン。物苦しい空気になるのは必然だった。
園の周りにも通過できなかった人はいる。阿能萌である。泣き崩れる萌を慰めようにも近づけず、園はただ近くにいる事しかできなかった。園は萌が出て行く姿を見送ることさえ出来ない。その時間、園たちはダンスレッスンを受けているのだから。
ある種残酷な結果を知ってしまった園たちは1日目ほど騒ぐことはできず、皆、審査が終わると直ぐに自分の部屋に引き上げてしまう。
園は302号室にいた。一人になりたい気持ちもあった。しかし、あまりに淋しがる花恩を一人で部屋にいさせることは園にはできなかった。まだベットシーツには萌がいた後が残る。
芽李子 : ホットケーキ食べたいなー 20:12
忍 : 確かに。お腹いっぱい食べたい 20:13
芽李子 : 最寄りの駅にさ、ホットケーキが美味しい喫茶店があるんだけど行かない? 20:13
芽李子 : これが終わったら! 20:14
忍 : いいねー!いくいく
・
・
・
たわいも無い事を芽李子とLINEしていても、どこか空元気だ。本当は
不安で母親と長電話をする花恩。花恩はグループ7の周りの友人が軒並み落ちてしまい塞ぎ込みたくなる気持ちを抑え、母親と電話をするがそんな気持ちは母親には見抜かれてしまう。花恩の涙腺の稜線上に涙が重くのしかかる。花恩は涙なんて流したくなかった。憧れに一歩近づくその道程にいるのだから。だけど、花恩に優しく接してくれた子たちも同じ憧れを持っていてその憧れから遠ざけてしまったのは自分なのだと思うと、その由来が分からない責任感に心臓がぎゅぅっと掴まれる。母親に肯定される度、励まされる度、その涙はポロリポロリと頬を伝った。
花恩はその間、園から背を向けていた。しかし、花恩の肩の動きや声音、園が花恩が泣いていることを察するまでに時間など必要なかった。
「大丈夫?」
「んぅ?…はい。…大丈夫です。」
流れで花恩の母親と通話することになった園はなぜか花恩の母親から娘をお願いしますと言われる始末。微笑ましくもありお願いされてもというところもあった。
それが二日目。二日目には、同じグループで1日目から一緒に練習していた6人の仲間のうち伊藤静佳の幼馴染が二日目のダンス審査を落ちてしまう。更に人は少なくなり、46人。どんどんと親しくなった人達が居なくなる。しかし、1日目で、二日目もそうなるということは十二分に分からせられていた。耐性それ自体は出来ていた。だから、去る人も残る人も涙を流す人は少なかった。
三日目、結局、残ったのは27人。園と親しい仲の候補者で通過できたのは、花恩、志鶴、芽李子、ポーラの4人である。最終的に約1/10になった中でこれだけ友人が残ったのは奇跡に近い。園は十分恵まれている方だ。
とは言え、まだ最終審査が残る。この審査で更に人が居なくなってしまうかも知れない。そう思うと憂鬱だったが、別に死別するわけでもなし、会おうと思えば皆に会える。行合坂二丁目駅へ向かうバスの窓側の席から晴れた空を見ながら、そう考えてみれば、大学に受かった時の達成感ほどの爽快感はないものの気持ちが和らぐのを園は感じた。
「ねー、これから行かない?喫茶店。」
隣に座る芽李子がそう言って肩を小突いた。芽李子はどこか肩の荷が下りたように晴れ晴れとした顔をしている。
「喫茶店?」
「例の!」
芽李子は園が手に握るだけ握っていたスマホをトントンと人差し指で叩いた。芽李子と園の肩は無意識的にくっついた。
「ああ、LINEの。」
「そうそう。LINEの。最寄りってあれだよ行合坂二丁目駅の事。」
パンケーキの話を二人でしていると、ポーラが前の席の間から顔を覗かせる。
「むむむ…何の話をしておるのかな?お二人さんは。」
「ワガハイたちもそのウマイ話混ぜてくれぬか?」
ポーラと志鶴が二人して人差し指で口髭を作りながら芝居がかった口調でそう言ってくる。話すごとにその口髭はくいっくいっと動く。芸が細かい。
「なら、4人で行こうか?」
「うん。」
バスの中に花恩はいない。なぜかというと、まだ中学生の花恩はホテルまで両親が迎えに来ていたのだ。4人は全員が高校生以上。自由に使えるお金も多少はある。今この時ばかりは自由だった。
*
喫茶店でパンケーキを頼んだ4人。芽李子と園は東京に住んでいるが、ポーラと志鶴は地方出身である。ポーラは愛知、志鶴は新潟の高校生。とは言っても二人は新幹線で帰るわけではないから、夜行バスまで時間がある。
「二人とも苦手な科目とかあんの?」
そういえば、二人について基本的なことを知らなかったなと園は思った。園はぼっちで性根は真面目である。園がいた高校も真面目で地味なそこそこの進学校である。だから、自然と話題も勉強の話を持ち出してしまう。園の周りだと、勉強や留学の話は鉄板なのだ。
「うー…ん。英語かなぁ…。」
「数学。全然わかんないもん。」
芽李子にはポーラが英語がわからないとは不思議だった。しかし、ポーラは生粋の愛知県民。ここがポーラの悩みどころだった。ハーフだから英語が話せるそんな事思って貰っても困るのだ。
「あ、不思議に思ったでしょ?英語話せないこと!」
「ごめん!だけど思った!」
志鶴がそう言うと、ポーラはわざとらしくむっと口を尖らせた。ポーラは忍も言われ慣れていると思い、視線を園に送る。
「よく言われるよねー。」
園の言葉には実感が籠っていない。園は英語話せるのが当たり前と言外に言われたような経験は少ない。園は前までは殆ど日本人にしか見えないハーフだったのだ。そのような経験が少なくて当たり前だった。
「え、言われた事ないの?ニンは。」
「あんまり。特に高校生ぐらいからはないかなー。」
中学生頃まで授業参観があったから自分の父親の顔を知られる機会があった。だから、ねぇ喋ってみてよ英語と言われて困ったことがあったのを園は思い出していた。
「ポーラのお母さんどこ出身なの?」
「日本。お父さんがアメリカ人。」
ポーラはパンケーキを一口サイズに切りながらそう言った。ポーラの父はアメリカ人だが日本語が達者で家庭では英語を聞く機会なんてほとんどないのだ。
「ニンは?」
「お父さんがカナダ人。でも生まれはニューオリンズ。」
そう言って園はサックソフォンを吹くマネをする。しかし、3人はピンと来てないようだ。
「ニューオリンズはアメリカにある街ね。ジャズが有名なんだー。」
皆の口から漏れる声は一様に、へーである。予想はしていたが、もちろん3人ともジャズに興味など一欠片もなさそうだった。それも当たり前か、と園は思う。本場でも衰退の一途なのだ。日本で興味ある人の方が珍しい。愛鯉家並みに珍しいのではないかと園は心の中で自虐する。
「この顔でさー、味噌好きとか言うと超驚かれるんだよねー。」
「え本当?愛知県民みんな好きじゃん、味噌。」
ポーラはその園の言葉に鼻息荒く頷いた。その横で志鶴が涼しい顔でアイスコーヒーを飲んでいる。
「ハーフでも好きなの当たり前だよね!愛知県民だもん!」
ポーラはそう力説するが、園は全くわからない。白味噌文化圏だもの。その代わり、三重県民の芽李子が大きく頷いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます