第35話
鬼人の森は王都アスレイの南東に位置する広大な森である。竜骨霊道の魔力のおかげか、緑豊かな森の幸はあらゆる生き物に恵みをもたらすが、そこには当然自然界における強さによって格差が生じる。すなわち、強い生き物ほどより多くの恵みを享受することができるということだ。そして、この森における強者は人でも動物でもなく、モンスターであった。
「フゴゴゴゴ・・・」
鬼人の森の外縁部から入って少しばかり歩いたところにある岩場にて、そのモンスターたちはそこが自分たちの縄張りであるというように座り込んで何かを食べていた。
「フググウウウウ・・・」
緑色の肉がついた体に、豚をさらに醜く歪めたような顔を持つそのモンスターたちは人間たちからはオークと呼ばれていた。数は6体。食べているのはウサギのような肉であったり、木の実やキノコのようなモノであったり様々だ。鬼人の森の浅いエリアはオークやゴブリンなどが多数棲みついているが、その餌となる野生動物たちも生息している。基本的にモンスターが集まるダンジョンは魔力の多い奥の方ほど強大なモンスターが分布するため、動物たちも浅いところを選んでいる、もしくは濃密な魔力そのものを嫌っているのだとされるが、真相は不明だ。ともかく、その岩場では6体のオークが昼下がりの中、たむろしていたのだ。
「フゴッ?」
そんなオークの内、餌を食べ終えた1体が真上を見上げた。
「フゴゴ?」
夢中で食事をしている他のオークは気が付かなかったが、黒い影が通り過ぎ、何か大きなモノが自分たちの真上を飛んでいったような気がしたのだ。
(オークが6体・・・内3体がちょうどいい感じに固まってるな)
すると、何か意味が分からない言葉も聞こえてきた。
「フグゥ・・・」
しかし、真上を見上げても眩しい日の光が目に入ってくるのみで、オークはすぐに目をそらした。自慢の鼻をひくつかせて臭いをかいでみるも、何も感じない。見れば仲間も声のようなものが聞こえたのか、首をかしげていたが、再び食事に戻っていて、自分もその辺で何か採ってこようと立ち上がった。その時である。
(エンチャントをかけて、と・・・・リーゼ、頼むよ)
「「「!?」」」
また何かが聞こえてきたと思ったら、固まって肉を食べていた3体のオークの首がゴロリと落ちた。
3体の首なし死体から果実を思いっきり割った時のように血が噴き出し、辺りに生臭い臭いが立ち込める。
「フゴァァァ!?」
突然目の前で仲間が死んだオークは、まだ生きている仲間に危険を知らせようとして辺りを見ると・・・・
「フッ!!」
「グホッ!?」
ブゥゥゥゥンという音を立てる武器を持ち、空から落ちてきたような勢いで突っ込んできた人間に、残りの仲間の1体が切り伏せられたところであった。
(リーゼのエア・ブレードで3体は倒して、さらにもう1匹も今倒した)
同時に、また何か得体のしれないモノが頭の中に伝わってくる。
「フガァァアァ!!」
剣の音で気づいたのか、それとも斬られた仲間の声を聞いたのか、最後の仲間が駆けつけてきた。
(あと、2体か・・・)
どうやら敵はあの人間一人だけのようだ。どんな手段を使ったのか分からないが、2体1ならばこちらが有利だ。仲間をやった敵を討ってやる。
「「フゴオオオオオ!!」」
(2体の中間くらいの場所に、攪乱のための魔法を・・)
もう一体の仲間とあの小さな人間目がけて突っ込もうと・・・・
「バンシーズ・シャウト!!」
「「フグアアアアア!?」」
耳元でこれまで聞いたことがないような鋭い音が響いた。
人間だったら「女の金切声のようだ」と言っただろうが、オークはまだそんな声を耳にしたことがなく、その豚のような耳を押さえて立ち止まることしかできない。
「ハアッ!!」
「グギョォ!?」
自分たちが立ち止まっている内に、あの人間はスゴいスピードで近づいてきたようだ。
隣にいた仲間があのうるさい武器で斬られて倒された。
「フグゥゥゥ!!」
まだ頭がガンガンするが、逃げなくては!! ここにいたら間違いなくあの人間に殺される。
さっきまで戦おうとしていたのが嘘のように背を向けて逃げようとしたが・・・
(逃がさないよ)
「インパクト」
「フガッ!?」
頭を何かで殴りつけられたように衝撃が走り、転がるように地面に倒れる。
(これで、全滅!!)
「セイッ!!」
そのオークが最後に耳にしたのは、倒れ伏した自分に人間が刃を振り下ろす音だった。
「のっけからツイてるな」
初日に来た岩場で、僕にしては珍しくそう思った。
ついて早々に鬼人の森での試験のお題、「オークの首5個の納品」を簡単に達成できたのだ。普通の騎士にならば、この戦果だけでもなることができる。
「やっぱりこの消臭ポーションの効果があったのかな?」
鬼人の森上空に入る前、僕はトリス薬品店で買った消臭ポーションを体に振りかけておいた。このポーションは元々体についていた匂いを消し、さらに約1日の間、新たな匂いがつかないようにする効果がある。オークのような鼻が敏感なモンスターと戦うときには非常に役立つアイテムだ。勿論リーゼロッテにもかけたが、この竜は器用にも風の魔法で全身に香水のように吹きかけていた。そこそこ高いこのポーションを、僕とリーゼロッテに使った分だけで使い切ってしまったが、奇襲は成功したし、今日1日しかこの森にいるつもりはないから問題ない。
「キュルルル!!」
「リーゼもありがとうね、でも、食べるのはもう少し待ってね」
上空から風の刃を飛ばす中級魔法、「エア・ブレード」でオーク3体を倒した我が相棒は、早速オークの死体のところに行こうとしたが、僕はやることがあるので彼女を止めた。炎のブレスでなく、風魔法で大きな損傷のないように仕留めてもらったのだから、最後まできちんとしなくてはならない。
「えっと、これを貼り付けるんだったよね」
僕が腰のポーチから取り出したのは青いシールだった。これは、筆記試験の会場を出る際に、試験官の騎士にもらった魔道具だ。
「よっと」
僕がシールに魔力を流すと、青かったシールが赤く染まった。そして、赤くなったシールを転がっているオークの頭に貼りつけると、さらに黄色に変わった。これでもうこのシールは剥がれない。
「これで、本人登録は終わり、後は仕舞って終わり・・・・・うん、リーゼ!! そこの首が無いやつは食べていいよ!!」
「キュルルルル!!」
僕は続けて取り出した、手のひらに収まるくらいの小さな魔道具にオークの首をしまうと、リーゼロッテに声をかけた。
相棒は嬉しそうにオークの死体のところに行くと、その肉をかじり始めた・・・・首なしの死体なら最初から止めずに食べさせてもよかったな。
「さてと、それじゃあ他のオークが嗅ぎ付けない内にさっさとやっちゃうか・・・」
僕がやっているのは、試験のお題を討伐した後の処理だ。
この騎士試験は過酷な試験故、楽して合格したい不届きものが不正を行うこともあり、初期のころは討伐したモンスターの虚偽報告が多数あったらしい。そのような事態をなんとかするために解決されたのが僕の持っている「識別符」と識別符に連動する空間魔法具の「符見箱」だ。これはまず受験者に渡された時点で受験者の魔力を符見箱に記録させる。そして、この符見箱は登録した者の魔力を記録した識別符が貼られた物のみを圧縮、収納する効果を持つ。一度貼りつけた識別符は専用の魔道具がなければ剥がすことが極めて困難であり、符見箱もちょっとやそっとじゃ傷一つ入らないくらい頑丈だ。さらに、識別符が貼られた物には他の識別符は貼りつかないという性質があり、虚偽報告はもちろん、受験者どうしでの奪い合いを避けることができるようになったのだ。ちなみに、識別符は安価だが、府見箱はかなり高価な魔道具で、万が一壊せば弁償しなければならない。よくもまあ、そんな高価な魔道具を受験者全員に回せるもんである。
「よし、終わり」
オークの首をすべて切り落とすと、識別符が貼られたオークの首は細かな粒子となって符見箱に吸い込まれた。1個余分だが、まあいいか。オークの首はお頭とかいう高級料理に使われるらしいし、きっと僕が集めたヤツも誰かの胃袋に入るのだろう。それにしても本当に運が良かった。浅いエリアでは回収した素材の奪い合いはなくなっても、戦闘中の獲物の横取りはかなり起きる可能性が高いと思っていたし、早めに終わって良かった。
「キュルアアアア・・・」
「最近食べてばかりだよね、リーゼ」
相棒の方を見ると、「お腹いっぱい」とでも言うように腹を撫でていた。オークの死体はすべてなくなっているが、先日丸々飲み込んだトロールはもう消化してしまったのだろうか。
「あんまり食べ過ぎて飛べなくなるのは勘弁してね・・」
「キュルア!?」
丸々と太ったリーゼがバタバタと翼を動かして飛ぼうとしているのを想像していると、「失礼な!!」と言うかのように尻尾でバシバシ叩いてきた。全然痛くないけど・・・
「ごめんごめん、悪かったよ。 それで、そろそろ乗せてもらっていいかな?」
「グルル!!」
僕が謝ると「しょうがねぇな」と言ってるように首をすくめてから屈んでくれたので、鞍の上に跨った。
「ありがと。 それじゃあ、あの場所までお願い」
「キュオオオ!!」
リーゼロッテは一声吠えると、大きく羽ばたいて飛び上がった。
さあ、ここからが僕の試験の本番だ。
鬼人の森の奥地は浅いところよりも樹齢の高い木々が並び立ち、葉が日の光を遮って薄暗い。辺りには落ち葉が積もって山を作り、倒木が組み合わさるように倒れて、いかにも何かが住んでいるというような場所もちらほらとある。あまり風が通らないせいか、空気がどんよりとしていて腐葉土の匂いに満ちているが、魔力に敏感な者がいれば、魔力の流れもどこか淀んでいるのがわかるだろう。その魔力の濁りを好むように、ここには強力なモンスターが多数生息している。しかし、森の入り口から繋がる道はここでもしっかりと埋もれることなく続いていることから、定期的に人が整備しているのが分かる。
そんな奥地には時折奇妙な窪地が現れる。それは人間の通る道の近くであったり、大木に囲まれた暗がりであったりと場所はばらついているが、共通しているのはまるで何かが凄まじい力で殴りつけたように中央がくぼんでいて、辺りには岩の塊やそこに生えていたと思われる木が吹き飛ばされたように転がっていることだ。騎士団ではそれらはオーガロードによってつくられたモノであるとされているが、誰もその瞬間を見た者はいない。そんな窪地の上空に僕とリーゼロッテはいた。
「そうそう幸運は続かないか・・・・」
僕の手には魔鋼レンズが嵌った魔導双眼鏡がある。これは魔力を動力にしてピントの調節も自動で行ってくれる優れものだ。
視線の先はつい数日前に掃除し、昨日もやってきた窪地である。そこには、3メートルはある巨体のモンスターが座り込んでいた。
「トロール・・・」
くつろいだように胡坐をかいているのは前にも戦ったトロールだ。
本当はモンスターが来る前にトニルさんの店で買ったトラップを設置したかったのだが。いや、早くにターゲットが単体で見つかってよかったと思うべきか。筆記試験が終わって王都を出たのが午前11時くらい、そこからさっきのオークを倒した辺りで午後の3時くらいで、もうすぐ夕方だ。あと一日しか時間がない僕からすればなるべくさっさと終わらせておきたい。
「さっきと同じパターンで行くか? いや、リーゼには上から警戒してもらった方がいいかな?」
さっきまでと違い、ここで別のモンスターが乱入してきたらモンスターの種類にもよるが、かなりマズい。だから、ここのアンデッドを掃除するときもリーゼにはほとんど上空から見張ってもらっていた。
そうして、少しの間悩んでいると、突然トロールが起き上がって空を見上げた。
「グギャアアアアアアア!!」
「気づかれた!?」
僕の体質も考慮して十分距離を取っていたのだが・・・・確かにリーゼの体躯は大きいから下からでも見えはするだろうけど、精々大きな鳥くらいにしか見えないはず・・・まったくツイてない。ずいぶんと警戒心の高いトロールのようである。
「仕方ない、リーゼ、僕を降ろしてからまた上空で警戒を続けて。 僕がピンチになったら無理やりでもかっさらって欲しい・・・・エンチャント!!」
「キュルル!!」
僕は体と防具などに衝撃耐性、剣には高速振動のエンチャントをかける。そして、そんな僕の申し出に応えるように鳴くと、リーゼは空中で姿勢を変えて急降下を始めた。その間に、レッグホルダーに入れておいた身体能力強化ポーションと魔力増強ポーションを一気飲みしておく。これで、下級魔法相当の強化がかかったことになる。
「よし!!」
僕は全身に魔力を纏わせながら、竜の背から飛び降りた。
「くぅっ!?」
そして、地面から足に伝わる凄まじい衝撃を、僕の魔法で瞬時に操作し、衝撃が伝わる向きを変える。
「行くぞっ!!」
膨大な推進力を得た僕は矢のようにトロール目がけて飛んでいった。
「グギュルオオオ!!?」
「はぁっ!!」
ザクリと肉を斬る手ごたえがあり、僕はザザザと足を地面にこすりつけて勢いを殺すと、トロールに向き直った。
「グウウウウウウ!!」
「チッ!」
怒りの声を上げるトロールを前にして、僕は舌打ちした。
僕の突撃はトロールのでっぷりと肥えた腹をばっさりと斬ったが・・・致命傷とはいかなかったようで、仕留めきれなかった。飛び降りる高度が高すぎて、衝撃のコントロールを誤ったか。だが、腹の傷からはドクドクと血が流れているし、先制攻撃はそれなりのダメージを与えることに成功したようだ。
「その傷、痛いだろ? すぐに終わらせてやるから安心しなよ」
「グゥゥゥアアアアアアアアアアア!!!!」
体に走る痛みを抑えつけるように、トロールは叫んだ。1対1なら前みたいに魔技を使ってカウンターを狙いつつ速攻で決めれば・・・・
「ゴルオオオオオオ!!」
「え!?」
そんなことを考えながら、咆哮するトロールに向けて盾を構える僕の後ろから、その叫び声は聞こえた。
「オ、オーガ!?」
「ゴオオオオオオオ!!」
ボコりとそこにあった大岩をどけて、その下から這い出て来たのは頭から角を生やし、赤茶色の肌を持つ筋骨隆々のモンスター、オーガだった。
オーガはトロールと同じく中級モンスターに分類されるモンスターで、分厚い脂肪を纏ったトロールよりもはるかにスマートな体をしている。それ故、トロールや、オークよりも素早い動きが可能で、猛ダッシュで獲物に近づいて発達した両腕で殴り殺すという狩り方を得意とする。
「つ、土の下に隠れてたのか?」
トロールに見つかる前、リーゼが風の魔法で辺りの臭いを探ったのだが、そんな風に隠れていたせいで見つからなかったのだろう。だが、普通オーガはそんな隠れ方はしない。やけに警戒心の高いトロールといい、この森で何かが起きているのだろうか・・・いや、そんなことよりも、
「グルアアアアアアア!!!」
「ゴオオオオオオオオ!!!」
「2対1か・・・・」
しかも挟み撃ちだ。さらに言うのなら、異種どうしであるにも関わらず、オーガもトロールも狙いは僕のようだ。僕の体質のせいか、そもそも人間嫌いなのかは分からないが。
「キュルアアアア!!」
「リーゼ・・・・」
リーゼロッテが上空で鳴いているが、どうしたものか・・・・いや、答えは決まっている。
僕には時間がないし、おまけに、この森では何か異常が起きている可能性が高い。だが、出し惜しみをしなければ、ここを乗り越えるすべはある。
「リーゼ、大丈夫!! そのまま見てて!! あと、1体!! あと1体までなら行ける!!」
「キュウウウウウ!!」
僕は足に魔力を巡らせながらそう言うと、オーガではなく、トロールの方に向かって駆け出した。
「ステップ!!」
僕は強化された身体能力を駆使し、思いっきり地面を蹴って、伝わってくる衝撃をさらに強化する。
各属性魔法ごとにある、移動のために使う魔法を総称して「ステップ」と呼ぶが、僕の音魔法の場合は、地面を蹴る際の衝撃を強め、操作することで移動スピードと稼ぐ距離を飛躍的に伸ばすという方法だ。
「グアア!?」
自分の頭の上を飛び越えられたのに驚いたのか、トロールはすっとんきょうな声を上げた。
「これで、挟み撃ちはできなくなった」
今は手負いのトロールを挟んで僕とオーガが向き直っている形となる。
「グウウウウウウウ!!!」
「ゴオオオオオオオ!!!」
「1分だ。 1分でどうにかする」
僕自身の体質に加え、あの2体はさっきから相当うるさく吠えているし、遠からずその音に釣られて新手が来るだろう。さっきリーゼロッテに言ったように、中級モンスターならば僕ではあと1体、合計3体までが相手をできる限界だ。しかし、それ以上はもう逃げるしかないが、集まってくる新手が1体だけとは思えない。 だから、早く決める。焦らず、逸らず、確実に。下手な大技は隙を作って死を招く。この場を超える最善の魔法を使うのだ。
「たっぷり聴いてけ、
森の中に窪地に、鬼人を呪う忌まわしき音色が響きわたった。
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