第19話

 甘味ばかり食すようになってきて、その調節に頭を悩ませ始めたころ、酒楽の叔父・拾野波路がふたたび宝物庫を訪ねてきた。飄々とした青年は突然やってきて、酒楽の顔を見るなり悪態をこぼした。


「なんだ、まだくたばらねぇのか」

「わるかったな。それは?」


 拾野波路はひと抱えもある風呂敷包みを運んできた。牢の前に置いた包みを開けると、中にはぎっしり古書がつまっている。


「書架の整理をしててな。不要な本が大量に出たが、貴重なものだから捨てるわけにもいかない。かといって売るのも面倒だと思ったら、そういえばここに不用品を入れておく蔵があることを思い出したのさ」


 酒楽はむっとしたようだが、黙っていた。宝物庫にある本はすでに読みつくしたと話していた。暇をもてあました彼にとり、新たな本はなにより価値があるのだろう。


「まったく、ここは埃っぽくてかなわねぇ」


 拾野波路はそれからも週に一、二度の頻度で現れ、「不用品だ」と言って物を運んできた。多くは貴重な薬学や草木学、漢方の調合の本だったが、時おり、絵筆と綴じ紙を持ってくることもあった。


「俺にはもう不要なものだ。酒楽、お前は画が好きだったろう。自由に使え」

「ごみをもってくるな」

「ふん。ごみ溜めに留まるほうが悪い」


 その顔を見るたびに酒楽は心底怒っていたが、横で見ていた伍仁は拾野波路が、不遇な甥のことを気にかけているように思った。週に数回現れ、こまめに古書や絵筆など娯楽に近いものを置いていく。それは酒楽を思ってのことだろう。彼は酒楽のために、わざわざ足を運んでくれているのだ。

 ある日、あまりに酒楽が彼のことを悪く言うのでその考えを伝えると、鼻で笑い一蹴されてしまった。


「あいつはそんなこと考えない。むしろ、波路は」


 ふと言葉を止め、何かに気づいたように幼子は遠くをみやった。


「なんです?」

「いや。どこかへいくのかもしれないな。身辺整理をしているようだ」

「それは……」


 少々考えすぎではと思ったが、そうでないとも言い切れない。拾野波路が運んでくる物の中には、本当に不要そうな物も多く含まれていたのだ。薬箱やすり鉢など、薬作りの材料器具一式。割れた食器に鉱石、虫の標本に動物の骨――高価かもしれないが、幼子の遊び道具には適さない。本当に蔵へしまっておくべき物も多く運びこまれてきて、宝物庫はしだいに狭くなってきている。このままの頻度で物が運びこまれれば、いずれ居住空間をも侵食するだろう。それが彼の狙いなのかもしれない。


(生活空間がなくなれば、酒楽さまも外へ出ざるをえない、か?)


 伍仁にはどうしても、拾野波路が悪い人間には思えない。彼は酒楽をここから出そうとしていた。それは間違いない。牢の中ですり減っていく幼子の興味をひき、外へ誘おうとしているのだ。


「伍仁、だまされるなよ。あいつはじぶんのことしか考えない、冷血漢だ」


 何を根拠にしたものか、酒楽は拾野波路のことをまったく信用しない。したり顔の幼子は、けれどそう告げたそばから、叔父がもってきた絵筆と色墨を手に取った。画を描きはじめたので、伍仁はなんとなく眺めていた。筆致は見事なもので、芸を生業とする廿野家の血筋をたしかに感じさせた。


「画がお好きなのですね」


 酒楽は答えず、紙の上を走る黒い線に集中している。大きな黒瞳が瞬きもせずに紙を凝視し、白く細い指がよどみない勢いで白紙に模様を描く。墨を落とし、ゆるやかに濃淡をきかせ、手触りまで視覚から伝わるような質感を作り上げていく。紙が色で埋めつくされる――まるでそこに、現実を映した鏡があるように。

 伍仁は息をのみ、様子を見守った。酒楽は天才だ。群を抜く聡明さや回転の速さだけではない。この画を見れば、彼が画家として大きく花開く器なのは明らかだ。画家の腕とは、物事を見る解像度できまる。酒楽はその点、並々ならぬ観察力と分解度を有している。迫真の筆致からはそれが十分に窺い知れる。だからこそ残念でしかたなかった。これだけの才能を有しているのに、うす暗い蔵に閉じこもっているなんて。

(外の世界を見せてやりたい。この才能を、ここで腐らせておくには惜しい)


「酒楽さま、外へ出てみませんか? 画がお好きならなおのこと……外はうつくしい小春日和ですよ。桜の花も満開です」


 酒楽は答えない。聞こえているのかいないのか、黒瞳を大きく見開き、一心不乱に画を描き続けていた。


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