storia.2 《トカゲ少年の見た景色》

1

 潮と磯の香りを運ぶ風が、青い鳥の描かれた看板の上に留まる風見鶏へあいさつをして、くるくると遊び去っていく。ここはポプラシオン世界にある海とともに暮らす街、人々が海街と呼ぶこの街の片隅にギルド『ルリツグミ』はある。


「レザルぅ!先行っちゃうからねー!」

「待ってよ姉ちゃん……」

 そして今回の主人公はレザル。この海街に暮らすトカゲ族の少年がどのようにして『ルリツグミ』にやってくることになったのか、その話をしよう。



「さあて!リーリィ!今日も街のパトロールに行くよー!」

「ちょっとブルハ。ちょっと待ってって言っているでしょう!」

 開店したばかりの静かなルリツグミの店内に、ギルド一の元気印であるブルハの声が一段と響き渡る。それに食いかかるようなリーリィの苛ついた声が重なった。

「だいたい、私はあなたのように魔法が使えるわけではなくてよ?一端の町民がパトロールだなんて……」

「大丈夫だってー、ギルドの宣伝だよ!」

「例えそうでも、私はただのウエートレスだし……店が混んでたらユーレアさんも大変でしょう」

「まだお店開けたばかりだし、お客さんもいないから行ってきて大丈夫だよー」


 尚も渋るリーリィが喫茶も営むギルドの混雑が具合を掛け合いに出したところで、端から二人の会話を聞いていたユーレアが口を挟んできた。行きたくないという気持ちの強い彼女の思いを知ってか知らでか、穏やかな笑顔で言われてしまったのでリーリィもおとなしく引き下がるしかなかった。

「だってさリーリィ!だから、ね?おねがーい!一緒に行こー!」

「……うぐぐ、仕方ありませんわね。付き添うだけよ!」

「わーい!リーリィ最高!デキる女!」

「当たり前でしょう?」

 同時にリーリィは乗せられやすい性格でもあった。

 かくして二人はこの日も元気に海街の見回りに向かう。



2

――どいつもこいつも、脳天気そうな顔しやがって。


 暗い路地裏にしゃがみ込み、右へ左へと流れ行く人々を横目で流し見ながらレザルは吐き捨てた。昔から着慣れた上着のフードを目の隠れるほど深く被り、目の前の景色を遮断する。やたらに長く伸びる尾をくるりと足に巻き、自分の膝を抱えるようにしてそのまま顔を埋めた。

 こうして見える世界から目を背けて、日の当たらない陰で眠りにつくのは彼のいつも日課であった。誰かと話すわけでもなく、誰かに気づいてほしいわけでもなく、ただじっと一日が過ぎるのをひたすら待った。


 いっそこのまま永遠の眠りにつけるならそれもいいと常々思うレザルだったが、それでも一定時間ごとに暴れる腹の虫を黙らせるためには目を覚まさなければいけない。はっきり言えばその目を覚ます行為すら気乗りしないものだったが、そうも言ってはいられず仕方なく顔を上げると――目の前に見覚えのある一人の女の子が彼と同じようにうつらうつらと舟をこいでいる姿が目に入った。

「!?」

 確かそれは最近この街にもできたという"ギルド"に出入りする少女だったはずだ。

 ギルドとは、世界中を旅して歩く冒険者の玄関口とも言われる支援施設で、冒険者だけでなく冒険者とその街を結びつける重要な拠点として扱われることもある。

 レザルとしては人の良いやつらの慈善団体という認識で深く関わることを避けてきた節があるが、そんなギルドに通う彼女も例に漏れず人の良い、いけ好かないやつだった。


 自分の頭よりもはるかに大きい特徴ある帽子を揺らし、ハキハキとした口調で街の人の手助けをしている彼女はやたらにまぶしくて強く印象に残っていた。しかしそれがどういうわけか、彼の隣で堂々と居眠りを決め込んでいるではないか。

――これはどういう状況だ?

 一人で混乱を繰り返して固まるレザルの横で、魔女帽子の少女はゆっくりと目を覚まし彼を見た。

「あれぇ、起きてたの?おはよー」

 短くぴょんぴょんと跳ねる金色の髪と大きな帽子が揺れる。眠そうな青い瞳をゆるくゆがませると、まるで親しい仲であるようにあいさつをした。

 この少女は彼の中ではちょっとした有名人だが、少女からすればレザルなど見知らぬ他人のはず。そうであるはずだが、馴れ馴れしく話しかけてくる彼女に警戒心は高まるばかりだ。

 名乗られてもいないレザルは彼女の名前は存じなかったが、言うまでもなく少女はブルハだ。


「ん?どうしたの?」

「それはこっちのセリフ……。なんで、」

「いやぁ、前になんかの本で読んだんだけど……目が覚めた時に隣にスーパー美少女がいると高確率で青春ラヴストーリーが始まる、らしいんだけど。どう?恋に落ちそう?」

 言葉を遮ってまでこの少女は目覚めてから突然何を言い出すのだろうか。

「いや……それはないな」

「あちゃー。やっぱりリーリィみたいにかわいい子じゃないと無理か」

「そういう問題じゃない……」

 そもそもそんなラブストーリーをどこで読んだのかは気になるところだが、彼は何も触れないこととした。知りもしないやつの隣で堂々と眠りこけるなど、レザルからすれば正気を疑うほど理解も共感もできないからだ。


 しかしいくら人を信じてるからと言ってもあまりにも無防備すぎるのではないか、と赤の他人であるレザルですら心配になる。

「……オレが本当は悪いやつ――この路地裏を這い回る殺人者で、今すぐおまえを殺しにかかってきたら……どうするつもりだったの?」

「あーその可能性は全く考えてなかったなー」

 好奇心で隣に座る彼女に脅し文句を投げてみたが、彼女は怖がるどころか、あっけらかんと答えた。即答だった。無邪気に笑う彼女がウソをついているとも思えず、レザルはまたも意表を突かれる。

 だって、と前置きをしてブルハは言葉を続ける。

「きみが人を傷つけるような人には見えなかったもんで。いやあ、お話ししたら面白そうって思ったからかな?」

 きみは弱そうだから――相手を見くびるような理由がくると思っていたレザルはさらに面食らう。いつものくせで言葉の裏の感情を探ってみるも、何もわからないままで彼は返す言葉を飲み込んだ。


 人を傷つけるような人には見えない。それはとどのつまり戦いに不向きな人だと思われただろうか。くだらないことだったが、それが妙に不愉快だった。

「でも……一応オレは符術士で、戦えるから」

「えっ、そうなの?わー大変だぁ、八つ裂きにされちゃうー!どうしよう、今日はまだリーリィの髪の毛さわさわしていないのに!」

「……うるさい」

 一を投げたら百が返ってきた。

「あと……幻の海色パフェも食べてないし、近所のワンちゃんとランニングもしてないし……!まだまだやりたいことあるのに!」

「うるさい、そんな八つ裂きにしない!」

 自分から投げかけた話題だったが、あることないこと騒ぐブルハの反応にレザルは嘆息した。ので、声を荒げて彼女を静するとブルハはきょとんと目を丸くする。やがてその声はうれしそうな声に変わった。

 胸を撫で下ろす彼女の様子を見て彼の中に小さな興味が芽生える。

「はあーあ、よかった。危うく殺されるところだった……」

「……じゃあ呪ってやる」

 面白半分でぽそりと冗談めかした言葉を落とすと、案の定ブルハは動きを止めた。そして呪われるだのわら人形だのとまた騒ぎ始める。

 その様子がたまらなく可笑しくてレザルは彼女の見ていないところでくすりとした。


「はあー、騒いだ騒いだ。きみって面白いね!どう?よかったらあたしと一緒に来ない?」

 新たなキャッチセールスの流れの一つだろうか。ひとしきり騒いだブルハはレザルの目の前に手を差し伸べた。その瞳は真っすぐ彼の瞳を捉えて離さない、けれども悪徳商法は感じさせない優しいまなざしだった。



3

 かつて、もしも自分に姉がいたのなら――と考えたことがある。眼前で差し伸べられた手に、忘れてしまった人の温度を期待したのもウソではない。

 だからこそ、自分を取り巻く暗く湿った世界から引っ張り上げてほしい、という絵に描いたわがままを淡い期待――自分の手のひらにすっぽると隠れてしまうほど、小さくも大きな手に重ねた。それは絵空事ではないと、低体温の彼には熱すぎるぬくもりとが伝えていた。

「……おお、きみって結構手でかいんだねー」

「!?」

 彼女の素っ頓狂な感想で我に返ったレザルの手のひらにはブルハの手がすっぽり包まれている。あらためて自分が何をおこなったのかを思い返し、込み上げてきたこっ恥ずかしさを拭い去ろうと慌てて彼女の手から自分の手を引っ込めた。が、それは叶わず、彼女の小さな手に手首を掴まれてしまう。

「いやー、てっきり突っぱねられるとばかり思ってたんだけど……手を取ってくれたってことはそれなりに信頼してくれたって捉えていいのかしら?」

「ち、違う。これはたまたまで……!?」

 彼女が何を思ってレザルに近づき話しかけてきたのかはわからないが、少なくとも今まで自分が関わった人物とは違うタイプであることは明確だとわかる。例えるのなら、劇の上でひょうきんに駆け回る役者だろうか。

「あんたが何を思ってオレに近づいたのかは知らないけど、ありきたりの同情なら飽きるほどに見てきた。オレを嗤うためにここにいるんなら、もうこれ以上オレに構うなよ!」

 手を差し向ける人なんて信じられるかよ、と自分に言い聞かせるよう強く叱責する意味も込めて、レザルは叫ぶように吐き捨てた。これ以上自分に関わるな、という心の底から表れ出た悲鳴だったのかもしれない。


 しかしブルハからするとその空威張りな悲鳴はもっと構ってほしいの裏言葉だと捉えたのか、彼女の反応はまたも予想の範囲を越えていた。一瞬だけキョトンとした表情を見せたかと思うと、膨れ上がった風船の口から勢いよく空気が溢れ出るようにどっと笑い出した。

「!?」

「何それあはは!そんなセリフ、本当に言う人初めて見た!ねぇねぇ、今のもっかい言って!!」

 目に涙を浮かべてまで笑い転げる彼女にレザルは今度こそ二の次も言えなくなってしまった。実のところ、彼女は彼の言葉については何も考えていなかった。

 普段であれば彼も嫌みの一つでもこぼしただろうが、この時ばかりは不思議と悪い気はしなかった。それどころか、彼女の笑う姿に心地良さすら感じたのは、はじめてのことで不思議なことだった。


 ふいにブルハは彼の被るフードも気にせず、その上から空いている片方の手でレザルの頭を撫でてきた。突然のことで驚くレザルだったが、やめろと口にするわりに抵抗は控えめだった。

――こんなお姉ちゃんがいてほしかったな。

 という憧れの気持ちを飲み込もうとした時に、ブルハが調子に乗って少々乱暴に撫でてきたのが少し痛かったので思わず声が漏れた。

「……やめてよ、姉ちゃん」

「……ん?」

「…………あ」

 ブルハは目敏かった。彼が自身の呟きに気づいた時にはわしゃわしゃと撫でる手を止め、射抜くほどの大きな瞳でレザルの顔を覗き込んでいた。期待とうれしさのいっぱい詰まったアクアマリンがレザルの瞳を捉えて、彼の呼吸も世界も一秒だけ時間が止まる。

「今……」

「あ、いや、これは……違う……」

「姉ちゃん!姉ちゃんって言ったよね!?うわぁ、それ、あたしのこと?」

 どうやら彼女が運良く聞いてなかった、などというご都合主義は存在しないらしい。今にでもこの場から走り去り、逃げ出したかったが彼の細腕を掴む柔い手がそれを許さないままだ。


「なんか、弟ができたみたいでうれしい!」

「…………うるさい」

「こうなったらあたしの弟を意地でも紹介したくなったから来て!」

「いや、俺は……」

 その時辺りにぐぎゅうというなんとも力の抜ける音が響き渡った。ブルハの出現ですっかり忘れてしまっていたが、レザルは空腹で目を覚ましたのだった。耐えるに耐えられないほどの辱めを味わった彼はより一層フードを深く被ることを試みるが、ぐいと引っ張られた腕のせいでそれは叶わなかった。

「ってか引っ張ってでも連れてく!へへ、おなか空いてるんでしょう?リーリィの料理はそれなりに美味しいよ!」

「ちょっと……!?」

 彼の言葉などついに聞くこともなく、ブルハはレザルの手を引いて光ある方へと引っ張りあげる。もはや空腹には勝てず、抵抗しても無駄だと悟ったレザルは手を引かれるままに歩き出す。



4

 ギルドにたどりついた先でまず二人を出迎えたのはリーリィだった。

「ブルハ!全く、私は貴女の身勝手に何回振り回されればいいのかしら?一緒にパトロールしようと強引に誘ったくせに、私を置いていつの間にかいなくなるなんて!」

 彼女の訴えを聞いて、ブルハはあごに手を添えて申し訳なさそうに答える。

「あー、ごめん。……怖かった?」

「こ、怖くなんて……。そもそもリーリィのような愛らしい乙女を街中に一人置き去りにするなんて、考えられないわ!」

「こりゃうっかり!天才のリーリィなら入り組んだ街の道に迷うことなく帰れると思ったから、大丈夫だと思ったんだけど……無事に再会できてラッキー!」

「貴女ねぇ……」

 開口一番に非難の声でまくし立てられるも、当のブルハに深く気にしている様子は見られない。彼女が自分のペースで他人を振り回す態度はレザルに限った話ではないようだ。


 そしてこれ以上言っても意味を為さないと先に諦めたのはリーリィの方だった。代わりにブルハの後ろでこそこそと様子を伺う謎の人物へと興味を移す。

「それで……貴女の後ろにいる"それ"はなんなの?」

「この子?気になる?知りたい?」

 ニコニコと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、ブルハの方が詰め寄ってきた。半ば呆れ気味のリーリィは催促を促す。

「路地裏で拾った!」

「捨ててきなさい」

 すると促したにも関わらず、清々しいまでの即答だった。さすがのブルハも即答は堪えたようでみるみるうちに目に涙を溜めて――。

「うわーんママー!だってだって、拾ってそうな目でこっちを見て……」

「見てない」

「誰がママよ!貴女みたいな台風娘こちらからノーセンキューよ!」

 訂正、ブルハはまるで堪えていなかった。そして演技がかった彼女に対して、レザルもリーリィも辛辣な言葉で切り返した。「二人とも冷たいなぁ」と本音をこぼしたわりには、とてもうれしく楽しそうなブルハだった。


 そもそも、とリーリィは続ける。

「どこの馬の骨ともわからない子を拾って、どうするつもり?まさか……ギルドの一員として迎え入れる、なんて言い出すんじゃないでしょうね?」

「そのまさかだよ」

 へらりと笑うブルハは当然のように返す。お返しと言わんばかりの素早い切り返しだった。リーリィが驚いて甲高い声を上げると同時に、彼女の後ろで成り行きを傍観していたレザルもえっと声を漏らした。

「ブルハ……まさか冗談でしょう?本気で言ってるの?悪いこと言わないわ、今すぐ元の場所に戻してきなさい……」

「なんで?」

「このギルドに相応しくない!と言いたいのよ。そもそもこのリーリィが路地裏育ちの不潔な輩と同じ場所で過ごすなんて考えられないわ!ブルハ、それ以上私に彼を近づけないでちょうだい……」

「じゃあお風呂にでも入ったら問題ないね!」

「そういう問題じゃあないわ!」

「……巻き毛ババァ」

「…………なんですって?」

 明らかに歓迎ムードではないリーリィとそれをなんとか説得しようとするブルハ。そんな二人のやり取りにレザルはうんざりしていた。特に自分のような者を毛嫌いする人の態度には見飽きているが、決して慣れたものではない。言葉に表すなら――虫唾が走る、そんな思いから出た嫌みだった。

「まあまあ落ち着きなされ。リーリィの巻き毛は毎日セットしてるんだよ?」

「それは今関係ないでしょう?!」

「今本場モノの修羅場を目の当たりにして感動してるの!リーリィわかって!」

「わかりたくもないわよ!」

 心からの嫌みを吐き出したつもりのレザルだったが、目の前で繰り広げられる意味のないやり取りを見ているうちに自分の場違いな嫌みが恥ずかしくなってきた。ただただ傍観に徹していたら、小生意気に鼻を鳴らしたリーリィが言葉を続けた。

「まあ、ブルハがくだらないものを拾ってくるのはいつものことだわ。……このリーリィの邪魔さえしなければギルドに入ることを許してもいいのですわ」

「そういう単純なところ、すごくかわいいと思うよ」

 かわいいと言われてさらに機嫌をよくしたのか、リーリィは当然だわ、と胸を張り始める。レザルはブルハの本音交じりの「かわいい」は聞かなかったことにした。



5

 やはりここにはいられない。そう思って踵を返しギルドから出ようとした時、ギルドの入り口に二人の人影が立っていた。

「あれー、新入りくんかな?」

「あ、ユーレアさんおかえりなさい!」

「ただいま。ブルハたちも帰ってたんだね」

 緩く結った三つ編みを揺らしてブルハに笑いかける女性はこのギルドのマスター、ユーレアだ。その隣に立つ巨躯の男はナギアだろう。二人の格好が少しだけ乱れているところを見ると、二人は今まさに高難易度のクエストから帰ってきたところなのだろう。人手の足らないギルドでは実力のあるユーレアとナギアがクエストに駆り出されるのはいつものことだった。

「ユーレアさん、あのね!今日ちょっと面白い子を拾ったんだけど、ギルドにいれていい?」

「子ども……?」

 ブルハの言葉でナギアはレザルの方を見る。無理やり連れて来られたのだろうか、小汚い格好の彼はナギアを睨み付けあまり乗り気の姿勢は見せない。

「いや、オレは何も……」

「あ、いいよー!」

 レザルをひと目だけ見たギルドマスターの返事は羽よりも軽いものだった。

「……マスター、ここは養護施設じゃねぇんだぞ?」

「え、だってギルドメンバー募集中だし?」

「だからって、誰でもいいとは限らないだろ……マスター?」

 なおも食ってかかろうとするナギアを制して、居心地の悪そうに沈黙するトカゲ少年の方へと向き直る。そのただ者ではない風格にレザルは少し怖気づいて後ずさるが、負けじと睨み返した。


 睨まれていることなど意に介さないように、彼女は目線を合わせてかがむ。

「初めまして、君の名前は?」

「……」

 怪訝そうに眉根を寄せるレザル。警戒と迷い、訴えかけるような彼の視線――など知る由もなくブルハはあっと声を上げた。

「そういえば名前聞いてなかったね!」

「うっそ、こんなに仲良さそうにつれてきたのに名前聞いてないの!?」

「たっはー!うっかりだね!」

「……まずは自己紹介するのが基本じゃないかしら」

 それもそうだね、と笑ってリーリィのお咎めを受け流し、ブルハはレザルの隣に立つ。

「あたしの名前はブルハだよ!君の名前は……トカゲちゃん?」

「トカゲちゃんとか……ダサっ」

――ものの一秒の返しで否定されてしまった。しかしどこかうれしそうで、わざとらしく深く溜め息をつくとボソボソと口を動かした。

「えっ、何?聞こえな……」

「……レザル。オレの名前はレザルだ……」

 最後の方にはだんだんと小さくなってしまい聞き取れなくなってしまったが、確かに彼は名乗った。それを受けたブルハのテンションメーターがうれしさで振り切ってしまう前に、ユーレアはレザルくん、と優しく語りかける。


「今、あなたに問いましょう。もしもあなたが望むなら、ここを拠点とすることを認め喜んでこのギルドへ迎え入れましょう。あなたにその覚悟と意志があるのなら、この赤い果実を手に取ってください」


 仰々しくも目の前に差し出された彼女の手のひらには、赤い果実と青い鳥を模したブローチが握られていた。それを受け取ることがギルドの一員になることを受け入れるということだとわかり、レザルは躊躇った。別にギルドに入りたいわけじゃ、そう言葉を告げると口を開いた時に真横から勢いよく飛びつかれた。

「がはっ!?」

「レザルぅ!やったね!これで、私たち家族も同然だよ!一緒にクエストもパトロールも行ける!」

 テンションメーターを振り切ったブルハの熱すぎる抱擁――ではなくもはや体当たりに近い愛情表現だった。当然バランスを崩したレザルはその場に倒れ伏すがお構いなしだった。

「ちょっとブルハ……」

「まだブローチは受け取ってないよな……」

「ね、姉ちゃん……!オレはギルドに入るなんて一言も……」

――言ってない。そう続けようとしたレザルだったが、心の底からうれしそうな表情を見せるブルハを見て告げるべき言葉は飲み下した。


「……もう、勝手にしろよ」

 これは諦めの言葉か、決意の言葉か、少年は吐き捨て立ち上がり、静かに手のひらの赤い果実を受け取った。

「こうなったら、とことん世話を焼いてもらおうか……むぐ!?」

 そして、キザにも格好つけようとしたレザルだったが、次の瞬間には柔らかな香りと共にユーレアの豊満な胸の中に抱き寄せられていた。遅れた頭がその事実に気づいた時、レザルは尾の先まで硬直してしまった。

「わー!ありがとうレザルくん!みんな、今日は祝杯だよ!『ルリツグミ』に新しいメンバーだよ!」

「……マスター、そいつ離してやらないと恐らく窒息する」

「あ、ごめんつい……!」

 笑いながら放してくれたユーレアに罪悪感はなさそうだ。解放されたレザルは今生で一番大きく目を見開いた状態でしばらく息を整えていた。まだ余韻に浸っていたい気持ちを押し込め、深く息を吸って、吐いて、混乱した脳を沈める。今まで愛情を知らずに育った少年には少々刺激が強すぎたのかもしれない。

「ようこそギルド『ルリツグミ』へ」




 こうしてトカゲの少年レザルは流れ流れて、ギルドのメンバーとして迎え入れられたのだった。初めてできた"家族"らしい温もりに触れた少年はこれからとざした心を開いていくのだろう。



――海色のタペストリーにはいくつもの物語。さて今日はどのお話をしましょうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る