第10話

 メイの血肉となることを誓ってから、二日目。(正確には一日と一〇時間後)つまり残すところあと一日となった時に、僕は隣町の公園まで来ていた。いつか、行かなければならないと思っていたのだが、明子と何度か来て以来、一度も行っていなかった。そもそも、神崎市に入るということじたい久しぶりの出来事だった。

 僕はそこで何をするでもなく、あの時のベンチに腰掛けて、ただただぼーっとあたりを見渡していた。一年以上前と何ら変わらない。いや、下手をすると告白したときから変わっていないかもしれない。

 思い出巡りでもすれば、時間がつぶせるかなとも思ったのだけど、その目論みは大きく外れた。あまり家から出ない者同士であったため、移動範囲が極端に狭かったのだ。

 結局、あの時と同じように僕は暇を弄ぶ羽目になった。違うのは、今が午前中であるということぐらいだろうか。

 同じような鈍色の空を眺めていると、声をかけられた。


「あ、先輩じゃないですか。聞きましたよ、大丈夫だったんですか?」


 声の主へ目を向けると、そこには会社の後輩の姿。名前を上代成樹かみしろなるきと言う。髪型をしっかりとセットしている風でもなく、かといって決して乱れているというわけでもない、そんないつも通りの黒髪。――没個性すぎるが故に、逆に浮いてしまっている彼は、当たり前のように僕の横に座った。

 もっとも、今日の彼は没個性とか以前に個性的であった。


「話が回るの結構早いね。……いや、それ以前の問題として、僕は君がどうしてそんな格好をしているのか、ものすごい気になるんだけど」

「ああ、これですか。まあ、少しばかり仕事で……。あ、仕事と行っても副業の方ですよ」


 彼は、神主なんかがよく着るような、白い狩衣に浅沓を身につけ、それから頭に烏帽子を被っていた。

 僕は彼が言った副業と言った意味を瞬時に思い出すことができなかったが、しかし、少しして彼の副業が何だったか思い出せた。


「ああ、神社の方で何かあったのか。しかし、この季節に狩衣とはかなり熱いだろうに、余計なお世話だろうが、熱中症には気をつけるんだよ」

「ご忠告ありがとうございます。でも一応、言っておきますが、これは狩衣ではなく浄衣といいます。……で、今回はお祓いの依頼で来たんですよ」


 そう言って彼は、剣で何かをぶった切るような動作をして見せた。まるで、お祓いというニュアンスは感じられない動きである。お祓いというより、斬殺すると形容した方がまだ正しそうな動きである。


「お祓いと言っても、何を祓うんだい? 地鎮祭……ということは、寂れたこのあたりを見る限り、違うみたいだし。よもや、霊を祓うということでもないだろう?」

「ええ、おっしゃるとおりです。僕は今から、ある人についた霊を祓いに行くのです」


 まさか、冗談だろ? そんな言葉が喉をついて出そうになったが、何とか呑み込んだ。吸血鬼の存在をあっさりと認めた割に、非科学的なものは信じない質の僕は、反射的に否定してしまいそうになったが、メイという吸血鬼の存在を認めてしまっている以上、そのようなどっちつかずな態度はしてはならない。


「しかし、霊を祓うのに、神主ね。……昔、あるいは今もだけど、妖魔とかには安倍清明とかに代表される陰陽師ってイメージがあるんだけど、それと神主のお祓いにはどんな違いがあるんだ?」

「ああ、あれですか。正直、僕の場合は微妙なんですけど、というか、例外なんですけれど、基本的な区別はありますよ。そもそも、土台が違うんです。神主は神道が下地としてあるんですけれど、陰陽師の場合、あれって今で言うところの占い師なので、当然、祓い方に違いがあります。何より、役目が違います。そもそも、神主って霊感とかそういうものがありません。ただただ神様のことしか感知できないんです。まあ、じゃないと誤って変な心霊を奉っちゃったりしますからね。対して、陰陽師は逆に神様とかを感知できない代わりに、心霊を感知することができるんです」

「ふーん、じゃあ、こういうときは、陰陽師を呼んだ方がいいじゃないか」

「いえ、案外そうでもないですよ。陰陽師は確かに、直接そういう霊の類いをねじ伏せますけど、僕達も祓えないわけじゃないですし。僕達の場合は、神様の世界とこちらをつなげて、穢れなんかを浄化しているので」


 少し面倒くさい話に入ってきたなと、思い始めたあたりで、そういえばとあることを思い出した。そもそも、神主と陰陽師を同一視してしまった一つの理由として、神主である彼がそういう類いのものを見えるという節があったからである。

 もっとも、そういうのを聞いたことがあるというレベルであり、僕は別段信じてはいなかった。


「そういえば、君は生まれも神主の家だったららしいけれど、そういう類いのものは見えるだろ? 今の話によるとかなり不味い状態じゃないのかい?」

「ああ、まあ、普通だったらかなり致命的なんですけれど、僕の場合はまあ特別なんですよ。こればっかりは仕えている神様の特性上、仕方がないんです」

「特性?」

「はい。神裂かんざきのみこと――呼んで時のごとく、神を殺すための神です。もっとも、ここでいう神というのは、皆が抱くイメージの神そのものだけではなく、神道的な、もしくはスピノザ的な意味での神でああって、森羅万象、全てのものに宿っているものという意味です」


 つまり、(恋も含めて全ての)縁切りの神様である。と彼はまとめた。


「で、俺がそういうのを見える理由ですが、大方、その神様の加護です。全てを絶つ加護があるというのに、何も見えないんじゃ意味がないじゃないですか。ですから、その対策みたいなものですよ」


 だから、特別で例外なんですと彼は言う。


「しかし、神裂きの命ねえ。この神崎市に奉られているというのだから、なんだかできすぎな気がするよ」

「まあ、名前は大事ですからね。それこそ、名は体を表すなんて言いますし」

 名は体を表す――最初にその話をしてくれた彼女が頭の中をよぎった。

「でも、嘘をつくときはあるよ。例えば僕みたいに」

 進――いっそのこと自分で言ってしまうが、このところの僕は前進はもとより後進すらしていない。これで進と言う名前だなんて笑わせる。

「それは、先輩の名前が強すぎるだけです。人間、休みがなくちゃやっていけませんから。大丈夫です。先輩の場合は、時が来たら必ず進みますから。どこかに歩みを踏み出します。そもそも、名が体を表さない時なんてないんです。あったとしても、それはすぐに露呈してしまうような簡単な嘘しかないですよ」

「そうだな。僕は金腐川の名に漏れず、汚い心を持っているしな」


 金腐川――石川県に流れる川であり、金属類が腐った(さびた)ような色の水が流れているところである。


「金腐川……ああ、あそこの。栄養分が高い、特に鉄とかミネラルを多く含んだ豊かな水ですね。……なるほど、先輩もあの川に名に負けず、かなり豊かな心を持ってますもんね」

「豊かなわけがあるか。僕はどっちかというと乏しい心しかもってないよ」

「? そうですか? まあ、じゃあ、豊かな血液をお持ちなのでしょう。それこそ、吸血鬼に好まれるような」


 いきなり確信に迫るような、問いかけに僕は思わず図星と言わんばかりの反応をしてしまった。しかし、言った本人は本当に適当に言っただけらしく、公園に設置されている時計を一瞥した後、


「すいません、どうやらもうもう時間のようなので、失礼しますね。では、また今度」


 そう言ってここを去って行った。

 僕はしばらく、彼の発言の意図を推測してみようと思ったが、結局、分からなかった。彼がメイのことを知っているのかどうか、それすらも分からなかった。僕はそこまでして、考えるのを放棄した。

 時刻はまだまだ午後が始まったばかりである。僕は再び鈍色の空を眺めることにした。

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