第2話 ファントム・アタック

 2037年6月10日水曜日。ちょうど朱雀が18歳の誕生日を迎えたタイミングまで、時間は半年近くさかのぼる。モモコによると、その日が最初に攻撃を受けたタイミングだったからだ。


 その日も12時になると、いつもと同じ昼休みのチャイムが鳴った。人々が一斉に食事を取りに離れる中、一人席にたたずみ仕事に打ち込む男型のサイボーグがいた。通称キンラマン。汎用型サイボーグであり、身体能力は人間の3倍はある。コーヒーとアンパンをエネルギー源としながら、キーボードをひたすらたたき続けている。彼の仕事はオフィス・オートメーション用のロボット導入・監視が仕事だった。

 そのオフィスは昼は節電のため自動消灯時間に入る。電気が落ちたそのとき、いつもと異なり机の上の電話がけたたましくなった。キンラマンは半ば条件反射的に左手を動かす。義手技術により大幅に改良された手の動きはなめらかで無駄がなく、鞭のような速度で電話を巻き上げた。この時間の電話は珍しい。

 「オフィスロボが暴れてます・・。キンラマン助けてください。」

 それは、晴天の中で突然の雨を受けたようなトラブルコールだった。

 

 キンラマンは速やかに上司のモモコにエスカレーションのショートメールを送り、オフィスの階段を駆け上がった。6階層も上のフロアだが、サイボーグの足には何の負担もない。エレベーターでの移動より10倍は早いはずだ。高速移動モードでも息も切らさず、15階まで登りあがりドアを開けた瞬間、目の前の通路にはコピーマシンが大玉送りのボールのように、高速で回転してキンラマンに襲いかかってきた。とっさにかわそうにも、間に合わず腕でのガードが精いっぱいだった。コピーマシンは衝撃音とともに動きを止めるも、その反動を受け、キンラマンは10メートル跳ね飛ばされる。

  鈍い音が部屋に響くも、キンラマンは何とか受け身をとり、立ち上がる。そのときすでに、キンラマンの目の前までロボットが迫っていた。素早くレスリングのファイティング・ポーズをとったキンラマンをロボットが強襲してきた。初撃を今度は素早くかわすともに、がっちりとロボットとサイボーグの組手が始まった。汎用型のサイボーグは頑丈な作りで、基本的には力が強い戦士になれるような作りになっている。

 

 広いフロアの中央で、腕どうしがぶつかり合う固い金属音が反響する。しばらく、力と力の均衡状態に入ったその時、「キンラマン、ロボットを破壊してはだめです。」

 凛とした声がフロアを駆け巡った。モモコが、EUD部隊2名を引き連れて立っている。エレベーターより駆けつけたようだ。手早くEUD部隊2名に避難誘導の指示が飛ぶ。

 「既に、遠隔操作でそのロボの強制終了は試みているけど失敗。あとは、ロボット頭部の後ろにある、強制終了ボタンだけが頼り。キンラマン、そこを狙って。」

 しかし、がっちりと組手をしているキンラマンは容易には動けない。誰かが近づこうにも、ロボットの動きが読めないので危険すぎる。


 奥の手か・・・。モモコは時間魔法での介入を考え、迷っていた。彼女は自分が魔法使いであることを秘密にしているので、あくまで奥の手の手段として残しておきたかった。しかし、右手を手提げ袋に忍び込ませ、魔法道具である短いクラブを握りしめた。金属棒の先にあるクリスタルの冷たい感触を手に感じたその時、別の策をひらめいた。

「あちらの別ロボットを強制操作して、暴走ロボットの動きを止めて。」モモコは避難誘導を終えた配下のEUD隊員に指示を出した。キンラマンの組手もそろそろ限界か。無制限に見える彼の体力にも疲れが見え始めていた。EUD隊員は、ノートパソコンを利用して、リモートで他の汎用ロボットに臨時プログラミングを打ち込んでいく。プロの仕事だ。


 手際よくアルゴリズムを与えられた汎用ロボットは、背後から暴走ロボットを取り押さえようと回り込んた。その瞬間、ロボットはキンラマンとの組手を解消した。同時にキンラマンを強打するとともに、背後の新手に向かった。キンラマンは後ろにのけぞるも、何とか態勢を持ちこたえた。そのとき、ロボットは背中をキンラマンに見せた。キンラマンはその瞬間を逃さなかった。

 床を力強く踏み込み、暴走ロボットを背後からつかみ、思いっきりバックドロップをかけた。暴走ロボットの後頭部が床に強くたたきつけられた。それと同時にスイッチは切れて、ロボットはモニュメントのように動かなくなった。キンラマンは立ち上がると、ふーっと安どの息を流した。サイボーグとはいえ、一部は生身の体なのだ。


 モモコは、キンラマンにロボットにダメージを与えたことをしかるとともに、それでも止めるためには仕方なかったのでと、労をねぎらった。その後、素早くEUD隊員に指示を出し、汎用ロボットによるフロアーの片づけが始まった。キンラマンには、止まった暴走ロボットを担がせて、地下の研究所に搬送する。まるでファントムか悪霊にでも取りつかれたような動きはなぜだったのだろう。まずは、障害の原因究明が必要だった。

 キンラマンは、停止したロボットから、制御プログラムの入ったメモリカーネルを抜きだしながら、ふとマルコの福音書を思い出していた。その一節にはイエスの悪霊払いのシーンが書いてあったからだ。確か、イエスが「汚れた霊よ。この人から出ていけ。」と言い「お前の名は何か。」と尋ねると、その男は「我が名はレギオン。我々は大勢だからだ。」と言ったはずだ。

 特に魔術師としてのスキルを持たないキンラマンですら、ロボットが悪霊に取りつかれたように見えたのだった。イエスはあの後、悪霊を豚の群れに放り込んで、崖から落とし、水死させた。キンラマンは自分のこの行動が悪霊払いのようなものだと思いながら、メモリーカーネルを端末に差し込み、試験用の仮想空間に送り込んだ。

 この仮想空間には、ロボットをシミュレートするためのラボが用意されている。ここで、動作確認のテストを実際に行なっており、不具合の調査もまずはラボで行う。安全が確認できて、始めて現実世界にリリースする仕組みだ。

 その仮想空間はEx-Lifeと呼ばれている。キンラマンは仮想空間に入るため、現実世界では一人用個室に入った。その部屋は、狭くリクライニングシートだけの一人用で安全が確保されている。キンラマンは、シートに腰掛けて少し深呼吸した。仮想空間に入ることは海に潜るのと似ている、サイボーグになってから、現実の海は遠くなったなとふと思い、沖縄で潜っていた頃を懐かしく感じたていた。


 キンラマンは、気持ちを落ち着けてから首の付け根にある端子に直接接続した。この端子は、先ほど接続した汎用ロボットのメモリーカーネルとの接続デバイスと同じである。サイボーグ技術は、汎用型ロボットの技術から派生したもののなので、両者の構造は兄弟のような違いしかなかった。一方、生身の人間が仮想空間に入る場合は、バイクのヘルメットのようなデバイスで接続する必要があった。このため、どうしても反応速度でサイボーグに及ばない。このため仮想空間で日夜繰り広げられるゲームでは、キンラマンは神的な存在だった。


 仮想空間にログインすると、まずは、特にセキュリティのかかっていない誰でも入れるパブリック・スペースのホームからスタートする。パブリック・スペースとは言え、ホームなので家のようなものだ。他人が簡単には入れない。キンラマンはここに多くの装備をバックアップしていた。仮想空間でも、持てる重量には制限があるのだ。

 今回の案件は特殊なので、いつもよりは慎重に武器と防具を選ぶ。先程の現実世界での戦闘を想定しながら、どちらかというと防具に重点を置き、重装歩兵の鎧であるヘビーメタル・アーマーを選択した。武器の方は、先日ゲームのボス討伐の報酬で手に入れた短剣グラディウス・マキシムスを装備。いずれもウルトラ・レアな装備で強力である。武器を軽くし盾装備をやめたことで、速度を生かした近接戦闘には有利なはずである。

 装備を終えて、会社専用のプライベートスペースに入り込む。Ex-Lifeでは、IDが現実世界の人と一意に紐付いているため、同じ人がいくつものアバターを持つことが出来ない。このためダミーやフェイクがいることはなく、悪意な行為を防ぐ事が実現していた。このため会社側でIDの許可をすれば、セキュリティの壁を突破してスムーズに会社のラボにテレポートできる。


 キンラマンは移動先を会社に指定して、テレポートでラボに入ると、すでにEUD部隊の但馬リーダーが送り込んだ制御プログラミングコードのチェックを終えていた。

「キンさん、EUDが保存していたバージョンと差分チェックしましたが、何も違いありません。誰かが改変したということではないようです。」

 もともと、プログラムはユーザーが勝手に変えないようなルールになっている。まずは、原因の切り分けとして、特定の誰かがおかしなプログラムを入れたわけではないことが分かった。

「ならば、バグでしょうか?」

「考えにくいです。今回の戦闘的な動きは、何らかの手を入れないとできないと思いますので。」

「では、再現するか仮想空間で動かしてみませんか?」とキンラマン。

 早速、仮想空間上に用意されたバーチャル汎用ロボに制御プログラミングをインストールし、起動を行った。仮想空間のラボ上には、3Dカメラで取り込んだリアルな本社のオフィスが再現されている。ここでのオフィス作業は、いまだにある手書き文字を電子帳票に移し替えて、コピーを打ち出す仕事だ。これを仮想空間上の汎用ロボットで実施した。


 キンラマンと但馬リーダーは一挙手一投足を注意深く見ながら、ロボットに付き合うも、一連の工程を問題なく終えた。

「何も問題ないようですね・・・。」とキンラマン。但馬リーダーは、うーむと考え込みながら、「環境起因の問題かどうかを確認したいですね。つまり、仮想空間上のロボットと現実世界のロボットの違いによるところです。」と回答。

 但馬リーダーは現実世界側に通信を行い、状況の説明と二つの依頼をモモコに行った。

 依頼の一つ目は、アクセスログの解析。何時何分何秒に悪意ある外部侵入が無かったかを確認するためである。

 依頼の二つ目は、現実にいる問題のロボットの人工知能コアを、仮想空間上のロボットに転送すること。この作業は、人間を仮想空間に送ることと類似している。同じ種類のロボットでも、人工知能コアは現実空間にあるロボットごとに学習している内容が異なっているからだ。この人工知能コアに問題がある場合は厄介である。人工知能コアは、シナプスでつながった脳を模倣した構造であるため、制御プログラムのように人間が目で見てわかるような作りにはなっていない。このため、実際に動かしてみないとわからないのである。

 モモコは、速やかにアクセスログの解析を部下の大川に依頼し、EUDメンバーには人工知能コアの転送を指示した。部下の大川はキンラマンの同期である。システムにはそれほど強くないが、なぜかこのシステムを管理する部署に配属になったため、もっぱら単純作業を指示されることが多い。


 指示を終え、しばらくすると大川がモモコにうつむきながら話をする。

「すいません。消しちゃいました・・・。」

「何を消したの。」モモコはまさかと思いながらも聞く。

「アクセスログです。」

 後ろで聞いていた河合課長が、モモコよりも早く、間髪入れずに大川を大声で叱る。

「大川、自分が何をしたのかわかっているのか。ムーブとリムーブ間違えた?3年目が新人みたいなミスするな。」

 だが、後の祭りである河合課長自らがチェックをすると、アクセスログは跡形もなくすっかり失われていた。


 一方、暴走ロボの人工知能コアを転送した仮想空間上のロボットのテストが再開されようとしていた。転送が完了すると同時に、汎用ロボットの動きが始まった。明らかに制御プログラムを無視したものである。

 キンラマンは速やかに防御態勢に入った。

「但馬さん下がってください。モモコ隊長への報告はお願いします。」

 ロボットは何かに取りつかれたかのように再び暴走を開始した。先程と同じようにコピーマシンが投げられて飛んでくる。だが、仮想空間である。キンラマンは、ライフルの弾丸も避けられるほどの高レベル・ステータスだった。飛んでくるコピーマシンをかわす事などわけもない。一瞬のうちにロボットの腕をグラディウスで斬り飛ばし、後ろ回し蹴りを浴びせた。

 硬い衝撃音と共にロボットは10メートル先の窓ガラスを突き破り、15階下の地面向けて落下して行った。キンラマンは、飛行モードで降下し追いかけたが、地面との衝突でロボットはバラバラになっていた。その後、Ex-Lifeの破壊判定を受けて塵のように消えていった。まるで福音書のレギオンのようだなとキンラマンは思った。


 一部始終をモニターで監視していた河合課長は、但馬リーダーの報告を受けるより先に動いていた。「50台全てのロボットの即時停止と、人工知能コアのチェックを実施する。」EUD部隊への指示と、会社上層部への緊急連絡に走り始めた。許可を待たずの実行は、独断専行と呼ぶ人もいるが、有事である。原因が人工知能である事がわかったため、同じ問題がないか早急に調べなくてはならない。彼の優先順位の的確さと瞬発力の速さは全社の中でも随一だった。

「今日は徹夜覚悟で、全てチェックしましょう。なるべく早くロボットの業務への復帰をする必要があるので。」と河合課長の意を受けたモモコの号令。こうして、障害の横展開調査が始まった。


 生身の人間は、仮想空間に2時間滞在したら15分の休憩がルールである。但馬リーダーは交代制の調査体制を手際よく整えて、陣頭指揮にあたった。キンラマンはサイボーグなので滞在時間は12時間連続が可能だった。受け持ち時間は非人間的なものになる。

「やれやれ、長い一日になりそうだ。」とつぶやき、キンラマンは休む間も無く作業に黙々と取り掛かった。

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