第4話 留守番魔女と灰かぶり男

俺を、力一杯、殴ってくれ。


「……は?」


 リュンヌは、呆気にとられて声を上げてしまった。

 言葉の一つ一つを強調するかのように区切り、とんでもない発言をした男の顔は、真剣だった。


「さぁ、殴れ」

「え? えぇ~……? い、嫌よ」

「なぜだ? 灰を止めたいのだろう? 俺は、自分の意思でこれを止める事は出来ない。だが、俺の意識が無い間は、この灰が止むことは実証されている。睡眠中、寝台を灰だらけにした事は無いからな。……だから、殴れ」


 殴りやすいようにという配慮のためか、腰をかがめて顔を突き出してくる男に、リュンヌは引いた。気づかいの出来る男性は素敵だと思っていたが、こんな気のつかわれ方は、嫌すぎる。殴れ、殴れと、迫ってこられるのも、精神を汚染されそうな感じがする。

 つまり――。


(なんなの!? このはた迷惑な、残念仕様美形は……!)


「遠慮は無用だ、拳を握れ。恨みと怒りを込めた一撃を、俺にぶつけるといい。さぁ……? さぁ……! ――さぁっ!」

「ひぃぃぃぃっ!!」


 これでは、ただの変態だ。

 待ちきれないとばかりに迫ってこられて、リュンヌはとうとう悲鳴を上げた。

 

「いいぞ、いい悲鳴だ。その感情を、拳にのせるんだ……思い切りっ……――ぐはっ!?」


 指南なぞ、余計な世話だと思ったところで、灰かぶり男がうめき声とともに崩れ落ちる。


「……ぁ」


 崩れ落ちた男の背後から、ふよふよと宙に浮いたカボチャお化けが姿を見せた。

 ほっと肩の力を抜いたリュンヌは、地に伏した男と使い魔を見比べる。


「もしかして、ランたんがやってくれたの?」


 当然とばかりに、カボチャお化けが大きく頭を前後させた。そして、気絶している男の頭を、柔らかい毛糸の手で、べしんべしんと叩く。音からして、いつもより強い力が込められているのは、間違いない。カボチャお化けは、なにやら腹を立てているようだった。きっと、男を一瞬で打ち倒した頭突きも、渾身の一撃だったに違いない。


「……カボチャ頭だもんね。……ぶつかられたら、痛いか」


 経験済みのリュンヌは、ランたんと気絶した男を見比べ、気の抜けた笑みを浮かべる。

 ふと空を見上げれば、降り続けていた灰が、ピタリと止んだ。

 意識を失っている間は、灰が降り止む――男が言った事は、本当だったらしい。

 たとえ、解決策を提示した様が、度を超して変態的だったとしても。


「――ありがとう、ランたん。……料理の材料に遣うのは、また今度にしてあげる」


 リュンヌは、変態に押されている場合では無かったと反省しつつ、使い魔に礼を言う。 世話が焼ける奴だと肩をすくめたランたんは、気絶している男の周りをふわりと一周した後、リュンヌを伺うように見上げた。


「……そうだね。迷惑な変態だけど、このままには、しておけないものね。……家に連れて帰ろう」


 ランたんの言いたいことを察したリュンヌは、一つ頷く。出かけにランたんに持たされた、杖をローブの中から取りだして、えいと一振りすると、男の体がふわりと浮き上がった。


「これで良し。帰ろう」


 自分より上背がある、それも意識の無い男を運ぶなんて、普通は無理だ。

 けれど、リュンヌには魔法がある。

 まだまだ祖母の足元にも及ばない、不出来な魔法だが、それでも物を浮かせたり動かしたりといった、最低限の事は出来る。

 

 ――ふと周りを見回したリュンヌは、茨の森の惨状を改めて確認し、大きな大きなため息を一つ、吐き出した。


「…………掃除、どうしよう…………」


 祖母なら、杖を一振りで森中の灰を綺麗に片付けられただろうが、あいにくリュンヌの魔法の範囲は狭い。

 ちまちま、こちゃこちゃと始めたら、いつ終わるともしれない。

 気が重いと項垂れたリュンヌは、足取りも重く、自身の住み処へ戻ったのだった。

 大きくて厄介な、お荷物を一人、魔法ですいすい運びつつ……――。


  ◆◆◆


 気絶した男を館に運ぶと、ランたんはふわふわとしたつかみ所のない動きで、どこぞへ姿を消した。

 あの体のどこへ入るのかは不明だが、お茶かおやつでもつまみに行ったのだろう。

 リュンヌも、休憩がてらお茶をしたい。甘い物を補給したい。短時間で色々ありすぎた。

 だが、このはた迷惑な男から目を離すわけにはいかない。

  リュンヌは魔法を解いて、男を床に下ろす。この時の、どさっと落とした振動が目覚めの合図になったらしい。

 男はぱちりと目を開けて、数秒、キョロキョロと周囲を見まわした。

 

「……ここは……どこだ? 俺は一体……」


 ランたんに頭突きされた後頭部を痛そうにさすりながら、彼は床から体を起こす。


「私の家よ。……正確には、私が留守を預かっている家、だけど」

「……君の……? では、魔女殿の――」


 リュンヌが答えると、合点がいった様子の男は居住まいを正した。


「……迷惑をかけたな……」

「本当にね」


 腕を組んで、深く頷く。

 すると、リュンヌにバサバサと灰が降ってきた。


「……げっ……!」


 顔をしかめ、口からは可愛くない悲鳴がついて出る。

 しかし、リュンヌはハッとして、今戻ってきたばかりなのに扉の方へ直進し、一度外をのぞいた。


「……あれ?」


 自力では灰を制御出来ない男。彼は、自分が意識を失っている間は、灰も降り止むと言っていた。

 そして、その言葉通り、目を覚ました途端リュンヌは灰に見舞われたので、外も同じ事になったのではと慌てたのだが……――灰が降ってくる気配は無い。


「……どういう事?」


 扉を閉めて、もう一度男に向き直ると、相手は気まずそうに視線を下に向けた。


「…………この灰は、俺が好きで降らせているわけでは無い」


 勢いもなく、量も少ないが、今度は男の周りに灰が降る。

 ひらり、はらり。

 また灰に塗れていく男は、しょう然と項垂れた。


「――俺にかけられている、呪いのせいだ」

「……灰を降らせる呪い?」

「……あぁ。……笑える呪いだろう?」


 自嘲するように、男が薄い唇を歪めた。

 確かに、言葉の響きだけならば、たいした事が無いと思われるだろう。――それこそ、聞いた人の大多数は、ケチな嫌がらせ程度と認識する。

 けれど、実際に体験した身として、リュンヌはこれをとんでもない呪いだと受け止めた。


 灰は雪と違って溶けない。


 降り続ければいつかは積もり、あたりを汚す。

 そうすれば、道も人も埋もれてしまう。


 仮に、この男が畑に立っていたとする。そうすると、止むことの無い灰で、その畑の作物はたちまち駄目になってしまうだろう……。


 降らせる量も、勢いも、男自身はまるで制御できないのは、先ほどまででよく分かった。

 意識ある限り、灰が降り続けるのであれば……この男は、大手を振り外を歩けないに違いない。


「……大変な身の上なのね、あなた」


 パサリと、また自分に降りかかって灰を払いのけつつ、リュンヌはしみじみ呟いた。

 かけた者の、性格の悪さがにじみ出た、陰湿な呪いだ。

 けれど……と、男を上から下まで見まわしてしまう。

 こんな地味に精神力を削り取られる呪いを受けるなどと、一体何をしでかして、どんな恨みを買ったのだろうか?


「これじゃあ、満足に外を歩けないでしょう? よく、ここに来られたわね」

「……馬で来た。一気に駆け抜ければ、灰の被害も最小限に抑えられる。……俺が、何も感じていなければ、だが」

「どういう事?」

「……俺にかけられた呪いは、俺の感情を餌にしているらしい。俺が怒ったり楽しんだり悲しんだりと……いっぱしの人間のように、感情に起伏を持たせると、灰の量や降る勢いが増す」


 今は、落ち着いているのだろう。

 降る量も微々たるもので、勢いも弱い。

 けれど、男の言い方は酷く投げやりで、自嘲が多大に含まれていた。


「いっぱしの人間って……あなた、人間じゃない。何を言ってるの」

「……自分の感情にまかせて灰を降らせる、災害のような男だぞ」

「…………」


 この呪いが、いつかけられたものかは分からない。

 けれど、男の影のある表情を見れば、呪いがかけられたのは、昨日今日では無いだろう事くらい、リュンヌも察することが出来た。

 若い男なのに、なんだか疲れ果てた老人のように見える。


「……茨の森に灰が降ったのも、あなたが移動してきたせいなのね」

「あぁ」

「だったら、あなたの移動してきた範囲を教えてちょうだい。……全体が灰に塗れたのなら、掃除も骨が折れるけど、貴方を中心とした小範囲なら、まだなんとかなるから」

「……そうだな。すまない事をした。――諦めていたつもりだったのに、森に近付くにつれて、もしかしたら……などと、分不相応に希望を持ってしまった」


 責めているつもりはなかったのに、男は背中に暗雲を背負って落ち込んでしまう。

 灰が、ちょっと勢いをました。

 リュンヌは慌てて男の腕を掴む。


「灰! 灰!」

「っ、あ、あぁ、すまない……」

「もう謝らなくていいから! ……困ったわ……、ばば様はいないのに……。あなた、茨の森の魔女……つまり、ばば様に用事があるんでしょう? 力を貸して欲しいって言ってたものね。……でも、ばば様はしばらく、ここには戻らないのよ」

「…………」


 男の、もともと白い顔が蒼白になった。

 言われなくてもわかる。

 きっと男は、呪いを解いて貰うために、リュンヌの祖母を頼ってきたのだ。


「……しばらくとは、何時までだ?」

「さぁ……?」

「……父には、助力を得られるまでは戻ってくるなと言われているんだ」

「でも、いないものはしょうがないでしょう?」


 父親に、事情を話してはどうだろうか。なんなら、一筆書くとリュンヌが申し出ると、男は暗い顔で首を横に振った。


「気持ちは嬉しいが……――助力を得られるまで戻るな、というのが王命である以上、絶対だ」

「……ん? 王命?」

「あぁ、そうだ」

「…………んん?」


 リュンヌは、首をかしげる。

 そして、もう一度男をまじまじと見つめた。

 顔立ちは整っているが、暗い雰囲気の、若い男を。


「……今更だけど、貴方の名前を聞いてもいいかしら?」

「……! 先ほどは取り乱して、失念していた。すまない。……俺の名は、カルケルと言う」

「!」


 なんて事だ、とリュンヌは天を仰ぎたい気分になった。

 男が名乗ったのは、この国の王子様の名前と同じだったから。

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