第3話 茨の森に灰が降る

 くすんだ灰色世界というのは、なんというか……非常に居心地が悪い。閉塞感があり、息が詰まる。


(……なんだか、独りぼっちで埋まっちゃいそう……)


 そんな思いを抱えつつ、リュンヌは森の中を突き進む。

 すると、突然ランたんが加速した。ぎょっとして追いかけると、少し離れた所で「痛っ!」と悲鳴が上がった。


「くっ、なんだ今のは……――っ、なにっ……カボチャ……だと……!?」


 次いで、驚愕に満ちた声が聞こえる。声からして、若い男だと推測できた。

 もしかして、待ち望んだ運命の出会い……! とちょっと胸を躍らせたリュンヌだったが、続いた言葉で一気にそんな感情は吹き飛んだ。


「なんだ……一体なんなんだ、この森は……! まさか、昔話に伝え聞く、呪いの森か……!? カボチャに呪われた森なのか……!?」


 言うに事を欠いて“呪いの森”。ふざけるなと、普段は眠たげなリュンヌの目が、つり上がる。


「ちょっと、そこの不審者!」


 木々の間から飛び出して、訂正しろと声をかけた。


「ここは、“茨の森”よ。勝手に、おかしな呼び名をつけないでちょうだい」

「――っ!」


 そこにいたのは、声質から予想した通りの、若い男だった。

 ただ、どこか精彩に欠けているように見える。

 彼の持つ色彩のせいだろうか――老人の白髪よりもくすんだ色合いの髪に、似たような色の目。

 青年は、いまだ降り止まないこの灰と、同じ色を持っていた。

 ランたんがここへ連れてきたと言うことは、この男こそ茨の森を灰で埋め尽くそうとしている、嫌がらせの犯人だ。

 しかし、本人も大量の灰に塗れており、振り払おうとする素振りすら見せない。

 そのうち、灰と同化して消えてしまいそうに思えて、リュンヌは相手の姿を見失うまいと懸命に瞬きをする。

 そして、ある事に気が付いた。


(……あれ? この人……)


 顔が良い。

 くすんだ髪色と風景のせいで、印象がぼやけてしまうが、よくよく目をこらしてみると、灰かぶり男は、非常に整った容姿の持ち主だ。

 切れ長の目に、すっと通った鼻梁。驚いたように半開きになっている薄い唇。細身で、いささか生っ白いのが気になるが、それを抜きにすれば、絵画から抜け出てきたような美青年だった。


 違う場面で出会っていたら、黄色い歓声を上げたかもしれない。

 けれど、あいにく今のリュンヌは、ときめきよりも怒りの感情が先行していた。


(ちょっとくらい顔がよくても、やって良い事と駄目な事は、はっきりさせないと!)


 なぜか、自分を凝視したまま固まっている灰かぶり男に、持ってきた箒を突きつける。


「今すぐこの灰を止めて、さっさと掃除しなさいよ! 自然破壊は、いけない事なのよ!」

「…………っ」


 びくっと男の肩が跳ねた。

 何か言いたげに、口がパクパクと開閉するが、音にならない。

 ――そのかわり……。


「ひぇっ!?」


 なぜか、リュンヌの頭上に、狙い澄ましたかのような大量の灰が降り注いだ。


「っ、ら、ランたーんっ!」


 箒を振り回しつつ、リュンヌは使い魔に助けを求める。

 使い魔兼お目付役であるカボチャお化けは、くるくると横に回転しながらリュンヌの周りを移動して、灰を吹き飛ばしてくれた。

 

「あ、ありがとう……!」


 あやうく、灰に埋まる所だったと、リュンヌは冷や汗を拭う。

 そして、今度は油断なく、灰かぶり男を睨み付けた。


「……ずいぶんな挨拶ね」


 言いながらも、一体どこの魔法使いだろうと、相手の所作をつぶさに観察する。

 

(なんだか……魔法使いっぽくないけど……)


魔法使いの定番は、長いローブだ。しかし、男は銀の飾りで縁取った、膝丈ほどの上着をまとい、拍車のついた長靴を履いていた。

 ――とても、魔法使いとは思えない。

 どこかの貴族が、ちょっと遠乗りに来ました,と言われた方がしっくりくる格好だ。

 そして、もう一つ。リュンヌを意図して灰に埋めようとした――にしては、顔色がよくないのだ。

 もともと、明るい顔色ではなかったが、白を通り越して青くなっている。今にも倒れそうだ。

 薄い唇が、わなわなと小刻みに震えているのもおかしい。

 なんだか、とても怖がっているように見える。

 

 そんな事を考えていたら、か細い声が聞こえた。


「……す、すまない……」

「はぁ?」

「っ!」


 びくっ。

 男の肩が跳ねる。

 リュンヌは、自分の顔はそんなに凶悪だっただろうかと考えた。

 初対面の相手に、ここまで怯えられた事など、いまだかつて無い。

 たしかに怒ってはいるが、それで他者を圧倒できる迫力を醸し出せるような容姿ではないのだ。

 なにせリュンヌは、友人知人から“何時も眠たそう”だとか“子狸みたい”だとか言われる、ちょっと抜けた顔立ちなのだから。

 被害者はこちらの方なのに、これでは自分がいじめているみたいだと複雑な気持ちになり、リュンヌはコホンと咳払いをすると、突きつけていた箒を下ろした。


「悪いと思うなら、今すぐこの灰を止めてちょうだい」

「……え?」

「え? じゃないわ。なに、きょとんとしているの。誤魔化そうとしても、無駄。こっちで、調べはもうついているの。この森に灰を降らせるなんて、ふざけた事をしてくれたのは、貴方でしょう」

「…………あぁ」


 素直に認めた男に、リュンヌは少しだけ機嫌を良くする。罪を認めず、ぐちぐちと言い訳する人間よりも、開き直りと言われようとも、やったことは素直に認める、潔い人の方が好きなのだ。


「うん。それなら、話が早いわ。はやく、灰を降らせるのをやめてちょうだい」

「…………いや」


 男はちょっと俯き加減になり、リュンヌから目を逸らした。

 その拍子に、頭に積もっていた灰がバサバサと地に落ちる。


「いや? あなた、今、嫌だって言ったの? やった事は認めておきながら、拒否する気?」

「ち、違う……!」

「だったら、さっさと止めなさいよ」

「…………それは……出来ない……」

「はぁ!?」

「――出来ないんだ」


 何を言っているのだ、この男は!

 リュンヌは、再び目をつり上げた。

 のらりくらりと追及をかわし、森を灰で埋め尽くすつもりなのかと怒りにかられたが、男の顔を見て、ふと冷静になった。


(……なんて顔してるんだろう……)


 こんな綺麗な男の人は、初めて見る。

 リュンヌがそう思うほどの美貌の持ち主なのに、灰塗れで項垂れる男は、今にも泣き出しそうな、情けない顔をしていた。

 ――まるで、小さい子が迷子になって、途方に暮れているようだ。


「……出来ないって、どうして?」


 悪い人間では、ないのかもしれない。

 そう思い直し、リュンヌは極力穏やかにたずねた。


 灰かぶり男の視線が、ちらりとリュンヌに向けられる。整いすぎている男の顔が、くしゃりと歪んだ。


「……分からないのか?」

「何を?」


 色々な言葉を端折り過ぎていて、意味が分からないとリュンヌは問いかけに首を振る。

 すると、降ってくる灰の量が、心なしか増した気がした。


「ちょっと……! 誰も増量なんて求めてないわよ……! ――あぁ、もう……! あなたは、一体ここへ、何をしに来たのよ!」


 茨の森を灰で埋める。

 痛烈な皮肉を込めた嫌がらせだと思ったのに、意気消沈している様を見る限り、違うらしい。

 ならば、目的はなんなのだとたずねると、男は一度薄い唇を引き結び……――ぐっと歯を噛みしめたようだった。

 そうして、意を決した風に口を開く。


「……俺は、魔女に会いに来た」

「――え?」

「……茨の森にいる魔女へ、助力を乞いに来たんだ。……力添えが得られるまで、俺はこの森を出る事が出来ない」

「……えぇ!? ま、待って! ばば様は今、……外出中で……」

「だったら、待たせて貰いたい」


 冗談ではない。リュンヌは、千切れんばかりに首を横に振る。


「そしたら、森が灰で埋め尽くされるじゃない!」

「……それは……」

「見知らぬ男と二人、ばば様がいないこの森で、灰に埋もれてさようならなんて、冗談じゃないわ!」

「……っ……! そんな事は、させない。……一時的になら、灰を止める方法があるんだ」


 灰をかぶった綺麗な男は、一歩リュンヌに近付いて言った。


「俺を、力一杯、殴ってくれ」

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