「努力」と「顔」

さて、この二つの相違点はわかったので、「努力」と「顔」にはどういう差があるのか更に本質を考えていこう。

 「努力」は基本的には誰にでもできるし、その分野で誰しも活躍するチャンス・可能性があるという点で「平等」なものである。こういうことを言うと「才能によって得意不得意があるから平等ではないじゃないか」という声も飛んできそうだが、全くこれは的外れだ。才能によって得意不得意があるのは事実だ。ただ、だからといってその分野においてチャンスが全くないというわけではないだろう。スポーツ、勉学、研究、料理、裁縫・・・などなど、様々な分野がある。もしかすると才能のある者には追い付かないかもしれないが、その分野に全く踏み込めないわけではない。努力すれば最初よりは絶対に向上するし、寧ろ今各分野で活躍している人物は努力を重ねてきた人の方が多いのではないだろうか。

 しかし、「顔」は平等ではない。生まれ持ってのものなので、どうやったって敵いっこない。敵いっこないくせに社会では重要な役割を果たしてしまうのだ。「そんなに羨むなら整形でもしろ」という声もありそうだ。確かにそうだ。整形すればよい。でも整形は「努力」とは言い難いし、そもそも0円で美貌を手に入れている人がいる中で数百万もかけて整形した人がいることは平等じゃないのは明らかだろう。第一整形したところで過去は消せないので、過去を知っている人から冷やかされたり、かえって罵倒されたりするなど、整形が寧ろマイナスに働くことの方が多いのではないだろうか。こう見ると美形な「顔」は価値あるものと言えるのではないかと思う。

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