序章 色のない世界

夢の案内人〜前世〜

 まるで水墨画の中にでも居るような世界を、優衣は歩いていた。

 まわりに広がる田畑や、あちこちに見える質素な木造の家は全て色を失っている……。


「これって……、夢?」


 戸惑いながらも、ジャリッジャリッと小石を踏みしめ、1歩1歩砂利道を上がっていく……。

 やがて、平坦になった道の向こうにに、由緒ありそうな日本家屋が見えてきた。


「なんか……、ヤバいかも」


 引き返そうと警戒するが、なぜか意思が届かない。どういう訳か、その身体には16歳の優衣とは違う別の自分が存在しているらしい。


 もう1人の優衣がスタスタと歩きだす。躊躇することなく、屋敷の中へと入っていく。

 それはまるで日常のように……。


「どうなってるの! 誰か、私を止めてーっ」


 そんな意思など気にも留めず、広々とした土間の片隅に立て掛けられた梯子のような階段を上がっていく……。

 

「あれ?」


 足の甲に布地が触れる感覚……。どうやら、優衣は着物を着ているらしい。

 まとわりつく裾を払いながら、1段1段順調に進んでいく。


「えっ!」


 上りきったところで、優衣は思わず息を呑んだ。


( だ、誰?)


 見知らぬ男が待ち構えている。

 急速に波打つ心臓。乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと視線を合わせてみる……。


(父親の年齢ぐらいだろうか? )


 きちんと和服を着こなした男が、硬直する優衣に上品な笑顔を向けている。


『私が案内いたします。どうぞこちらへ』


 心地よく耳に届く声で、更に奥へ誘導しようとしている。


(もしかして、ここの案内人?)


 親しみやすい風貌に、優衣は少しホッとした。

 そっと頷いて、案内人のあとに付いていく。恐怖と好奇が葛藤する複雑な心を隠し、薄暗い重厚な廊下を歩いていく……。

 

 突き当たりの部屋の前で、案内人は振り返った。優衣もビクッと立ち止まる。


『覗いてごらんなさい』


 場所を譲るように、案内人は1歩下がった。そこには、頑丈そうな木材で造られた扉がある。視線の高さに小さな窓があった。

 恐る恐る近付いていき、優衣はその窓から部屋の中を覗いてみた。


「えっ……、まじ!?」


 そこには信じられない光景が……。

 一瞬、自分の目を疑った優衣は、騒ぐ心を落ち着かせながらもう一度確認してみる。


「ヤバっ、嘘でしょ!!」


 その部屋の中には、映像や写真でしか見たことのない日本の軍人達が存在していた。歴史館に展示してあるような軍服を着た男が十数人。長い机を囲んで、それぞれに険しい表情を浮かべている。


(これは……、まさかまさかの戦略会議!? 無理無理っ、まじで無理ーっ!!)


 生々しく目に映る光景に凍り付く優衣。


(怖いっ、怖過ぎる‼︎)


「あの、えっと……」


 強張った顔で、もう限界だと案内人に泣きつこうとした。けれども同時に、この先が気になるという好奇心も膨れ上がってくる。


(とにかく冷静にならなきゃ。恐怖を感じてたら、この案内人は消えちゃうかも?)


 なんとなくそう感じた。

 平常心を装いながらチラッと横を見ると、案内人はわざとらしく視線を逸らした。なんとなく顔が笑っている。


「……は?」


 納得はいかないが、そんなことを気にしている状況ではない。優衣はすぐに、意識を扉の向こうに戻した。


(それにしても、この人達、これから戦争に行くのかなぁ……。第一次世界大戦? それとも第二次? もっと、ちっちゃめな戦争かもしれない……。あ~っ、歴史苦手だったからなぁ。いったい、今っていつなんだろう?)


 ブツブツと呟きながら、その軍人達の顔を1人1人まじまじと見てみる……。特に変わった様子もない、ごく普通の若者達だ。

 優衣の中で、この日本の軍服は、とてもおどろおどろしいイメージになっている。けれども、それを着ているのはとても爽やかな青年達だ。

 

 しかも、そこに居るもう1人の優衣は、この人達を知っているらしい。

 極限に達していた恐怖心も、次第に薄れていく……。


 そんな心の変化を全て見透かしているかのように、案内人はニヤニヤと笑いだした。


(そういえばこの人、さっきから口を使って話すんじゃなくて、私の心に言葉を送ってきてるような気がする……。これがテレパシー?)


『プッ……』と、吹きだす案内人。


「何か、おかしいですか!?」


 優衣は、案内人を睨みつけた。


『イヤイヤ、失礼』


 案内人は、気を取り直すように着物の胸元を整え、


『あの方が、貴女のご主人ですよ』


 真面目な顔でそう言った。


「ご主人って……」


 溢れんばかりの好奇心で、その視線を辿る。


 そこには、何か地図のようなものを広げ熱弁している凛々しい男が立っていた。この部隊の指揮を執っているらしい。

 

 勇ましく振る舞うその人は……、

 優衣の主人といわれるその人は……、


「えっ、大谷? なっ、なんで大谷!?」


 クラスメートの大谷にそっくりだ。


 驚くのと同時に、緊迫していた空気が一気に緩んだ。

 使われていた地図のようなものは片付けられ、青年達がザワザワと扉に向かって歩いてくる……。

 いつの間にか、優衣の中にあった恐怖心は全て消え、

 気が付くと、隣りに居た案内人も消えていた。


 ギギギ、ギーッと耳障りな音を立て、扉が開かれる。

 優衣に気付いた青年達が、丁寧に会釈をしてから通り過ぎていく。


「あっ、どーも」


 一応、優衣も会釈をして応える。


 そして最後に、大谷にそっくりなその人が……。先程までの険しい表情からは一転し、優しい眼差しで優衣を見つめている。


(えっ、なに!?)


 ありえない状況に戸惑う優衣。


「少し、歩こう」


 そう言って、大谷と同じ無邪気な笑顔を優衣に向けた。

 優衣の心臓が、ドキッドキッと意識を持ち始める。


「はい」と頷き、なぜか愛おしく思えるその背中に付いていく。

 薄暗い廊下を戻り、梯子のような階段を下りて、外へと繋がる引き戸の前に出た。

 そして、その人がその引き戸に手を掛けた時!


 ピカッ!!

 バーン、バッバーン!!

 ピリッ、ピリピリッ!


 稲光のような強い光が差し込み、激しい騒音が耳を貫いた。


(何? なんなの! 空襲? 爆撃? もしかして、あの原爆ってヤツーっ!?)


 激しく動揺する優衣。


「閉めて下さい! 早く!! ちょっと大谷! もーっ、何やってんのー×○≠△×……」


 その人の腕を掴んで、必死に叫んでいた。

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