どれだけ時が。

紀之介

全て覚えています

「し、失礼します。」


 入室を許可された私は、学長室に足を踏み入れました。


 手で指し示されたソファーに、少し緊張しながら進みます。


 腰を降ろした私に、学長は 微かに口元を緩めました。


「在校中の お母様に、そっくりですね」


「え?! 母の事、覚えてらっしゃるんですか?」


「はい。」


 学長の手が、ティーサーバーを持ち上げます。


「どれだけ時が経とうが…」


 テーブルに並べられた2つのカップに、順に注がれる紅茶。


「─ 我が校の可愛い生徒達の顔は、全て覚えていますよ」


 軽く感動する私に、一方が差し出されます。


「どうぞ 召し上がれ」


「あ、ありがとうございます…」


 カップに伸ばそうとしていた、私の手が止まりました。


(お母さんが この高校の生徒だったのって…30年前の事だよね?)


 学長の年齢は、確か20代後半の筈。


 私の頭は混乱しました。


(もしかしてフェイク情報で、学長は50歳を超えてる? でも、そうは見えないし…)


 不自然な格好で動きを止めた私を、学長が訝しみます。


「…どうか しましたか?」


「な、何でもありません。。。」


----------


「代々我が校に、<いいふめみ>の二つ名を持つ生徒が存在する事は、ご存知ですね?」


 受験前や入学時の学校説明会で、散々聞かされた話に、私は頷きました。


「はい。」


「その名を名乗るべき生徒として、あなたが選ばれました」


「…は?」


 私の頭に、今の<いいふめみ>である、平成一の成績優秀者と噂の先輩の姿が浮かびます。


「あ、あの二つ名って…我が校一の優等生を 意味するんですよね?」


「3世代前の子は、我が校始まって以来の 劣等生でした」


「え?」


「<いいふめみ>自体は、特に意味を持っていません」


 手にしていた紅茶のカップを、学長はテーブルに戻しました。


「重要なのは…その二つ名を持つ生徒が、我が校に存在する事なのです」


 ゆっくりと、腰を浮かせる学長。


「まさか…断ったりは、しませんよね?」


 テーブルの反対側から、私に向かって身体を乗り出して来ました。


「もし<いいふめみ>を名乗る生徒が存在しなくなったが最後、我が校は消えて無くなるでしょう…」


 迫られた私は、背中と腕を、ソファーの背にピッタリと貼り付けた姿勢で固まります。


「ひ?!」


「学校がなくなると…あなたも お母様も、悲しむ事になりませんか?」


「な、何で…私が……」


「先日行われた儀式で、選ばれたからです」


「ぎ、儀式!?」


「お供えに特別な柿が必要なので、代々初秋に行われます」


 学長は1枚の紙を取り出しました。


「学校から要請された場合は、私は喜んで<いいふめみ>を名乗ります」


 読み上げられた文書に、私はギクリとします。


 それが、この学校に入学する際、全ての生徒が同意の署名をさせられた書類だったからです。


「この契約書に、サインしましたよね?」


「は、は…い」


「─ これには、こうも書いてあります。『もし断った場合には、速やかに退学します』 と」


 乗り出していた学長の身体が、ゆっくりとソファーに戻ります。


「ただ あなたは…学内で<いいふめみ>と呼ばれる事だけを、承知してくれれば良いのです」


「…」


「今後も あなたが、普通の学校生活を送れる事は、私が保証します」


「……」


「お母様は…卒業まで あなたが、<いいふめみ>奨学金がもらえる立場になった事に、お喜びでしたよ?」


 すっかり外堀を埋めてから、優しく学長は尋ねました。


「同意して頂けますね?」


「は…い…」


「ありがとうございます」


 うなだれる私に、学長が微笑みます。


「世は全て事もなし ですよ」

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どれだけ時が。 紀之介 @otnknsk

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