魔の谷攻防戦

 戦いが始まる。

 訓練ではない、命の奪い合いが。

 部隊の兵士たちが、一斉に弓を構え始めた。


「お前は弓を構えるな」


 ネモが言った。


「奴らが攻撃に気づけば、ここまで駆け上ってくるはずだ。俺達は、それを先頭で迎え撃つ」


 私は頷いて、身に着けていた弓矢を外した。

 弓矢の訓練を、私は苦手としていた。

 加えて、強弓を引くような腕力があるわけでもない。

 弓を射るより、敵を迎え撃つ準備に専念しろということだろう。

 ネモの指示に異論はない。

 部隊長の合図で、味方の矢が一斉に放たれた。

 何本かが命中し、敵兵士が倒れた。


「敵兵だ! 敵襲ーっ! 敵襲ーっ!」


 ベスフル兵の大声が響いた。

 その声に、私はびくりと体を震わせる。

 いよいよ、戦いが始まったのだと私は、実感させられた。

 その大声は、あたりに他の敵兵がいれば、呼び寄せられる危険がある。

 だがこちらにも、反対の崖上を行く2部隊が援軍として現れる期待があった。


「撃てーっ!」


 こちらの部隊長の声。第2射が放たれる。

 だが敵兵の殆どは、盾を翳してそれを防ぐ。

 奇襲だった第1射と比べて、それはまるで損害を与えられていなかった。

 敵兵は思ったよりも冷静だった。

 第1射を受けて、特に混乱することもなく隊列を組んで、じっと耐えることを選んだ。

 戦い慣れしている。

 矢の数はいずれ尽きる。じきに、接近戦へ突入することは明白だった。

 そうなれば、私の出番が来る。

 手に汗が滲んだ。

 射撃がまばらになったところを見計らい、3人の兵士が盾と槍を構えて、坂を駆けあがってきた。

 来た! 来てしまった!

 一度乱戦となってしまえば、同士討ちの危険がある弓矢は使えなくなる。

 この3人を部隊の懐に入れてしまえば、戦況は一気に悪化すると言ってよい。

 駆けあがってきた3人に向かって放たれる矢も、盾で易々と弾かれた。


「いくぞ、チェント」


 ネモが肩をたたいた。

 私が止める! 迎え撃つ!

 大きく頷くと、私は覚悟を決めて、遂に飛び出した。

 部隊の正面に躍り出る。


「うおおおおおおっ!」


 だが、敵兵は止まらない。

 雄叫びを上げて突っ込んでくる。

 弓兵部隊の中央に切り込み、一気に勝負を決めるつもりのようだ。

 敵兵から見て、私は丸腰に見えたはずだ。

 私の両手には、何もない。

 使い慣れた短剣も、ようやく振り回せるようになった、あのショートソードも。

 これでいいのだ。

 私は訓練と同じように、頭にイメージし、念じた。

 大丈夫。ネモが教えてくれたとおりにやれば、私にはできる!

 こちらに突き出される2本の槍。

 それを、ギリギリで見切ってかわす。

 ちゃんと見える! 相手の攻撃が、敵兵の槍の穂先が!

 私は、すれ違いざまに、流れるような動作で──

 今っ!!

 私の攻撃は、彼ら2人の脇腹を、確かに斬り裂いた。

 彼らの着ていた皮鎧など、問題にならない。

 私の左右の手には、赤く輝く2本の刃が生まれていた。

 なぜなら、この刃は金属でできた鎖帷子さえも、軽々と斬り裂くのだから。

 私が生み出した魔力の刃は、鈍い輝きを放っていた。

 敵兵2人が倒れ、背中越しに、味方からの歓声が聞こえてきた。

 瞬時に味方を倒されて、坂を上ってきた3人目の敵兵は、たじろいでいた。

 足を止めている相手に、私は容赦することなく、斬りかかる。

 突き出された槍の先端を斬り飛ばすと、相手は慌てて盾を構え、身を守ろうとした。

 だが、それで矢は防げても、この赤い剣は防げない。

 私は構えられた盾ごと、相手の首筋を串刺しにした。

 呻き声をあげて、敵は倒れ伏す。

 あっという間に、敵兵3人が沈黙した。

 やった! 本当に、できた!

 体が軽い。

 緊張で体が動かなくなるのでは、という心配が嘘のように。

 ネモの言ったとおりだと思った。

 この戦い方を私に教え、磨けと言ったのは、ネモだった。


「ねえ、どうして魔力の剣を習得した後まで、わざわざ鉄の剣で訓練するの?」


 以前、彼に尋ねたことがある。

 彼の教えてくれた魔法、魔力で作り出されたこの赤い剣は、充分な長さを持ちながらも、重さが全くない。

 それゆえに、これ以上筋力をつけずとも、片手ずつで、思い通りに振り回すことができた。


「実戦の緊張感と疲労は、お前の想像以上に体の自由を奪うことがある。だが、普段の訓練でそれ以上の負荷をかけることで、実戦では、体の軽さが疲労を帳消しにしてくれるはずだ」


 そんな彼の言葉は、まさに今、現実となって、私に力を与えてくれている。

 残りの敵兵達は、私に驚いたのか、すぐには次がやってこない。

 私は、ネモを振り返る。

 彼は頷いた。

 わかったよ、ネモ。

 私は心の中で呟いて、地面を蹴った。坂を一気に駆け下りる。


「今のお前の持ち味は、乱戦の中でこそ生きる。斬り込んで、敵の隊列を崩すことを考えろ」


 戦う前にネモに言われたことを思い出す。

 先頭にいた1人に、私は狙いを定めた。

 反射的に繰り出される槍を掻い潜り、心臓を一突き。

 返り血がドバっと噴き出す。

 戦場で、敵味方の返り血や、飛び出した内臓に動揺して動きを止めないこと。

 ネモから教わった忠告だ。

 気持ちを押し殺し、隣にいたもう1人の脇腹を斬り裂いた。

 敵をただの動物だと思うこと。

 人と戦うのは初めてだが、獣の相手なら、あの魔王山でも何度もしてきた。


「なんだ、こいつは!?」


 敵兵から動揺の声が上がる。

 返り血に染まり、赤い剣を振り回す私の姿は、相手にとって死神のようにでも映るのだろうか?

 さらにもう2人を、同時に斬り伏せながら、そんなことを考える。


「落ち着け! 敵は1人だっ! 一斉に掛かれ」


 気付けば、私は、敵部隊の真ん中まで斬り込んでいた。

 完全に囲まれている状態である。

 私を目掛けて四方八方から、槍が、剣が、次々と繰り出された。

 流石の私も、背中に目は付いていない。

 正面と左右からの攻撃はかわせても、死角からの一撃には、対応しようもないはずだった。

 私が正面からの剣を避けながら、左右の敵を斬り裂いた時、私の背中を狙って突き出された槍は、その体を刺し貫くはずだった。

 大丈夫、ネモが守ってくれる。

 だがその攻撃は、飛来したそれによって、受け流されてしまった。


「なんだ、あれは!?」


 その時槍を防いだのは、私の周囲を漂う、3枚の赤い盾だった。

 人の頭ほどの大きさを持つ3枚の盾は、私を包囲するように、フワフワと漂っていた。

 私は振り向いて、動揺している兵士を、一振りで斬り裂く。

 次々と上がるのは、敵兵の悲鳴や呻き声。

 残る兵士達が、必死に動揺を抑え、反撃に転じてくるのがわかった。

 だがそれらの反撃は尽く、防がれ、かわされ、そして、かわし切れない攻撃は、赤い盾によって阻まれた。

 凄い。

 私は、自身がもたらした結果に驚いていた。


「チェント、これは浮遊石という石を埋め込んだ盾だ」


 あの時、ネモが私に見せたのは、薄くて丸い木の板の真ん中に、宝石を埋め込んだだけの、盾と呼ぶにはあまりに頼りない代物だった。

 それは何もしていなくても、フワフワと宙に浮き、漂っていた。


「この石は、魔王領周辺でもわずかしか取れない、貴重なものだ。向けられる敵意に反応するという特殊な性質を持っている」


 彼が私に向かって小石を投げつけてみせると、その盾が間に割って入り、小石を防いだ。

 それは不思議な光景だった。


「もちろん、こんな薄っぺらい盾では、敵の槍や剣を防ぐことはできない。そして盾を重くすれば、浮遊石の方がそれを支えられない」


 彼が提案したのは、その盾を魔法で鉄より硬く強化して使うということだった。

 私が魔力を込めることで、その盾は、赤く輝き、鉄よりも固くなる。

 2本の魔法剣を呼び出し、3枚の盾を強化する。

 それを同時にこなし続けることは、並の魔力ではできないことらしい。

 大した苦労もなく、私はそれをやってみせた。


「俺には、この戦術を考えることはできても、実現はできなかったことだ。自信を持っていいぞ」


 興奮気味に言ったネモの言葉を覚えている。

 この初陣に私自身、今も恐怖が全くないわけではなかった。

 しかし、この盾に守られる安心感。

 これだけ周囲を囲まれながら、私は傷一つ負っていない。

 浮遊石の盾は、魔法でただ強度を増しただけではなかった。

 それだけではこの盾は、向けられる敵意だけを追って、どこまでも漂っていってしまう。

 私の周囲に張り付かせ、向けられる攻撃を的確に受け流すには、ある程度、魔法で制御してやる必要があった。

 今それを行っているのは、私の後方に控えているネモだった。


「いずれは、盾の制御もお前1人でこなせるようになれ。そうすれば、お前は魔王軍最強の戦士になれる」


 それなら、今のままでもいいかな、と私は思っていた。

 今の私には、盾の制御と戦闘を同時にこなすだけの技量がない。

 だがそうである限り、彼が守ってくれるのだ。

 これ以上の安心がどこにある?

 20人以上斬ったあたりだろうか?

 敵兵の攻撃が疎らになり、明らかに士気が乱れ始めた。

 ベスフル軍にしてみれば、敵1人に、何人が斬りかかっても傷一つ負わず、味方が次々と倒れているのだ。

 恐怖を覚え、攻撃が鈍るのも、仕方ないことなのかもしれない。


「今だ、突撃ぃーっ!」


 後方から声がした。

 魔王軍の部隊長の声だった。

 敵の士気の乱れを突いて、一気に攻め落とす気なのだろう。

 兵士達がショートソードを抜いて、一斉に駆け下りてくる。

 ベスフル兵は、完全に浮足立っていた。

 こちらの兵士の攻撃で、敵兵は次々と倒れていく。

 味方の優勢を確認してから、私は後方に下がった。


「ふう……」


 流石に少し疲れ、息を吐く。

 まだ、心臓がどきどきしていた。

 後ろから、肩に優しく手を置かれた。

 相手はもちろん、ネモだった。

「ネモ、やったよね? やれたよね? 私」

 振り向き、笑いかける。

 考えてみれば、返り血に塗れた姿の笑顔というのは、少し怖かったかもしれない。


「ああ、よくやった。誰にも真似できない初陣だった」


 褒めてくれた。

 あなたのその言葉があれば、私は何とだって戦える。

 何人だって殺せる。

 私はそう思った。

 戦いは、終結しつつあった。

 敵兵の大半は倒され、敗走を始めた兵士達が背中に矢を受けていた。


「お前達、よくやってくれた」


 戦いが決着すると、部隊長が私達に声をかけてきた。


「素晴らしい戦果だ。殆ど、お前達のおかげだ」


 出陣の時には、私達の能力に疑問を持っていたように見えた部隊長も、すっかり態度が変わっていた。


「全てチェントの戦果です。私は僅かな援護しかしておりません」


 ううん、あなたがいたから、戦えたんだよ。

 私は心の中で言った。


「うむ、初陣でこの戦いぶりとは、この先が楽しみだな」


 すっかり機嫌をよくした部隊長は、そう言って笑った。

 この戦いで、味方への被害は殆ど出ていなかった。

 完全勝利と言っていい。


「敵がこんな場所まで進軍してきたとなると、待ち伏せのポイントに着く前に、再び接敵する可能性が高いですね」

「そうだな、作戦を変更して、我々は、一度、撤退するしかあるまい」


 残りの2部隊の行方はわからないが、もっとも少数であるこの部隊ができることには、限界がある。

 このまま、谷の入り口まで撤退することになりそうだったが──


「隊長! 大変です!」


 敗走する敵に、矢を射かけていた兵士が戻ってきて叫んだ。


「何事だ?」

「敵後方に大部隊が! おそらく、ベスフルの主力部隊です!」

「なんだと!?」


 山間道の陰から、隊列を組んだ騎馬の大群が、一斉に姿を現した。


「騎馬部隊、突撃ーっ!!」


 突撃命令に合わせて、大勢の騎馬たちが一気に駆けてくる。

 狭い山間道では、敵部隊の全体は見渡せなかったが、聞いていた話だけでも、敵主力の人数は、今のこちらの千倍近いはずだった。

 勝てるはずがない。


「まずい、全員撤退しろ! 今すぐだ、急げ!」


 こちらの部隊長が叫ぶ。

 だが、戦闘直後で隊列が乱れていた兵達に、すみやかに撤退する準備は整っていなかった。

 敵の騎馬は、坂道をものともせず、丘を駆けあがってくる。

 先頭にいた兵士数名が、真っ先に彼らの槍の餌食となった。


「チェント、逃げるぞ!」


 叫ぶネモにも余裕がない。

 崖を行けば、登り切る前に無防備な背中を刺される。

 山間道を行けば、騎馬のスピードを振り切れない。

 一斉に逃げれば、仲間を犠牲にして数人は生き残れるかもしれないが、何人が死ぬかはわからなかった。


「ネモ! 敵が!」


 私は、叫んだ。

 彼のすぐ横まで、敵の騎馬が迫っていたのである。


「うおっ!?」


 彼は辛うじて、手持ちのショートソードで、相手の槍を受け止めた。


「ネモ!」

「大丈夫だ、お前は先に逃げろ!」


 ネモは相手の槍を、歯を食いしばって受けながら、そう叫んだ。

 その間にも、新たな騎馬が次々と迫り、味方の兵が倒されていく。

 どうしよう?

 ネモを置いて、先に逃げる?

 私が逃げ切ったとして、ネモは後から追いついてくる?

 いや、この状況に取り残されて、生き延びられるわけがない。

 そもそも、私が逃げ切れる保証だってない。

 どうする? どうすればいいのか?

 私は考えた。

 そして、私は地を蹴った。


「ぐあっ!?」


 私の剣の一振りを受けて、ネモと斬り結んでいた敵兵は、血を噴いて倒れた。

 続けざまに、すぐ後に迫っていた騎兵3人を立て続けに斬り裂く。

 3人が倒れたことを確認してから、私はネモを守るようにして、2本の赤い剣を構えて立った。


「チェント、何をしている! 逃げろと言っただろう!」


 彼は、必死に叫んだ。


「お前ほどの戦士が、こんなところで命を落としていいわけがない。早く逃げるんだ!」

「ごめんなさい、ネモ」


 私は、落ち着いた声で答えた。

 先ほどの戦いの後、一度は片付けた3枚の盾を、再び取り出して浮かべる。


「手伝ってほしいの。あなたが守ってくれないと、私、死んじゃうから」


 念じて、漂う盾に魔力を込める。

 次の敵が、続々と迫ってきていた。


「だが……」

「お願い、ネモ。私が死んだら、あなたを守れない」


 盾が赤く輝き始める。


「……くっ」


 ネモが覚悟を決めたように、前に左の掌を翳すと、ゆらゆら浮いていただけの盾が、意志を持ったように、私の周囲に張り付いた。

 これで大丈夫。

 体に火が灯る。

 私は地面を蹴った。

 まず、近くに来ていた騎馬の首を落とし、落馬させる。

 騎手に止めを刺そうとすると、周囲の騎兵が一斉に私に襲い掛かってきた。

 無数の槍が、次々と突き出される。

 全ては避けきれない。

 避けきれるだけ避ける。

 残りは盾に任せる。ネモを信頼する。

 一撃だけ、体をかすめた。

 大丈夫、鎧を削られただけで、肌までは届いていない。

 騎手を斬る、騎馬を刺す、騎手と騎馬を同時に貫く。

 周囲を取り囲んだ騎兵は6人。

 それを一気に片付けた。

 多少疲労は感じるが、まだまだ戦える。


「なんだ、あれは!?」

「化け物か?」


 気付いた周りの敵兵達の注意が、一気に私に集まった。

 だが私の戦いぶりに驚いたのか、すぐにはかかってこない。

 そうだ。それでいい。

 盾を制御している間のネモは、殆ど無防備だ。

 私が敵を引きつけなければ、彼を守れない。

 私が奮戦している間にも、味方の兵士は次々と倒されていく。

 駄目だ、敵が多すぎる!

 このままでは、たとえ私が持ちこたえても、ネモにまで被害が及ぶのは、時間の問題だった。

 なんとかしなければならない。

 私は、大軍の中心に目を向けた。

 そして、そこに見つけた。

 黒い騎馬に乗った、ベスフルの兵団長の姿を。

 確か、名前はローラントという人だったか?

 私がベスフルにいた頃に、面識があった。

 直接話をしたことは、一度もなかったが。

 ベスフル軍の名目上の総大将は、あのフェアルス姫ということになっているようだったが、実際に兵を指揮しているのは、兄ヴィレントか、この人のはずだった。

 今、周囲に兄の姿はない。

 この人がこの軍を指揮していると考えて、間違いないようだった。

 私は丘を一気に駆け下り、大軍の中心に突っ込んだ。


「チェント! 無茶だっ!」


 ネモの悲鳴のような叫び声。

 だが、もう止まるわけにはいかない。

 戦いを見ていた臆病な兵士達は、突っ込んでくる私を、慌てて避ける。

 それでいい。今は雑兵に用はない。

 大軍の前には、道を埋め尽くさんばかりの歩兵達が、槍と盾を構えていた。


「奴を近づけるな!」


 敵兵の指示が飛ぶ。

 一糸乱れぬ動作で、槍が同時に突き出された。

 そんなものっ!

 私は、それをジャンプで避けた。

 空中で逆さになりながら赤い剣を振るい、一回転して着地する。

 敵兵の首が5つほど、宙を舞った。

 私の着地を狙って2本の槍が伸びるも、赤い盾が的確に受け流す。

 この距離でも、ネモの制御はちゃんと届いている。

 盾に弾かれた槍を叩き斬ってから、周囲の兵士が驚き止まっている隙をついて、一気に大軍のど真ん中を駆けた。

 見えた!

 慌てて槍を構えるローラントが目に入った。


「覚悟っ!」


 左手の剣を一閃させる。

 まだ、馬上の相手に届く距離ではない。

 私の一撃は、突き出されたローラントの槍の先端を斬り飛ばし、あっさりと無力化した。

 いける!

 右手の剣を、ローラントの首目掛けて突き出す。

 もらった、と思ったところで、硬い手応えが右手を襲う。

 ローラントの鉄の剣により、私の剣は防がれ、噛み合っていた。

 彼は、槍が無力化されたことを瞬時に判断して捨て、腰の剣を抜いていたのである。

 さすがに、ベスフルの兵団長ということか。


「お前は……ヴィレント・クローティスの? なぜ、魔王軍にいる!?」


 私のことを覚えていた?

 私はそれには答えず、戸惑っている相手に、容赦なく剣を繰り出す。

 2合、3合と打ち合う。

 刃と刃がぶつかるたびに、火花が散った。

 私の魔力剣は、槍の柄は一撃で斬り飛ばせても、流石に鉄の刀身は、すぐには壊せなかった。

 ローラントと斬り結ぶ間にも、周囲の兵士達が槍と剣とを左右と背後から突き出してくる。

 それをかわし、あるいは斬り払い、盾で受ける。

 何発か、肌と鎧に掠る。

 だが、今は掠り傷など気に留めてはいられない。

 動きを止めれば、多分あっさりと殺される。

 死にたくない。

 必死に恐怖を振り払い、剣を振るう。

 兵団長ローラントと斬り結んで、確信したことがある。

 この人と戦っても、1対1なら絶対負けない。例え盾がなくとも、今の私の敵じゃない。

 改めて、自分の成長を実感する。

 ──今まで教えてきたどんな奴とも次元が違う──

 あの時、ネモが私のことを評した言葉の意味を噛み締める。

 私は……強くなった!

 その自信が、折れそうになる私の心を支えた。

 しかし、周りの攻撃を捌きながらでは、中々ローラントに決定打を与えられないでいた。

 ならばっ!

 私は標的を変え、彼の乗る黒馬の首を斬り落とした。


「しまった!?」


 突然のことにバランスを崩したローラントは、馬の後方に逆さに落馬し、肩を地面に打ち付けた。

 チャンス!

 私は止めを刺すべく、走る。


「まずい! 兵団長を守れっ!」


 敵兵の声が響き、数人の歩兵が私の行く手を遮った。

 さっきのように跳び越えるには、助走が足りない。

 もう少しなのに!

 歩兵達の槍と盾を斬り飛ばし、強引にかき分ける。

 兵の隙間から見えたローラントは、副官らしき兵士に肩を支えられ、後方に引きずられていた。

 歩兵をあっさり蹴散らす私の姿を見て、彼らの表情に明らかな焦りが見える。

 周囲の兵士達は指揮官を逃がすべく、慌てて道をあけていた。

 狭い山間道に、これだけ大勢の兵士がひしめき合っているのだ。

 簡単には逃げられない。

 私は走った。


「一度、下がって体勢を立て直すぞ! 全軍後退っ! 急げーっ!」


 副官が必死に叫んだ。

 このままでは、兵団長を討ち取られる危険があると判断したようだった。

 後ろの大軍が瞬く間に後退していく。

 その間、歩兵数名が、私の追撃を食い止めるべく残り、必死に抵抗を続けた。

 それらを夢中で斬り倒しきった時には、残る敵の大軍は遥か視界の向こうに消えていた。

 静寂が訪れる。

 た、助かった……?

 私は魔力剣を消し、その場にへたり込んだ。

 危機が去ったことをすぐには実感できなかったが、直後に、味方の大歓声が私を取り囲んだ。

 すげえぜ、英雄だ、まるで軍神だ、等々、称賛の言葉が飛び交っていた。

 私は、戸惑いと照れが混じった表情で、周囲を見渡した。

 味方の受けた被害は、決して少なくないようだったが、生き残れたことが奇跡のようなものだ。

 ネモが寄ってきて、私の頭に手を置いた。


「無茶のし過ぎだ。本気で肝を冷やしたぞ」


 そう言う彼は、怒りというより、安堵の表情を浮かべていた。


「心配かけてごめんなさい」


 私が上目遣いでそう言うと、彼は私の頭を優しく撫でた。


「お前が無事で良かった」


 あなたのおかげだよ、と返した。

 彼の盾の援護がなければ、私の体はとっくに槍で貫かれていたはずだった。

 私を守るために、彼も必死に動いてくれたのだ。

 これは、私達2人で得た戦果だった。

 部隊長が、敵が戻る前に撤退する、と宣言し、全員が速やかに準備にかかる。

 私もへとへとになりながらも、ネモに支えられ、谷を後にした。




 私達の部隊が上げた戦果は、同数以上の敵部隊の殲滅と、敵大部隊を一時撤退に追い込んだことだった。

 それは、部隊の規模を考えれば破格の戦果と言って良いようだ。

 谷を抜け、魔王軍の砦にいる主力部隊と合流、部隊長が状況を報告する。

 最も少数であったはずの私達の部隊が上げた戦果に、驚きの声が上がった。

 部隊長は、今回の戦闘での私の戦いぶりを隠すことなく、そのまま砦の指揮官に伝えていた。

 直接、戦いを見ていない砦の指揮官や兵士達は、私に疑いの眼差しを向けてきたが、それも仕方のないことなのかもしれない。

 私自身も、今日の戦果には驚いているのだから。

 その後私達に、驚きの情報が、砦の指揮官よりもたらされた。


「魔の谷の作戦で生き残ったのは、お前達の部隊だけだ」


 私達とは別行動をとっていた2部隊、彼らはほぼ全滅していたのだという。

 僅か数名の生き残りが、私達より先にこの砦に到着し、その事実を伝えていたらしい。

 全滅の報告を聞いた時、私達が想像したのは、きっと先にあの大部隊と遭遇してしまい、なす術もなくやられたのだろうということだった。

 だが、その想像は違っていた。

 彼らが交戦したのは、別の部隊だった。

 彼らは、私達とは逆側の崖道を行く途中に、少数の部隊と遭遇、交戦したのだという。

 そして、彼らより人数で劣るその敵部隊に、殆ど損害を与えることなく、2部隊は全滅したそうだ。

 報告によると、その結果をもたらしたのは、敵部隊の強さというより、その先頭で剣を振るう1人の男の異常な強さによるものだということだった。


「敵にもそのような強者が? いったい何者だ?」


 部隊長が聞き返す。

 そんな話を聞かされて、私にとって思い当たる人物など1人しかいない。

 指揮官の口から出たその名前は、


 ──ヴィレント・クローティス──

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