初陣
剣を構えて、男が立っていた。
私と同じ金髪に、鋭い目を周囲に光らせている。
それは、兄だった。
辺りには、大勢の魔王軍兵士の死体が転がっている。
血に塗れたその姿、だが、それは全て返り血のようで、兄自身はまったく傷を負っていないようだった。
尚も数人の兵士が突進していくが、兄は軽々とそれを斬り伏せる。このままでは、味方への被害が拡大するばかりだった。
私は意を決して、剣を構えた。
そして、遂に兄がこちらに気づいた。
鋭い形相で、こちらを睨んでいた。
昔から散々睨まれ、恐れ続けたその目は、戦場において、さらに鋭さを増している気がした。
怖い。恐ろしい。
逃げ出したい恐怖を振り払って、私は全力で駆けた。
私も、昔の私ではない。
ネモに鍛えてもらった実力を、今こそ示す時だ。
兄に向けて、気合いの一閃を繰り出す。
だが私の剣は、あっさりとかわされ、空を斬った。
まだだ!
2度、3度、剣を振るうも、その動作はあまりにも緩慢で、まったく当たらない。
おかしい。
訓練の時のように、思うように体が動かない。
実戦の緊張感がそうさせているのか?
それとも、私に染み付いた、兄への恐怖がそうさせているのだろうか?
兄の表情に焦りや動揺は、一切なかった。
次の瞬間、私は兄に殴り返されていた。
兄は何故か、持っていた剣を使わず、私を殴りつけた。
まるで、子供の頃と同じように。
後ずさる私に、兄は拳の追い打ちをかける。
顔面を殴られた私は吹っ飛ばされ、地面に転がった。
なんとか、体を起こすと、兄に胸ぐらを掴まれた。
兄が睨んでいる。
本当に、昔と同じ目で、睨んでいた。
怖い。悪魔のような眼だった。
兄は胸ぐらを掴んだまま、空いた拳で何度も私を殴りつけた。
痛い。
私は何もできず、ただ殴られるだけだった。
痛い。
誰か助けて。
その時、待て、と兄を咎める声がした。
ネモだった。
ネモが剣を構え、兄の後ろに立っていた。
兄はそれを見て私を放すと、立ち上がって剣を構えた。
雄叫びを上げて、斬りかかるネモ。
だが兄は、その斬撃を易々とはじき返した。
剣を弾き飛ばされ、ネモは仰向けに倒れる。
兄は、ゆっくりとそれに駆け寄っていった。
兄が止めを刺そうと、剣を振り上げる。
だめっ!!
私は、兄の片足にしがみ付いた。
お願い、やめて兄さん! その人は、私の大切な……
私は叫んだ。必死に訴えた。
私の大切な人なの! その人だけは、殺さないで! お願い!
兄は、私の顔を蹴りつける。
何度蹴られようと放すまいと、私は両腕でしがみ付いた。
今度は兄は、私の顔を踏みつける。
何度も何度も、踏みつけた。
痛い、苦しい。でも、放さない。
いつまでも放そうとしない私の腕に、遂に兄は剣を突き立てた。
激しい痛みに、手を放す。
剣が引き抜かれる。私は痛みに悲鳴を上げた。
だが、そこまで。
それ以上の私への追い打ちはせず、兄は再びネモに向かって剣を振り上げた。
なぜ? 私が憎いなら、私を殺せばいいじゃないか?
あなたはなぜ、私を殺さず、苦しみだけを与え続けようとするのか?
剣が振り下ろされる。
もう止められない。
刃が、ネモを切り裂いた。
私の金切り声が響き──
気が付くと、見慣れない天井があった。
息が荒い。
汗がびっしょりだった。
「大丈夫か? チェント」
声の方に目を向けると、ネモがいた。
そうか、あれは……夢?
私は反射的に、ネモに飛び付いた。
ネモは驚いたようだったが、振り解いたりはしなかった。
温もりを、鼓動を確かめる。
彼は確かに生きている。
あれは間違いなく、ただの夢だったのだ。
私はテントの中にいた。
魔王領に侵攻してきたベスフル軍を撃つため、私達は軍を伴って出撃してきたのだった。
接敵ポイントまではまだ距離があり、ここは道中の夜営地の中だった。
この小さなテントには、私とネモの2人きり。
辺りは、まだ夜のようだ。
「どうした?」
彼の声は優しい。
「夢を見たの。あなたが、兄さんに殺される夢」
夢で本当に良かった、と彼を強く抱きしめた。
「初めての実戦を前に、少し緊張しているだけだろう。今のお前は強い。何も心配はいらないさ」
彼は私を安心させるよう、そう言った。
私は抱きしめていた手を放し、彼の眼を見た。
そして、確かめる。
「あなたも、死なない?」
「俺はお前のように強くはないが、お前が傍にいてくれれば、大丈夫だ」
言って、彼は私の頭を撫でた。
訓練の時は変わらず厳しい彼だったが、それ以外の、2人きりでいる時の彼はとても優しい。
そんな大切な彼との居場所を作っているのは、ここ魔王領。
そして、それを壊そうと迫っているのが、兄の率いるベスフル軍だった。
ベスフル軍は、降伏させたレバス軍を吸収した連合軍となり、勢力を増して魔王領に迫っているという。
絶対に負けるわけにはいかなかった。
もっとも現時点で、魔王領内でベスフル軍に敗北する可能性を考えている者は、殆どいないようだ。
これまで、ベスフル軍と直接戦ってきたのは、魔王軍に従属していたレバス軍であり、魔王軍は、一部の兵と兵糧を貸し与えていたに過ぎない。
ベスフルとレバスの連合も、戦いを続けて疲弊した軍同士が寄せ集まったにすぎず、ほぼ無傷の魔王軍が負けるわけがないというのが、こちらの人々の見解だった。
兄が魔王軍に敗れるなら、それでいい。
あそこに私の居場所はないのだから。
「ごめんね、私から言い出したことなのに。情けないよね」
私は、ネモに向かってそうこぼした。
今回の出陣は、私自ら希望したものだった。
ネモは、最初は、かつての仲間たちと戦うことになる私を気遣って、戦いに参加しなくて済むように計らうつもりだったようだ。
「放っておいても、ベスフル軍は負けるだろう。元の仲間たちの悲惨な姿を、わざわざ見に行く必要はない」
ネモは、私にそう言ってくれた。
「ううん、あの場所にいるのは、私の仲間じゃない。ちゃんと決別するためにも、私自身に戦わせてほしい」
私は、確かにそう言ったはずだった。
そう決心したはずだった。
だが戦う前からこの有様では、何のために出陣してきたのかわからない。
自分が情けなかった。
「それだけお前の中には、兄への恐怖が刻まれているということなのだろう」
幼いころに刻まれた恐怖は、そう簡単に消えないものだ、とネモは私を慰める。
彼には、私の過去のすべてを話していた。
兄と過ごした悲惨な日々も、ベスフルでの出来事も、何もかも。
「今から戻るか? 俺とお前の2人が欠ける程度なら、許しは出るはずだ」
彼は言った。
そんなことをすれば、今回の出陣に私を推薦した彼の名前に傷がついてしまう。
でも、彼はまったく気にしていないようだった。
「ありがとう。でも大丈夫。私、戦えるよ」
あなたがいてくれるから、そう言って笑って見せた。
彼の優しさに、期待に応えるためにも、ここで退くわけにはいかない。
「わかった。今は体を休めておけ。明日には、いよいよ敵と接触する可能性があるからな」
彼は私を寝かせると、自身も横になった。
そうして、夜は過ぎて行った。
翌日、朝日が昇るか昇らないかの頃に、私達は出発した。
これから戦場となるのは、魔の谷と呼ばれる場所である。
そこは、左右を高い丘や崖に囲まれ、長く伸びた、魔王領までの道。
平時であれば、なんてこともない、ただ長く続くだけの山間道だった。
私が魔王領に来た時にも、馬車で通過したことのある場所だった。
だが、そこが戦場となれば話は違う。
中央の山間道を馬鹿正直に大部隊を率いて進めば、左右の崖から矢を射かけられるだけで、大損害を被るだろう。
故に、それを警戒するなら、左右の丘や崖の上を移動するしかない。
しかしそちらは、大人数が通れるような整備された道はない。
人1人が通るのがやっとの道、ロープがないと登れない崖などが続く。
高低差で優位に立つために、より高い場所を進もうとするほど、道は険しくなり、大部隊で進むことを困難にしていくのである。
魔王軍側は、この谷を戦場にすると決めた時、部隊を3つに分けていた。
大部隊が戦うには適さないこの場所。
こちらの主力をぶつけるのは、魔の谷を抜けた先と決め、だが、大部隊が戦うのに適さないこの谷を、何の損害もなく素通りさせてやる必要はないという判断だった。
今回は、地の利を生かして少数精鋭の部隊を配置し、一方的に損害を与えてから撤退するという作戦である。
敵軍の完全な殲滅が目的では、なかった。
私達は、その内の1部隊に配属されている。
一番少数となるその部隊は、今、険しい崖を登っていた。
部隊の全員が、崖を登りやすい軽装で、弓矢とショートソードを携えていた。
兵士は全員大柄で、逞しい体つきをしていた。
私が、この部隊で一番小柄なのは間違いないだろう。
ここに来るまでも、周りの兵士たちは、私を明らかに訝しむような眼で見ていた。
どうして、よそ者の小娘が付いてくるんだ? とでも言いたげだった。
それは、仕方のないことなのかもしれない。
私は今はまだ、何の戦果も上げていない。
ネモの推薦と、祖父である魔王の後押しにより、特例で部隊に組み込まれただけの小娘なのだ。
左下に見える山間道は、静かなものだった。
そこをベスフルの部隊が通れば、すぐにわかる。
崖の上から敵を待ち伏せし、頭上から弓矢を降らせ、反撃を受ける前に離脱する。
私達の部隊に与えられた任務だった。
谷に入る前の部隊長の説明を思い出す。
「我々は、このポイントで敵部隊を待ち伏せる」
そう言って、部隊長は地図の一箇所を指した。
そこは、敵から発見されにくく、また発見されても、よじ登るには困難な断崖絶壁の上だという。
残る2部隊が、反対側の丘から突撃し、一撃離脱を試みる。
それを空から矢で援護し、2部隊の離脱を確認したところで、こちらも撤退するという手筈になっていた。
待ち伏せのポイントまでは、半日ほど歩くと聞いている。
だが──
半日経たぬうちに、私達の部隊は足を止めることになった。
先頭が足を止め、後ろを歩く私達に合図を送る。
敵を発見したという合図だった。
全員が息をひそめ、見つからぬよう、体を伏せる。
見ると、左下の丘の上を、ベスフルの兵士たちが歩いているのが見えた。
人数は、こちらよりはわずかに多いが、小部隊だった。
「敵も待ち伏せに備えて、偵察部隊を出していたようだな」
ネモが小声でささやいた。
待ち伏せポイントに到着する前に、敵を発見した。
それはすなわち、敵の進軍速度は、こちらが思っていたより早いということだった。
まだ敵は、こちらに気づいていないようだ。
「今すぐ、仕掛けますか?」
部隊長たちが相談する声が聞こえる。
彼らは迷っているようだった。
今いるこの場所は、待ち伏せする予定だった場所と違い、敵の位置からここまで、充分駆け上ることができる坂でしかなかった。
上側にいるこちらに利があるには違いないが、一方的に射かけるということにはなりえない。
必ず反撃を受けるだろう。
そして、部隊の人数の上では、僅かにこちらが負けている。
何より、今ここまで通ってきた道は、速やかに退却できるとは言い難い道であった。
戦って生き残るには、敵を撤退させるか、全滅させるしかないのである。
だが悠長にしていては、敵部隊が通り過ぎてしまう。
部隊長は決断した。
「……仕掛けるぞ」
私は、自分の体に緊張が走るのがわかった。
魔王領の住人達は、そもそも平均的に体が大きく、力も強い。
少々数で劣っていようが、自分達より非力な人種相手に負けるはずがない、という自信と意地があるようだった。
遂に、戦いは始まろうとしていた。
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