ザ・バトル・オブ・プリテン

加集大輔

第1話


 無量小路むりょうこうじ薫子かおるこは、いらだっていた。大音響で鳴り響く単調なビートが、ただでさえささくれだった心に、ちくちくと楊子を突き立てているように感じられた。一刻も早く、この場を立ち去りたかった。だが、すぐ隣で長い足を組みながらタバコをふかす西条さいじょう貴和子きわこは、そんな薫子の心情など意に介すふうもなく、自分の話を続けていた。

「すんごく儲かるのよ。それこそ、バカみたいに」

 貴和子はしゃべり続けて口が乾いたのか、目の前のカクテル・グラスから邪魔なストローを引き抜き、中身を一気に呷った。

「だからさあ、アンタもウチに来なよ。一生、ラクして暮らせるよ」

 返事をためらっている薫子に、貴和子が追い討ちをかけた。

「どうせ離婚したばっかりで、仕事ないんでしょ?」

 その一言が、薫子の忍耐力の限界ラインを一気に引き下げた。

「貴和子の会社に入るってことは、あんたの部下になるってこと?」

 薫子は、努力して自分を抑えながら聞いた。

「あたりまえじゃん。アタシの会社なんだから」

「ということは、あんたの指図に従って仕事をするわけ?」

「そうよ」

 貴和子は、当然だろうという顔で薫子を見た。

「ぜったいに、イヤ」

 あまりにあからさまな拒絶に、貴和子は怒った。

「なんでよっ」

「なんでって、あんた。あんたは言うことがコロコロ変わって首尾一貫してないし、論理性はゼロ、おまけに面倒なことは全部人まかせにして、トラブルはみーんな人に押し付けるじゃない。何が悲しくてあんたの部下なんかに」

「人まかせになんか、してないじゃない」

「大学の学園祭の時、ヤキソバの模擬店放り出して男と海に行ったのはだれ?」

「あ、あれは、ちょっと休憩してただけじゃない」

「模擬店やろうって言い出したのは、あんたじゃない。じゃあ、夏休みのフィールドワークで遠野に行ったとき、泊めてもらったおばあさんの家で酔っぱらって納屋をぶっ壊して、『やったのは、この子です』ってあたしになすりつけたよね」

「アンタだって、飲んだじゃない」

「あたしは納屋を倒壊させるほど飲みませんっ。じゃあ、小学校のグループ研究でヒマワリの花が本当に太陽の方を向くかって調べたときに、あんた夏カゼひいたとかウソ言って冷房の効いた図書館にいて、ちゃっかり発表だけやって拍手浴びてたよね」

「薫子って、けっこう根にもつタチね」

「なんですって」

 薫子の目がすわっているのを見て、貴和子はあわてて打ち消した。

「ウソよ、ウソ。薫子がいたから、安心してアタシ、ちょっと甘えただけじゃん。感謝してるのよ、これでも」

「ほんとうに、そう願いたいものだわ」

 薫子はフンと鼻を鳴らして横を向いた。その視線の先には、色とりどりの刺激的な光線に照らされたダンス・フロアの上で楽しそうに踊り狂う無数の男女がいた。その先の一段高くなった平台の上には、十人ほどの女が肌もあらわな原色の服を着て体をくねらせながら、男たちが投げかける欲望のたぎった視線を楽しんでいた。

「よく、あんな恥ずかしい服着て踊れるよね」

 嘆息まじりに薫子がひとりごちると、貴和子が言い返した。

「あらぁ。こういう場所では、あれが正装よ。次に来るときは、アタシの服、貸してあげるわよ」

 薫子は、貴和子の着ている服を上から下まで眺めた。体のラインを強調するデザインで、ウエストには太いベルトが巻かれ、スカートの丈は下着が見えるほど短かった。何よりも驚かされるのは、その色だった。蛍光色に近い、鮮やかな濃いオレンジ色だった。

「ごめんだわ。そんないかがわしいレスキュー隊みたいな服」

「なんですって。だいたいアンタ、何よ、そのオバサンみたいな地味な服。せっかく誘ってあげたんだから、ディスコにそんな服、着て来ないでよね」

「悪かったわね、地味で。どうせあたしは無職で離婚経験者ですからね。あんたみたいに毎日能天気に暮らすわけにはいかないですから」

「アンタに能天気なんて言う資格ないわよ」

「なんでよ」

「アンタなんかさぁ、少女マンガみたいな大恋愛に憧れちゃって、人が止めるのも聞かずに広島の農家に嫁に行っちゃって。向こうの親に言われるままに奴隷みたいに働かされて、過労で倒れたあげくに返品されてきたんじゃない」

「へ、返品?」

「だって、そうじゃない。労働力として使いものにならないから、返品されたんでしょ。だいたいさあ、アンタみたいな都会育ちが農家でやっていけるわけ、ないじゃん。水をやらなくてもいい観葉植物さえ枯らすアンタが」

「うるさいなあ」

「だからさあ、アタシの会社へおいでよ」

「あんたの魂胆はわかってるわよ。私に全部仕事を押し付けて、自分は遊び呆けるつもりでしょ」

「え? いや、そんなつもりは」

 貴和子の視線が宙を泳いだ。

「いずれにせよ、わけのわからないお土産品を美術品と称して、目の玉が飛び出るような高値で売るようなアヤシゲな仕事は、イヤ」

「アヤシゲな仕事は、ひどいな」

 声のしたほうを向くと、まばらなアゴ髭を生やし、高価そうなスーツを着た背の低い男が立っていた。年の頃は、せいぜい三十歳前後だろうか。田舎の親父くさい顔の造作と仕立てのいいスーツの不適合に、薫子は目眩がしそうだった。

「ダーリーン」

 貴和子は立ち上がって男の首に両手をまわし、抱きついた。

「紹介するわ、晃二。これ、友達の薫子。この前、話したでしょ?」

「ああ、お前が仕事を手伝ってもらいたいって言ってた人?」

「そう。真面目なところだけは、人に負けないわ。離婚してるけど」

 その一言が、薫子の忍耐力の限界ラインをさらに引き下げたことに貴和子は気がつかなかった。

立木晃二たちきこうじです。よろしく」

 男はポケットから名刺を取り出し、人指し指と中指に挟んで差し出した。その手首には、太いゴールドのチェーンがこれ見よがしに巻かれていた。

「晃二は、私の会社のスポンサーなの。本業は不動産屋さんだけど、フレンチ・レストランとかカフェ・バーとか、いろいろと手広くやってるのよ」

「ああ、洋食屋と居酒屋ね。無量小路薫子です。失業中なので名刺はありません。あしからず」

 薫子は差し出された名刺を、汚いものでもつまむように親指と人指し指で受け取った。立木はその様子を見て、眉間に少し皺を寄せた。

「話は貴和子から聞いたよ」

「そうですか」

「オレ、離婚経験者でも全然オッケーだから」

「はあ?」

「いや、だから。貴和子の仕事を手伝ってやってくれないかな、薫子」

 初対面でいきなり呼び捨てにする立木という男の無神経さに、薫子の忍耐はついに限界を突破した。

「お断りします」

 予期せぬ返事に、立木はぽかんと口を開けた。

「いや、貴和子の仕事じゃなくても、もし君が何かやりたいことがあるなら、オレが金を出してやるよ。それならいいだろう? なあ」

「イヤです」

「遠慮しなくていいんだよ、薫子。仕事、ないんでしょ?」

 薫子はテーブルに両手をつき、ゆっくりと立ち上がった。

「仕事ぐらい、あなたに恵んでもらわなくても、自分で見つけます」

 そう言うと薫子は二人に背を向け、出口に向かって歩き出した。フロアを出たところで、薫子はあとを追いかけてきた立木に後ろから腕を掴まれた。

「待ってよ、薫子。冷たいなあ」

「離してください」

 薫子は体を揺すったが、立木は手を離さなかった。

「オレの話も聞いてよ。ね、三十五万でどう?」

「はあ? 何のことですか?」

「だからさあ、月三十五万円でオレの愛人にさ。手ごろなマンションも用意するからさ」

 薫子が言葉の意味を理解できないでいると、立木が畳みかけた。

「薫子、結婚してたわりにはいいセンいってるよ。ボディラインも崩れてないし、顔だって、こんな安っぽい化粧品やめてもっとマシなもん使えば、けっこう見れようになるだろうし」

 意味が、ようやく理解できた。貴和子は薫子が失業中と聞き、自分のスポンサーである立木に紹介したようだ。貴和子にそんなつもりはなかったかもしれないが、話を聞いた立木は薫子を自分の愛人にしようと思ったらしい。立木への怒りが、ぐいぐいと込み上げてきた。

「ね。あれ見て」

 薫子が頭上を指さすと、立木はつられて首を上に向けた。そのタイミングを見逃さず、薫子は右膝で立木の股間を力いっぱい蹴りあげた。

「キョオッ」

 これまでに聞いたことのない奇妙な声をあげて、立木はその場にうずくまった。

「悪かったわね。安っぽい化粧品で。私はこれが気に入ってるのっ」

 薫子はバッグを大げさに振り回して肩にかつぎ、大股でディスコの出口へ向かっていった。|

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