レジスタンス―武装都市E・D・Oへの反逆―
証秀
プロローグ
この物語は「僕ら」の革命運動の自己正当化にすぎない。革命の舞台は武装都市E・D・O。過半数以上の人間が「ノーブル」能力貴族の有資格者の都市である。「ノーブル」は上流階級の人間のみに許された超常能力であり、僕ら「ディセント」―無能―には与えられないものである。
ところで我々無能な人間に超常能力の保有を許可するのは神である。神は、手で粘土をこねてノーブルを創造し、僕らは「ディセント」は泥縄の水滴から創造されているのである。つまり、丹念に形成されたか、粗雑に形成されたかの違いで我々の生き方が決定したらしい。「神の寵愛」などと吹いている人間もいる。
もちろんそんなものは神話であるので、根も葉もない作り話。過去に能力の有無を峻別しゅんべつする際に詠われたつじつまあわせであろう。しかし、近代を経て、科学が発展した今に何故このような嘲弄を買うような神話がもてはやされるのか。それは平成に語らわれていたAIの世界、シンギュラリティなど、より高度な社会へ到達できなかった、いや至れなかったことが影響している。
昭和末期であっただろうか。ラジアンクラブと呼ばれる研究者集団によって現在の資源が枯渇すると理論的に指摘がなされた。しかし、この論には多くの批判があり、最終的にはこの研究者集団は相手にされなくなったのである。しかし、そのラジアンクラブの批判は実際に起った出来事、その百年後に起こった災害「クリスマスの悲劇」によって覆された。ラジアンクラブは正しかったのだ。
人間・世界は地球外から侵略がないものと過信していた。しかし2112年、地球の百分の一サイズ程度の隕石が落下してきた。その隕石はまるで鋼鉄の塊であった。通常岩石の塊のようなものをイメージすると思うが、違った。まるで大砲の玉が宇宙から放たれたみたいだった。それが地上に衝突し、地上から2000kmまで食い込んだらしい。かつてその落下地点であったオーストラリアと呼ばれた地は消し飛んだ。
もちろんオーストラリアの人々が消えうせたのは悼むべきことであるが、それ以上に事であったのが、従来まで使われていた鉱物資源、石油などがすべて発掘されなくなるという怪奇現象が発生したのである。無論、世界は大混乱だったようだ。アラブ・サウジアラビアなどは資源により国の財政を回していた国々は次々と経済破綻を起こし、日本の名だたる企業も次々に倒産していった。世界の経済均衡は著しく変容を見せた。
一方その天災は、資源の代替として人々に異能力の所有を認めた。そのとき発生したのが「ノーブル」であった。泥人形の完成だ。もちろん有象無象の泥水の人形も同時に完成した。この出来事以降、人々は成功品と失敗作の峻別された、というのが経済の変化云々より大切な話しだったりする。
この出来事は「奇跡」と称され、後に宗教化した。スターダスト星屑教という「ノーブル」誕生への崇敬を、事態を招いた隕石にささげるというものが大枠の教義となる。スターダスト教の会員はもちろんノーブルが占めている。彼らはこの出来事を「世界の破壊と創造」として位置づけており、宇宙の恩恵を受けたノーブルは世界の救世主やヒーローであると自分たちのことを称している。
優生学という思想を知っているだろうか。簡単に説明すると劣った遺伝子は今後の人類のために駆逐するという思想である。その考えはノーブルで再生産され、「ディセント」は滅ぼすべきであると思想とつながった。ノーブルにとって「能力」あるものだけが生き残ればいいのである。これは非常で無情なことであるが、進化論的には当然なのかもしれない。
その影響か、時として人は主張するのである。その隕石を体内に取り入れることで能力が発現するのではないかと。泥水と卑下された人々の淡い期待である。しかし、人々は虚構であるとわかっていても、一縷の望みを信じたいので、噂を鵜呑みにし、噂を実行する。鵜呑みにした彼らは隕石の破片を「黄金の果実」として摂取した。その実、悪魔の果実だったことは言うまでもない。とある人は50度以上の発熱により脳が溶解し死亡、あるものは幻覚に踊らされ、大量殺戮を行い死刑、事例を挙げれば枚挙にいとまがない。これを世界政府は「能力病」という公害として扱った。一方で能力をもった親から生まれる子は99%で能力持ちであったのだから不思議である。
なぜそこまでの必死さがあったかはすでに察しのいい人間ならば気がついているだろう。
今現在「ノーブル」が得をする世の中が形成されている。金や食料、あらゆるものが「ノーブル」へ集まってきた。当然の帰結である。世界ではあらゆるビジネスが成立しなくなった。携帯、交通機関、電気、ガス、といった当時の人々の基幹となっている資源が前提として経済活動に勇んでいたのだから。それらはノーブルの持つ能力―イデオン-が代替として扱われている。火を起こせるもの、ガスを発生できるもの、電気を発生できるもの、そういった個体は勉学に励まずとも、運動神経に恵まれていなくても、一攫千金が可能なのである。
そのおかげで現在は従来使用していたようなインフラは徐々に回復しつつある。ある「ノーブル」の能力に依存した形で、平成と寸分違わぬインフラの恩恵を受けているのである。以前まで成立していたビジネスはすべて「ノーブル」の中間搾取を受ける形で維持されているのである。そして彼らに金が集まり、大富豪化、貴族化したのである。前代など比較にならないほどの貧富の差があった。つまり、一生涯「ディセント」は資本主義の恩恵に預かることができない。むしろ、世界発展のために苛烈な労働をしている「ディセント」に対して、「ノーブル」は能力提供だけで社長の生涯年収を稼げるので、一日中遊んで暮らしている。極度な差別が伺えるだろう。僕はこの待遇を変えたいと思っている。なぜならば、「僕ら」はそんな不遇の扱いを受ける「ディセント」、貧民であるからだ。
「僕ら」はこういった待遇に対する批判を、武力をもって受け入れされる「正義」の団体「REDJOKERz」。かつて総勢30人の小規模レジスタンスである。世界各地には多くのレジスタンスがあるが、かつてそのなかの有象無象の一団体でしかなかった。しかし、ある時を境に「僕ら」は躍進する。これについてはここでは語らない。ただ「僕ら」が世界に抵抗するための「キング」を手に入れ、それ以降ノーブルと渡り合えるぐらいの力をつけていったことだけは補足しておく。
未来の方々は気がついているだろうか。あなたは「僕ら」の日記という歴史史料によって、パラダイム・シフトを把捉することができるだ。これほど詳細に残っていた闘争の史料があっただろうか。もしかしたら「僕ら」、「ディセント」達の活動は興味すらないのかもしれない。しかし、僕らは僕らの活動を、生きた証を、闘争を、歴史の変化を、ノーブル・ディセント問わずいろんな人に知ってもらいたい。未来へ、歴史家に正当な評価を求めるため、「僕ら」の存在証明のため、「僕ら」は「革命の記録」を残す。
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