26 記憶…母を思う日

 あの日母は私の手を引いて絶望の淵を彷徨っていたのかも知れない…。

 後々思い起こされる忘れられない光景がある、

草の生えた長い道を日傘をかざして歩いていた。

 何も持たず、私の手だけ曳いていた。

 幼心にいつもと違う母を感じていたのか、

曳かれた手に縋るように「おかあさん…」と呼び掛けるとゆっくり私を見つめ寂しげに笑った。

母の時代は“嫁して三界に家無し”と言われた時代。

 女から別れたいと言える時代でもなかったし、

別れて実家に帰ると世間から出戻りと陰口を聞かれ、

「嫁ぎ先から戻されたらしい…」そんなモノのような言われ方をされたらしい。

 父は剣道の段持ちで、朝、庭で素振りする光景は赤鬼のごとく恐ろしいものであった。

 毎日毎日些細な事で天地をひっくり返すように父は怒った…。

 手が早く、言葉に棘があり、母は父の動きに常に神経を張りつめていた。

 幼いころから母の、怖れ、慄き、絶望した様子をいつも見ていた…。

 母を思う時、必ず…あの草の生えた長い道…あの情景を思い出す。

 其れから何処に行ったか記憶は定かではないが…結局、母は死ぬまで父と添い遂げた。

「子どもの為に我慢しなさい…」

 そんな風に諭されたに違いない…、

私の為だったんだろうな…母の人生を思い、今日は一日母を思っていた。


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