プリンスとスパイ 2


 「ちょっと待て」

プリンスが遮った。

 狼狽している。

 せわしなく本をめくりながら、尋ねた。

「そんなこと、どこに書いてある?」


「おとなになったカルロスが、言ってますよ。それを、ざっくりまとめると、こうなります」

平然とスパイが答えた。プリンスの手から、本を取り上げた。

「ええと、……あ、ここだ。いいですか? カルロスが、ロドリーゴに言うセリフです」


 本を目の高さに上げ、読み上げる。



……お主の仕打ちは酷かった。お前はつれなくおれの心を斥けて、胸のちぎれるような悲しい思いを己にさせたが、己はどうしてもお主から離れることが出来なんだ。しゅうである身が、三度臣下のお主に斥けられれば、三度とも、お主の愛を乞い求め、お主に愛を押し附けるために立ち返った。……



「そこは読んだけど……」

「だから、カルロスは、ロドリーゴの放った矢が伯母に当たった時、心の中で密かに喜んだんです。彼に変わって王の罰を受ければ、友の愛を勝ち取ることが出来るって」


「ううむ」

プリンスは唸った。

「ううむ」


「そうそう。これも、大人になってからの話ですが、王子はロドリーゴに、二人きりでいるときは、家来と主という茶番を演じるのは止めようと、提案しています。他に人がいる時は、これは、仮面舞踏会だからしょうがないと思おう、って」


 スパイは本を読み上げた。



……だが、仮面の陰から己はお主に目で合図し、お主は通りすがりに己の手を握って、互いに心を通わすのだ……



「そうだ! 二人は、親友の契を結ぶんだ! 実に感動的な場面だ!」

我を忘れて、プリンスが叫んだ。

「だって、カルロスはもう、一人じゃない……」

 スパイが、また、本を顔の前に立てた。声色を変えて、読み分ける。



(王子) お主はきっと己のものか。

(ボーサ侯) 永久に。その詞の意味の果まで。


 なんと、岩波文庫から、腐臭が……」




 「おい、先走るなよ」

最後のつぶやきを、プリンスは無視した。スパイの手から、本を取り返す。

 何事もなかったかのように、先を話し始めた。


 「大きくなった二人は、ともに、王都を離れ、アルカラの大学で学んだ。自由な大学で、カルロスとロドリーゴは、身分を超えた友情を育んだ。国政について語り、治世について、民衆の幸せについて、熱く意見を戦わせる……」


 うっとりと、プリンスは両手を組み合わせた。青い目が、少しぼやけて見える。


アルカラ大学から、有能なボーサ公は、国外へ留学に出た。彼は、あちこちで有意義に学んだ。マルタ騎士団に入り、勇敢な働きをした。ロドリーゴ・ボーサ侯爵は、立派な騎士だった。ボーサ侯は、フランデルン(ベルギー・フランス・オランダの地方。この頃、オランダが、スペインからの独立を画策していた)に対する、スペインの圧政を知った。彼は、独立派の騎士たちと、密かに結んだ。そして、フランデルンの民の幸福を、必ずや実現させようという、気高い志を胸に、スペインへ帰国するんだ。」



「えっ、そんな難しい話になるんですね! ついてけないわけだ」

「お前が、飛ばし読みをしたり、変な解釈をしたりするからだ」

「どこがです? アルカラ大学から、ロドリーゴが諸国漫遊の旅に出て、傷心のカルロスは、王妃エリザベトに夢中になった。少なくとも、女に目を向けるようになったわけです。……父の妻だけど」


「……」

プリンスは、スパイを睨んだ。何かいいかけて、やめた。本を開き、首を振った。


「一方、アルカラ大学から帰ったカルロスは……」


「国を出ることが許されなかった」

途切れた言葉の先を、スパイが補った。。


 プリンスは俯いた。

 それはとりもなおさず、今の彼の境遇と同じだったからだ。

 カルロス王子は、父王の猜疑心からイスパニアに留め置かれた。

 プリンスの方は、父が戦に負けたことにより、母の実家に幽閉されている。


「あなたのような方を、宮殿に閉じ込めるのは、誤ったやり方だと思います」

口ごもりながら、スパイは言った。

「あなたにはきっとできる。何かはわからないけど、でも、きっとできる!」


「僕に何ができるというんだ?」

嘲るように、プリンスが言った。

「この国に閉じ込められ、情報を遮断された、この僕に!」

「だからあなたには、わかるのですね。ドン・カルロスの孤独が」


 深い溜め息を、スパイはついた。


 ……。


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