永遠の忠節


 陽光煌めく、宮殿の庭。

 子どもたちの歓声が、元気に響き渡っていた。


 フェリーペ2世の長男、幼いカルロス王子の遊び友達として集められてきた子どもたちである。

 いずれも、重臣たちの子や孫、よく躾けられ、身ぎれいに装った子どもたちである。だが、溌剌とした生命力は、隠すことができない。


 王子の山羊や小型の馬ポニーを乗り回す者。力いっぱい太鼓を叩き、黄金色に輝く喇叭を、うるさく吹き鳴らす者。


 中のひとりが、玩具の弓矢を手に取った。

 玩具ではあるが、本物そっくりに、精巧にできていた。子どもは、弓に矢をつがえ、大きく弦を引いた。

 空に向かって、大きくそりかえる。


 そんなつもりはなかった。

 だが、玩具は、玩具の域を超えていた。

 また、少年自身が、その才能に恵まれていたからかもしれない。


 彼の打ち放った矢は、花壇を横切り、木々の間をくぐり抜け、リラの林まで、弧を描いて飛んでいった。そして、かぐわしいリラの大木の下で本を読んでいた婦人の、眉の上に、過たず当たった。


 幸い、子ども用ということで、矢の先は、柔らかい布でくるまれていた。婦人は、目の上を、軽く腫らした程度で済んだ。


 だが、この話を聞いた王は、激怒した。

 婦人は、王の姉だった。

 さっそく、子どもたちが集められた。




 「誰がやったのだ?」

 王の武官が、詰問する。

 怯えきった少年たちは、俯き、少しでも、武官から、距離を置こうとしていた。


「この弓が、花壇のそばに落ちていた」

武官は、小さな弓を振りかざした。

「これを使った者は、誰だ」

「……」


 しんと静まり返った少年たちは、上目遣いに、弓矢を見ていた。

 もちろん、その場にいた大部分の子ども達が、一度は、その弓を手にし、矢で遊んでいた。だが、実際に、弓に矢をつがえて放つとなると……。


「さあ。名乗り出るのだ」

武官が言った。


「将軍」

一番年上の子どもが、おずおずと呼びかけた。

「正直に名乗った者は、罰せられるのですか?」


「もちろんだ」

即座に武官は答えた。

「皇女様の清らかなお顔に、畏れ多くも傷を負わせたのだ。決して、許される行為ではない」

 実際は、眉の上に、小さな丸い痣ができたに過ぎなかったのだが。

「さあ、名乗るがいい。罰を恐れて口を閉ざしているのは、卑怯なふるまいだぞ」

ぎょろりと目を剥いて、武官は、子どもたちを睥睨した。


 一人の少年が、足を一歩、踏み出した。

 弓矢をつがえ、空に放った少年だ。

 真っ赤な顔をして、何か口にしようとした時、彼の脇から、別の少年が前へ進み出た。

「私が、やりました」


 王の息子、カルロス王子だった。

 一同は、息を呑んだ。


「将軍。私が、弓に矢をつがえ、空に向けて放ちました。誓って、伯母上に当てるつもりはありませんでした。ですが、結果として、伯母上を傷つけることになってしまった。……その罰、この、ドン・カルロスが、身を挺して償いましょう」


「しかし、王子」

武官は、目を白黒させている。


 平然とカルロスは言い放った。

「さあ、私に、罰を。刑場へ連れて行って下さい」

 遊び友達の少年たちは、彼の背後で、一つに固まって震えている。

「将軍。私に罰を。どのような罰でも、甘んじてお受け致します」


 その時、王子の横の少年が、王子を押しのけるような仕草をした。下腹の辺りに上がったその手を、王子は払いのけた。

 少年は、負けずに、口を開こうとする。

 その口を封じるように、王子は叫んだ。


「早く! 王の息子とて、特別扱いは許されぬ筈」

「しかし、陛下のご意見を伺ってみなければ……」

「必要ございませぬ。父上が何とおっしゃるか、おわかりの筈! 王の息子なら、余計、正義の元に、裁かれるべきです」


 なおも前に出ようとした隣の少年を、今度は、はっきりと押しのけた。

 烈火のように燃え盛る目で、少年を睨みつけた。

 ほんの数秒、二人のまなこが出会った。激しい火花が飛び散った。強い抗議の光と、それを遥かにしのぐ、王者のきらめき。


 けおされ、打ちひしがれて、少年は目を伏せた。


 王子はわずかに微笑んだ。

「さあ。思う存分、罰するがいい」

 困り果て、顔色さえ青ざめた武官を急き立てるようにして、王子は、その場から去っていった。




 王は、我が子だからとて、容赦はしなかった。

 すぐさま、鞭打ちの刑が、執行された。

 執行吏が手加減せぬよう、王自らが、監視にあたった。

 手ひどい鞭が、雨あられと降り降ろされる間中、王子は、一言も声を漏らさなかった。唇を噛み締め、この過酷な刑を耐えた。




 その晩。

 カルロスの部屋へ、小さな人影が忍び込んだ。

 あの、弓矢を放った少年、ロドリーゴ・ボーサである。


 たまたま、王子と年齢が近いというだけの、下級貴族の息子だった。その生命は、無に等しい。彼が矢を放ったのだとわかったら、残忍な王は、幼い彼を殺してしまったかもしれない。


 カルロスは、背中に湿布を張り、寝台にうつ伏せになっていた。

 背中一面が赤く、ミミズ腫れにになっている。侍従は、さらなる塗り薬を医師に処方させるために、退出していた。


「殿下……」

呼びかける声は震えていた。


「お前か、ロドリーゴ」

わずかに、カルロスは頭をもたげた。

「安心しろ。お前のことは、一言も話さなかったから。陛下は、弓矢を放ったのは僕の仕業だと思っておられる」


「殿下……なぜ?」

 ロドリーゴは、おずおずと近づいてきた。

 湿布からはみ出した、残忍な赤い傷跡に、息を呑んだ。


「……」

 王子はじっと、彼の顔を見た。


 真っ赤になって、ロドリーゴは叫んだ。

「罰を受けなければならないのは、私でした!」


「そしたら、お前は、殺されてしまったかもしれないよ? これは……僕の背中のこの傷は、見かけほど、ひどくはないんだ。だって、僕は、王の息子だからね。刑吏が、どこかで、手加減してくれたんだ。鞭打たれたのが、お前じゃなくてよかった」

「殿下……」

「僕はただ、僕以外の人間が、ひどい目に遭うのを見るのが、耐えられなかっただけだ。それ以外に、理由なんてないよ」


 そろそろと、カルロスは起き上がった。

 ロドリーゴは、泣いていた。真っ赤な頬の上を、涙が、際限もなく、流れ落ちていく。彼は、もはや、王子と目を合わせることができなかった。


 ぺろりと、カルロスが上唇を舐めた。

「僕は、当たり前のことをしただけだ。家臣を守るのは、君主の務めではないか」


「殿下!」

思わず、ロドリーゴは、カルロスの前に跪いた。

「私は、あなたに、一生、ついていきます。どのような境遇にあっても、決して、あなたのそばを離れません。私は、この命を賭して、あなたに、永遠の忠節を誓います」


 驚いたように、カルロスは、目をぱちぱちさせた。


「それなら、ロドリーゴ。今日からお前は、僕の親友だ」

「親友?」

「ああ。臣下などではない。お前は僕の、大切な友達だよ」


 ……。

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