第143話 旅は続く

 8月某日。心配された台風は足早に通り過ぎ、その後には置き土産として雲ひとつない快晴の空が広がっていた。

 蝉が鳴き、痛みを感じるほど強烈な日が差す中、俺たちは汗を拭いながら森の中を歩いていた。


「台風ぶつからなくて良かったですね~。開催はいつもこの時期なんでしたっけ?」


「いや、いつもは7月の下旬だよ。今年だけは8月なんだって」


「そうなんですね。でも夏場は台風が来ないか毎年心配しなきゃですね」


「第一回は台風直撃で死人が出たんやって」


「本当ですか!?」


「琴さん、玲に嘘教えないでください。死者は出てませんから。台風直撃で地獄だったってのはマジらしいっすけど」


「でも俺も噂は聞いたことあるな。未だに帰れずに彷徨ってる人がいるって」


「それ〇渕の富士山ライブと混同してね?」


「あ、見えてきましたよ!」


 玲が指さす先には「RED CARTONレッド・カートン」と看板が掲げられた大きな建物。建物と言っても中に入るための扉は無い。と言うか、入り口部分は壁すら無く完全に開放されている。運動会なんかでよく見かけるタープテントの超巨大バージョンと言えば伝わるだろうか。

 その中には大勢の人が集まっていて、奥のステージでは新進気鋭の若手バンド「the squiddy'sザ・スキッディーズ」がパフォーマンスを披露していた。観客はビールやケバブなんかを片手に、実に楽しそうにくつろいでいる。


「俺ちょっと見たかったんだけどな、the squiddy's」


「準備ありますからね。裏で音は聴けるんじゃないですか?」


「まぁ、そうなんだけど。やっぱフロアで聴きたいじゃん……ってあれ?」


 建物の裏手へ回り込もうとしたとき、ステージとは関係ない場所に人だかりができているのを見つけた。しかも女性ばかり。なぜあんな場所に、と思ったのも束の間。その人だかりの中心に、見覚えのある派手顔のイケメンがいたのだ。


「げぇ、まっさんやん」


 俺とほぼ同じタイミングで、琴さんもマシューがいることに気づいたらしい。そして露骨に嫌な顔をしていた。相も変わらず。


「あ、琴ちゃんじゃないか! おーい!」


「手ぇ振んな! うっとおしい!」


「あれ、cream eyesじゃない? マジ? ラッキー!」


 マシューが声を掛けてきたおかげで、集まっていた女性たちがこちらの存在にも気づいたようだ。タオルを頭に被っていたせいかここまで誰にも気づかれなかったのは少し寂しかったが、さすがにこうなっては対応せざるを得ないだろう。

 やれやれ、顔が売れてくるとこういう時に難儀するものだ。もはや女性の扱いにも慣れたものである。


「琴ちゃん実物ほっそ! 大ファンなんです! 握手してください!」


「玲ちゃんだ! かわいい~!」


 知ってた。


 うちのバンドの女性支持者は、そのほとんどが琴さんファンだ。最近はファッション誌に登場する機会も増えてきたので当然と言えば当然か。

 次点では玲の人気が高い。ラジオ番組でのおっとりしながらズバズバ切り込んでいくトークスタイルが受けているらしい。


 でも、もう少し男勢に興味を持ってくれても良いのではなかろうか。黄色い声援を送ってもらえれば、モチベーションもアップしてもっといい曲が作れるかの知れないのに。


「京ちゃんには私がいるから他の女なんていらないもんね!」


「ん? まぁ、そうだね」


「ちょっと、何で不満げなの?」


 (見た目だけなら)イケメンの京太郎に女性ファンが少ないのは、恋人がいることを公言しているからかもしれない。一途に付き合い続けるその姿勢に陰ながら見守るファンは多いらしいが、いつだって恋人兼マネージャーのみはるんが傍にいるので、表立って応援することは憚られるのだとか。


「ってゆーか、何でまっさんがここにおんねん。あんたらはホワイトの方やろ」


「いやぁ、the squiddy'sが最近すごい勢いあるからね。敵情視察ってやつさ。まぁうちのバンドとは毛色が違い過ぎるけど」


「嘘でもうちらの激励に来たって言えんのか」


「何を言ってるんだい。激励して欲しいのはこっちの方さ」


「マリッカ、復活ライブですもんね。私も観たかったのに、まさか出演時間が被るなんて……」


「あははは。確かに残念だけど、こうなったら動員数で勝負といこうじゃないか。負けた方はビールを奢るってことで、どうだい? 玲ちゃんもお酒を飲めるようになったんだし」


「どうだい、ちゃうわ。ホワイトの方がステージでかいんやから、そんなんあんたらの方が有利に決まっとるやん」


「こっちは2年近くもブランクがあるんだから。そのくらいのハンデはあってもいいだろう?」


「2年近くもブランクがあるくせに、ウチらよりでかいステージに出るっちゅーのがそもそも気に食わんねん」


 他のお客さんもいるというのに、おかまいなしに舌戦を繰り広げる二人。だが、そのやり取りはファンからしたらたまらないものだったらしい。


「うわー、マシュー様と琴ちゃんの生喧嘩だ!」


「すごいね! 噂で聞いてた通り!」


 生喧嘩ってなんだよ。


「あのー、琴さん。そろそろ行かないと」


「……せやな。まっさん、この続きはまた今度や」


「あはは、僕は琴ちゃんならいつでも大歓迎だよ」


「何すかしとんねん。しげるのくせに」


「くせにとは何だ! 全国の茂さんに謝れ!」


「ほらほら、琴さん行きますよー。マシューさんも、また後でー」


 マシューのキレ顔を初めて見た。すごい怖かった。琴さんはそれにも怯まず子供みたいにベロを出していたけれど。


「マシューさん!」


 琴さんを強引に控室まで連れて行こうとしたとき、玲がマシューに声をかけた。


「莉子ちゃんに、私負けないからって伝えてください!」


 それを聞いたマシューは吹き出していた。そして右手でOKのサインを作って見せた。


「琴さんとマシューさん、相変わらずでしたね」


「本当、もう付き合っちゃえばいいのに。俺らみたいに」


「ぁあん!?」


「ごめんなさい、何でもないです」


 相変わらずと言うなら、琴さんたち以上に玲がそうだ。今日がマリッカの、莉子の復帰ライブだと言うのに、相変わらずの「負けない」宣言。しかも敵の一員であるマシューに伝言を頼むとは。逆の立場なら俺でも吹き出していたことだろう。


「遅かったじゃないか。もうすぐに出番だぞ」


 控室に到着すると、そこには土田さんが待ち構えていた。


「すいません。ちょっとひと悶着ありまして」


「……まぁ、その顔なら心配は無さそうだけど」


 土田さんの言葉通り、俺たちが来てすぐにthe squiddy'sのメンバーが控室へと戻ってきた。


「お疲れさんでーす……って、く、cream eyes! お、お、お、お疲れ様です!」


 俺たちの顔を見るなり、ベースボーカルを担当するKENJIけんじくんが駆け寄ってきた。


「俺、めっちゃ朔さんのベース好きなんです! 今日のライブも楽しみにしてます! 頑張ってくださいね!」


「あ、あぁ。ありがとう。うん、頑張るから楽しみにしてて」


「はい! それじゃ、失礼します!」


 嵐の様に去って行くthe squiddy'sの面々。


「よかったじゃん。ファンがいて」


 京太郎が茶化してきたが、俺はそれに反論する気はこれっぽっちも起きなかった。だって、単純に嬉しかったのだ。自分のベースを好きだと、あんなふうに真っすぐに言ってくれる人がいるなんて。


「cream eyesのみなさーん、30分後に本番ですので、スタンバイよろしくお願いしまーす」


 スタッフから声がかかり、いよいよ出番が近づいてくる。


「いよいよですね。朔さん、準備はいいですか?」


「玲にそれを言われるとはね。もちろん、バッチリだよ」


「あはは、今日も頼りにしてます。リーダー」


 ここは憧れていた太平洋ロックフェスの舞台。だが、メインステージでなければヘッドライナーでもない。もちろん、世界征服もまだ達成できていない。


「上手に出来たら、ビール奢ってくださいね」


 マシューとの賭け事など関係なしに、玲はそう要求してきた。二十歳はたちの誕生日から一年足らずで琴さんに匹敵する大酒飲みうわばみへと成長した玲に付き合うのは、正直しんどいのだけれど。


「あぁ、ビールでもテキーラでも、何でも奢ってやるさ」


 そんな玲に潰されるのも悪くない。それで彼女がヤル気を出してくれるなら安いもんだ。


「それじゃ、あれ、やっときますか」


 京太郎の呼びかけに皆が頷き、円を組んで手を差し出した。あれ、とはもちろんあれ・・のことだ。


「それじゃ」


 京太郎は大きく息を吸い込んだ。


「いくぞー」


 いつも以上に過剰なまでのウィスパーボイス。わかっていても、この面白さには抗えない。


「ぶふぅ!」


「あんたえぇ加減にせえ!」


「やりすぎです師匠!」


「えー、皆欲しがってたじゃん」


 気を取り直し、皆でもう一度手を重ねる。次こそは笑いを堪えて……


「いくぞー(超小声)」


「っぷ……ぉおー!!」


 駄目だ、やっぱり締まらない。でも、これが俺たちなのだ。これで、まだ見ぬ景色を見に行くのだ。


 そうこれからも、まだまだ旅は続いていく。俺たちが目指したのは、簡単には辿り着けない場所なのだから。

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アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル 志登 はじめ @shito_hajime

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