第130話 強いということ

「もしかしたら変な奴に絡まれるかもしれない。野次を飛ばされるかもしれない。そういう奴らは相手にするとつけあがるから無視していい。でも危なくなったらすぐ逃げるんだぞ。そんなのと争ったって、良いことなんて一つも無いんだから」


「朔さん、何だかお母さんみたいですね」


「割と本気で心配してるんだけど」


「あはは、ごめんなさい」


「玲の歌はきっと皆に届くから。気持ちを強く持って、頑張って」


「ありがとうございます。それじゃあ行ってきますね!」


 合宿2日目の16時、玲は新宿での路上ライブを行うため、父親から譲り受けたというGibsonギブソンのアコースティックギター、ハミングバードを抱えて、いつも通りの明るい笑顔で土田家を出ていった。彼女にとっては初の路上ライブだ。まぁ、俺も路上ライブなんてやったことはないのだが。

 上手くやれるだろうか。トラブルに巻き込まれたりしないだろうか。


 直前にSNSで路上ライブの告知をした際には、好意的な意見が集まった。だが、不特定多数が閲覧するネットの世界では、反応を寄せた人だけが見ている人というわけではない。

 先日のZIPPER Tokyoでのライブ告知や土田さんのプロデューサー就任表明により、cream eyesに対して良くない感情を抱いている人間がいることは確かだ。未だに件の投稿に対してはネガティブな書き込みがされることがある。そんな風に俺たちのことを快く思わない誰かが、玲に危害を加えようとしている可能性は捨てきれない。


「案ずる気持ちはわかります。が、ここはアテクシにお任せください」


 俺の気持ちを察したように、玲のボーカルレッスンを担当した薫子さんが俺の肩にそっと手を置いた。100kgはゆうに超えるであろうその巨躯には頼もしさを感じる。だが、そうは言っても薫子さんは女性である。もしも悪漢がやって来たとき、本当に対処できるのだろうか。


「あの、同行するのはトレーナーの方が良いのでは……?」


 俺の講師トレーナーである大地さんは、筋肉の鎧を身に纏うという言葉がピタリと合うほど屈強な見た目をしている。威圧感もあるし、ボディガードと言う意味であればより適任に思えたのだ。


「何を言っているんだ。小生には貴君のレッスンという重要な仕事トレーニングがある。それを怠ることなどできはしない」


「でも……」


「安心したまえ。薫子は元軍人でシステマの達人だ。荒事が起きるような現場においては、小生よりも遥かに優れた仕事をしてくれるだろうよ」


「元軍人!? なんでそんな人がボーカルレッスンを?」


 何だその肩書は。システマって、確かロシアの軍隊格闘技だったはずだが。


「システマの基本4原則、そのうちの3つは『Keep呼吸を breathing止めない』、『keep relaxリラックスする』、『Keep back姿勢を真っ straightすぐに保つ』だということは常識だろう? 薫子はこれを歌に応用しているのさ」


「どこの世界の常識ですか!」


 そこまで言ったなら最後のひとつも教えてもらいたい。


「そういう訳でありますから、玲さんのことはアテクシに任せて皆さんは練習に励んでくださいな」


 だがトレーナーの言うことが事実であるなら、確かに薫子さん以上にボディガードとして適任の存在はいないと言える。玲に同行できないことは最初から決まっていたことだし、ここは薫子さんを信頼して自分の練習に専念するべきなのだろう。


「わかりました。薫子さん、玲を頼みます。それじゃあ、俺たちは新曲を作っていこうか」


「ちょっと待ってくれ」


 玲の後を追った薫子さんを見送って俺たちがスタジオへと戻ろうとした時、土田さんに呼び止められた。


「新曲は玉本くんもいるときに進めた方がいい。彼女のいない間は別のことに時間を使おう」


「別のこと?」


「あぁ。持ち曲の少ない君たちに、とっておきの秘策を伝授してあげるよ」


 こうして土田さんの指導の下、秘密の特訓が始まった。


「え、これを土田さんが? いつの間に?」


「はー、さすがやねぇ。これは確かにええ感じやわ」


「すげぇ……」


 とある音源を聴いた俺たちは、一様に驚きと感嘆の意を示すことを惜しまなかった。天才をプロデュースした人間もまた、紛れもない天才なのだと確信したのだ。


 そして時刻は19時。


 この日の夕食は前日に玲がカレーを用意してくれたおかげで、米を炊いて涼太くん用のハンバーグを焼くだけで完成だ。スパイシーな香りが実に食欲をそそる。プラスアルファで野菜を切ってドレッシングをかけただけのサラダも用意した。ゆで卵くらい添えればよかっただろうか。


「ただいま戻りました!」


 カレーをテーブルに並べ始めたころ、玄関から元気な声が聞こえてきた。いつもより大きなギグバッグを背負った玲はニコニコとした笑顔で、その表情はライブが無事に終わったことを物語っていた。


「お疲れ様。初路上ライブはどうだった?」


「めちゃくちゃ緊張しましたけど、楽しかったです!」


「お客さんけっこう来てた?」


「そうですね、けっこう厳しかったと思います。最初はホントに人いなくて、一番多い時は20人くらいが足を止めてくれましたけど」


「路上ライブでそれだけ集まれば上々だよ!」


「えへへ、ちょっとだけおひねり貰っちゃいました」


「おぉ、ストリートミュージシャンっぽい」


 今日の路上ライブは告知も直前だったし、お客さんはたまたまその場に居合わせた人がほとんどだろう。それでも一度に20人の足を止めたと言うのだから、成果としては上々だ。街中で路上ライブをやっているミュージシャンはよく見かけるが、20人も集めている人はそう多くない。

 路上ライブはZIPPER Tokyo出演の2日前まで継続する旨を告知してあるので、明日以降お客さんはもっと増えるはずだ。


「いい匂いですね! 私もうお腹ペコペコで」


 しかし何より、トラブルに巻き込まれることなく無事に玲が帰ってきたことにホッとした。


「もう準備はできてるよ。早く手を洗っておいで。と言っても、これを作ったのも玲なんだけど」


 今日も御手洗四兄妹を含む9人での食事。昨日のうちに土田さんが(玲によって半ば強引に)注文した炊飯器も届いているため、おかわりだってし放題だ。


「わぁ! ハンバーグだ!」


 涼太くんは特別製のハンバーグに目を輝かせていた。それを眺めていた玲も実に満足そうだ。


「この後も練習は続くからね。さあ、モリモリ食べて、ビシバシ練習しよう!」


「いただきます!」


 カレーは見る見るうちに皆の皿から無くなっていく。さすが国民食だ。


「二杯目はチーズいっちゃいましょう」


 昨日おかわりをし損ねた玲は、それを挽回するように山盛りのカレーを三杯も平らげていた。

 ひと段落したところでふとバンドのSNSを覗いてみると、今日の路上ライブを見ていた人の投稿が目に入った。「cream eyesの人が路上ライブやってた!」と興奮気味な文と一緒に投稿されていた動画には、玲が気持ちよさそうに歌っている様子が映されている。


「ん?」


 いくつかの投稿に目を通すと、玲より注目を集めている人物がいることに気が付いた。


「路上ライブやってる人の後ろにいる人、デカすぎぃ!」


「あっちが気になって歌に集中できないんだけど」


 コメントと一緒に投稿されている写真には、真っ黒なスーツに身を包みサングラスをかけた薫子さんの姿があった。玲のライブを後ろから見守っているのだが、あまりにも存在感が強すぎる。家を出ていく時はそんなスーツ着てなかったはずなのに。

 だが、これだけ威圧感のある人間が睨みを利かせていることがわかれば、そうそう何かをしでかそうという人間も現れないだろう。ある意味、セキュリティの固さを通行人が宣伝してくれているようなものだ。

 玲の路上ライブには不安が多かったが、この様子なら明日以降も大きなトラブルに巻き込まれることは無さそうだ。


「ごちそうさまでした!」


 この日も食後に個人練習を行い、くたくたの身体でベッドに倒れ込んだ。これだけ密度の濃い練習を続けた甲斐もあって、合宿開始から5日が経った頃にはバンドの完成度が確実に向上していることが実感できた。

 全体で演奏した時の呼吸の合わせ方、個々人の演奏レベルの双方において、明らかに手ごたえが違う。傍から聴いてどこまでそれが伝わるかわからないが、少なくとも俺たち4人は自信を深めていた。


 だが、そんな風に順調に思えていた合宿開始から1週間後の12月1日、事件は起きる。


「ただいま戻りました」


 時刻は19時。この日も路上ライブへと出かけて行った玲が、意気消沈した様子で帰ってきたのだ。


「お疲れ様。今日はどうだった?」


 明らかにいつもと違う雰囲気を感じつつも、いつもと同じ問いを投げてみた。路上ライブの観客は日に日に増えていっており、昨日には最大で50人近い人が足を止めていたのを動画で確認している。

 今日になって急に観客数が減ってしまったのか。それとも。


「ちょっと嫌なことがありました」


「嫌なこと?」


「はい。歌ってる途中、けっこう酷く野次られてしまいまして」


「動画ありますけど、見ます?」


 薫子さんがその様子を撮影していたらしく、タブレット端末を取り出した。

 正直言って、野次が飛んでくるという事は想定の範囲内ではある。むしろ今日までそれが無かったことの方が予想外なくらいだ。


 だが、予想できていたからと言って、心無い野次を飛ばされて傷つかないわけではない。玲はハートが強い方だとは思うが、それでも嫌なものは嫌なのだ。


「えー、これをこうして、っと」


 薫子さんはたどたどしい手つきでタブレットを操作し、その画面をリビングの大型テレビへと映し出ミラーリングした。そこには玲と、その歌を聴く100人近い観客が映し出されていた。


「おぉ! すげーじゃん!」


「こんだけ集めるんは大変やったやろなぁ。頑張ったんやねぇ」


 京太郎と琴さんも、夕食の準備の手を止めてリビングに集まってきた。画面の中の玲は、楽しそうに歌い、ギターを弾いている。体格に対して大き目なアコースティックギターを構える姿も、様になってきているように見えた。


 だが、玲が3曲目のグラジオラスを歌っている途中、人だかりの後方から突然大きな声が聞こえてきた。


「うるせえぞ!! てめえの歌なんて聞きたかねーんだよ!! とっとと消えろクソガキが!!」


 マイクで拾っているわけでもないのに、映像には男の声が何を言っているかも含めてハッキリと記録されていた。それほどの大声だったということだ。もはや野次と言うよりただの罵声である。

 しかもその罵声が投げかけられたのは、曲の合間ではなく歌っている最中だ。玲の歌を聴いていたお客さんの視線も一気にそちらに奪われていた。


 映像で見ているだけでも胸がざわつく嫌な瞬間。


 だが、玲は歌うことを止めなかった。


「うるせえって言ってんだろ!! おい!!」


 野次は止まらない。玲の歌も止まらない。緊迫した空気の中、観客も明らかに戸惑っている様子だった。

 そんな中、薫子さんが人だかりの後方へと向かっていく様子が映ったかと思うと、野次はピタリと収まった。玲はその後も力強く歌い続け、曲が終わると集まった人たちに向かって丁寧にお辞儀をした。


そして


「私の歌を、愛してください」


 そう言ってのけたのだ。そしてそのまま路上ライブを予定通り最後までやり遂げた。初めての路上ライブに行く前、俺が玲に言った通り、決して相手と争わずに。


 あんな言葉を浴びせられて、どれだけ怖かっただろうか。どれだけ悲しかっただろうか。どれだけ悔しかっただろうか。それを思うとこちらが苦しくなってくる。偉そうなことを言っておきながら、もしあの場に俺がいたら、あの男に何もしないでいられた自信が無い。


「玉本くん。よく、頑張ったね」


 珍しく土田さんが素直に玲を褒めていた。


「君の強さは、バンドにとって必ずプラスになる。今日の出来事だってそうだ。あそこで野次に屈せず、争うこともせず、歌い切ったことは素晴らしい」


「土田さん……ありがとうございます」


「あぁ、本当に素晴らしい。あの野次男がマリッカの信者か僕のアンチかただのイカれ野郎か知らないが、感謝しなきゃいけないな」


「え?」


 野次を飛ばした男に感謝って、何を言ってるんだこの人は。


「どういう意味ですか?」


「すぐにわかる。今回の事件は、君たちへのネガティブな印象をひっくり返すことになるはずさ」

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