第131話 着飾る街のその中で

 土田さんの言葉は瞬く間に現実となった。


 玲が罵声を浴びたあの路上ライブ以降、SNS上でのcream eyesへの評価は大きく変化した。それまでは肯定的なコメントと否定的なコメントが3対7ほどの割合だったのに、その割合が9対1くらいにひっくり返ったのだ。

 否定的なコメントを残す人は未だにいるが、俺たちを応援してくれるコメントの数が爆発的に増えたことにより、ほとんど埋もれて見えなくなってしまった。


 そのきっかけは、路上ライブの観客によるSNSへの一件の投稿。


「路上ライブ見てたら頭おかしい奴が引くレベルの野次飛ばしてたんだけど、歌ってた子がそれに負けずに歌い切ってて感動した。cream eyesってバンドのボーカルらしい」


 一連の事件が映された動画と共に書き込まれたその投稿は、瞬く間に万単位のユーザーに拡散されていった。「かっこいい」「応援したくなる」「歌声がすごく良い」等、その殆どが肯定的な意見と共に。


 ひとりの一般人の投稿がここまでの勢いで拡散されたのには訳がある。その投稿は、マリッカの莉子がシェアしていたのだ。

 コメントのひとつも付けない無言のシェア。だが、「cream eyesは莉子の病気を利用して売名しようとしている」というネガティブな意見を覆すにはそれで十分だったようだ。


「これで後はもう、僕たちが何も言わなくてもSNSの住人がcream eyesとマリッカの美しい物語を作り上げてくれるさ」


 土田さんの言い方には棘があったしお世辞にも善良な心であったとは言い難いが、実際その言葉通りに事は進んでいった。


「ZIPPER Tokyoでのライブはマリッカからcream eyesに打診したらしい」


「cream eyesはマリッカの無念を晴らそうとしているに違いない」


「次のライブではマリッカのメンバーがサポートで出演するという噂だ」


「土田氏はロークレの失敗を繰り返さないために商業主義を捨てて独立したと聞いた」


「莉子と玲は実は恋人同士である」


 これらは全て、SNSに書き込まれた内容の一部だ。事実と虚偽の割合が酷い有様である。一体誰が何を情報源ソースに発言しているのか問いただしたい気分だ。

 だが、わざわざ積極的に否定する必要も無いと土田さんから指示があったため、バンドのアカウントではこれらの発言は全てスルーして、あくまで活動情報の発信のみに終始することにした。


 そして、ZIPPER Tokyoでのライブを2日後に控えた12月2日の金曜日。


「それでは、行ってきます!」


 玲はライブ前最後の路上ライブへと向かっていった。昨日の出来事はまだ心に引っ掛かっているはずだ。味方をしてくれる人が増えても、いつまた罵声を浴びせられるだろうかと考えたらきっと怖くてたまらないだろう。

 だがそんなことはおくびにも出さず、いつも通りの元気な表情で玲は土田家を出ていった。


「今日は僕らもこっそり見に行こうか」


「え、良いんですか?」


 それは土田さんからの思いがけない提案だった。合宿初日から同行はさせないと言われていたのに。


「最後くらいは彼女の頑張りの成果を見届けてあげても良いんじゃないかと思ってね」


「やったー!!」


 俺たちは歓喜した。もちろん玲の路上ライブを見れるというのも嬉しいのだが、単純に外出できることが嬉しかった。いくら音楽が好きだと言っても、さすがにカンヅメ生活を一週間も続けていると辛くなってくるものだ。


「念のため軽く変装していこうか。一ノ瀬くんはこれ。二宮くんはこれ。椎名くんはこれを身に着けてくれ」


 そう言って土田さんが手渡したアイテムは、俺にはニット帽とマスク、琴さんには金髪おかっぱのウィッグにサングラス、京太郎には馬の被り物だった。


「え、土田さんマジっすか? これマジっすか?」


「よう似合っとるで。えらい速そうやん」


「何だ、不満かい?」


「逆に何で不満が出ないと思ったのか、聞いてもいいっすか」


 結局、京太郎は野球帽を被るだけのつまらない変装で落ち着いた。あぁ、本当につまらない。


「あ、この車あの時の!」


 車に乗るために初めて踏み入った土田家のガレージには、高そうな外車に並んで見覚えのある車が停められていた。車内が見えないスモークガラスが装着された大型のバン。土田さんと俺たちが初めて出会った日、ライブハウスの外に停めてあったあの車だ。


「これ会社の車じゃなかったんですね」


「荷物もたくさん積めるし人もたくさん乗れるからすごく便利なんだよ。皆はハイエースをプライベート車にするなんておかしいって言うんだけどね」


「ハイエース……」


 京太郎は何かを言おうとしてやめた様子だった。オタク気質な彼は一体何を言おうとしたんだろうか。俺にはまったく想像がつかなかった。いや、本当にまったく。


「そう言えば、玲はいつも電車で行ってるんですよね」


「あぁ、そうだよ」


「それって大丈夫なんですか? こう、セキュリティ的な問題とか」


「僕も最初は車で行くことを進めたんだけどね。彼女がどうしても電車で行きたいって言うもんだから、そうさせてるのさ。まぁ行きは電車だけど、帰りは必ず薫子の車で帰るように指示してるから大丈夫だよ」


「なんで電車がいいんですかね」


「一人で車に乗っていると寂しくなるからだって言ってたかな」


 車での移動と言えば、真っ先にマリッカとのツアーを思い出す。あの時はメンバー全員に加えてみはるんもいたおかげで、移動中の車内はいつも賑やかだった。それと比べてしまうということだろうか。


「なんだかんだ言って、一人だと感じるのは不安なんだろうね。それなのに、玉本くんは弱音のひとつも吐かずにソロで路上に立ち続けている。だから、せめて最後くらいはってことさ」


 玲は頑張り屋だ。努力家で負けず嫌いで頑固者だ。だから、本当は優しくて涙もろい19歳になったばかりの女の子なのだということをつい忘れてしまいそうになる。


「今日の路上ライブが終わったら、玲に特上のステーキを焼いてやりたいんですが」


「あぁ、もちろん構わないとも」


「それ、何か死亡フラグっぽくね?」


「滅多のこと言うもんやないわ阿呆」


 琴さんが京太郎の頭を思い切り叩いた。何だか、懐かしさを感じる光景だった。


「うわ、すげー人だかり!」


 玲がライブをする予定の新宿駅南口に到着すると、アザラシの銅像が置かれた広場には既に100人を超える観客が集まっていた。しかも、まだどんどん人が増えていく。小さなライブハウスなら余裕で満杯にできそうな勢いだ。

 俺たちは広場を上から見渡せるスペースからその様子を眺めていた。


「すごいな、玲は」


「せやな。一人でこれだけの人を集めてまうんやから、大したもんや」


「俺たちのバンドのボーカルなんだよな。何か、誇らしいわ」


 そんな俺たちの思いを知ってか知らずか、玲はペコペコと頭を下げながら現場へとやって来た。何ということだ。全くと言っていいほどオーラが感じられない。そこにいたのは、当たり前のようにいつもの小さな玲だった。


「ちょ、ちょっと待っててくださいね! 今準備しますんで!」


 ライブ開始前の時点で集まった人数が予想を遥かに上回っていたのだろう。玲は随分と慌てた様子でマイクやパワードスピーカーをセットし始めた。途中でマイクスタンドを倒したりしながら。何度か立て掛けたギターが倒れそうになった時は、観客から大きな声が上がっていた。何だか、とても微笑ましい光景だった。


「あ、あ、あー。よし。えー、お待たせしました。今日は寒い中、私の歌を聴きにくれてありがとうございます」


「キャー! 可愛いいいい!」


「待ってましたー!」


 玲が話し始めると、一際大きな音量で黄色い声援を送る人たちがいた。そしてその人たちは、見覚えのあるメイド服を着ていた。


「随分目立つお客さんがいるみたいだね」


「なぁ、あれって……」


「あぁ、間違いない。ハーレム・キングのメイドさんたちだ!」


 ララちゃんにリリちゃんにルルちゃんにレレちゃんにロロちゃん。ちゃん付けで呼ぶことが憚られるほど人生においては先輩なのだが、一度対バンすればあの強烈な個性を忘れることは無いだろう。玲もその存在に気付いたようで、メイドさんたちに手を振り返していた。


「知り合いかい?」


「はい。俺らが初めてライブした時の対バン相手です」


「へ~。おや、あの男は……」


 メイドに囲まれるようにして、キングも来ていた。相変わらずステージの上でなければ驚くくらいにオーラが無い。そういう点では玲といい勝負だ。


「あぁ、あれはキングさんですね。メイドさんたちと一緒にハーレム・キングってバンドをやってて、そのボーカルです。めっちゃ歌上手くてかっこいいですよ。ステージに立つとキャラ変わりますし」


「なるほど、ね」


「ん……? あれ、まさか……!」


 メイドさんの横で鼻を伸ばしているぽっちゃりデブが視界に入った。俺があのシルエットを見間違えるはずがない。


晴馬はるま! あいつも来てたのか。しかし、何だあの団扇うちわ……」


 晴馬が両手に抱えていた団扇は、ハートマークの中に玲の写真があしらわれたものだった。まるっきりアイドルのライブでファンが振るやつと同じものだ。


「あーゆーの玲ちゃんは嫌がるって、教えてあげた方が良いんじゃないか?」


 京太郎がそう言うのは、玲が以前のライブでサイリウムを「オタクの棒」呼ばわりして引っ込めさせた経緯があるからだ。


「あの時とは状況が違うし。玲だって別にオタクグッズを毛嫌いしてるわけじゃないだろ。まぁ、晴馬はアホだから、玲に怒られたらむしろ喜ぶと思うし別にいいや」


「晴馬くんキモくね?」


「何だ、今気づいたのか」


 晴馬の両脇にはかなめとおるくんの姿もあった。前のめりな晴馬に引いている様子が、俯瞰した位置から見るとよくわかる。

 そう言えば対バンしたあの日、晴馬は玲のことを可愛いだとか脇が最高だとかキモいこと言ってたっけ。あれ、普通に玲のことが気に入ってたんだな。


「ほら、始まるみたいやで」


 琴さんの言う通り、玲は雑談を終えてギターを構えていた。すでに観客の数は、俺たちの位置からでも正確に把握できないほど膨れ上がっていた。

 玲がギターをジャランと鳴らし始めると、それまでざわざわとしていた群衆は一斉にその口を閉じ、その音に耳を澄まし始めた。気づけば、俺たちの周りにも大勢の人が集まっている。


 一曲目はグラジオラスだった。


「おい、もう始まってるよ!」


「すごい人! 全然見えないよ~」


「マジかよ、これ全部玲ちゃん見に来た人たちなの? ハンパねー!」


 遠くからそんな声が聞こえたかと思うと、100人近い集団が一斉に広場に向かってやってきた。

 サラダボウルのみんなだ。今までもバラバラと見に来てくれていたが、最終日に全員で応援に駆けつけてくれたようだ。


 それに気づいているのかいないのか、切ない詩を歌い上げる玲の歌声はどんどん感情が昂っているように聴こえた。路上ライブが目当てではないであろう人たちも、足を止めて広場を覗き込んでいる。


「がんばれ、玲!」


 気づいたらそう叫んでいた。


 玲はこちらに気づいて、満面の笑顔を見せてくれた。ほんの一瞬でこちらは一応変装もしていたけれど、玲にはすぐにわかったらしい。


「みんな、ありがとうございます! それでは次の曲、聴いてください!」


 12月に入り、ライブが始まった17時過ぎの時点で辺りはすっかり暗くなっていた。日の落ちた広場には一足早いクリスマスのイルミネーションが輝いていて、それがライブ会場の照明の様に玲を優しく照らしている。時折聞こえる電車の音も、アコースティックな音楽を彩る効果音の様だった。


 いったい今、どれだけの人が玲の歌に耳を傾けているんだろう。その人たちは何を思っているんだろう。どう受け止めているのだろう。玲は、何を感じているんだろう。


 広場から零れ落ちてしまいそうな程の人波の中で、玲の歌声とギターの音色は澄んだ冬の夜空へと吸い込まれていく。その光景は非現実的にも思えたけれど、何だかとても暖かさを感じた。


 音楽は、やっぱり最高だ。

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