第122話 焦がれたものの輪郭を
俺がそれまで土田 雅哉という人物について知っていたことと言えば、Rolling Cradleのプロデューサーであったことと、グリース・ロミオというバンドのリーダーであったこと。あとはせいぜい、ネットで噂される新藤 アキラの自殺に関する悪評くらいのものだ。
実際に話をしていてもどこか遠い存在に感じられて、その飄々とした態度から実態を掴むことができていなかったように思う。まるで架空の存在を相手にしているような、そんな感覚だった。
だが、今は違う。
掴みどころの無い架空の存在が、俺に対して怒りを向けている。ようやく土田 雅哉という現実の人間が、輪郭を持って現れたのだ。
「前に、僕はもう誰もプロデュースしないと言ったはずだけど。忘れてしまったのかな」
「いいえ。もちろん覚えています」
「今の君たちは業界でも注目度の高い存在だ。僕に頼まなくたって、君たちを欲しがるところはあるだろう。そこにお願いすればいいじゃないか。まぁ、ZIPPERでのライブは無理だろうがね」
引いてはいけない。俺がどれだけ無知であろうとも、相手がどれだけ大きな相手であろうとも、ここは押していかなければいけない場面なのだ。
「他ではダメなんです。何より、土田さんは俺たちに対して責任を負うべきです」
「責任?」
「土田さんは、俺たちをマリッカのツアーに同行させたのは面白くなると思ったからだと言いましたよね?」
「あぁ、そうさ。それがお互いのバンドのためになるともね」
どうしてこんなに簡単にそんなことを言うのだろうか。こちらも怒りが湧いてくる。
「じゃあその話を受けて、俺たちがどんな風に考えたかわかりますか? 伝説のバンドのプロデューサーに声を掛けられた俺たちが、何の実績も持っていなかった俺たちが、どんな夢を見たのかわかりますか? 冷静であろうと思っていました。浮かれちゃいけないと思っていました。でも、そんなの無理なんですよ。俺たちみたいな
自分の声が思っていた以上に大きくなっていることに驚いたが、それを止めることはできなかった。小細工は無用。感情を、思いの丈を伝えなければ。
「つまり、君たちに夢を見させた責任を取れと、そういうことかな」
「そうです」
「馬鹿を言うな」
熱くなっていた俺とは対照的に、土田さんは極めてクールにそう言い放つ。気まぐれで声を掛けたのは俺たちが初めてじゃないのかもしれないし、わざと突き放すような言い方をしたのかもしれない。だが、それにしたって馬鹿という言葉は看過できなかった。
俺の言っていることは的外れなのかもしれない。業界に精通した土田さんからすれば、有象無象のアマチュアバンドマンの妄言としか受け止められないのかもしれない。
そうだとしても、俺たちがここまで来るきっかけを作ったのは紛れもなく土田さんなのだ。
「たとえ馬鹿だとしても……」
「馬鹿って何すか! ってゆーか、あんた一体何様なんだ!」
俺が土田さんに反論しようとしたとき、それよりもはるかに大きな音量で喚き散らす声がした。
「あんた、一ノ瀬さんがどういう気持ちでここへ来たのかわかんないのか!? 知った風に自分勝手なことばかり言って、若い才能を弄んで楽しいのか!」
一瞬何が起きたのかわからなかった。その大声の主が日下部さんであると理解するのに10秒あまりの時間を要するほどに。
先ほどまで怒りを露わにする土田さんに委縮した様子を見せていたのに、この変わり様には驚いた。口調も普段の感じとはまったく変わっているじゃないか。
「君には関係ない話だろう」
「関係なくなんかない!」
言い合う声に社内の人が気づき、何人かが打ち合わせスペースの方に出てくるのが見えた。日下部さんもそれに気づいたのか、深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとしていた。
「自分は……自分はツアーの間、cream eyesをずっと見てきたっす。正直、最初はパッとしないバンドだと思ったっすよ。マリッカみたいな華が無いって言うか、普通って感じで」
「普通……」
悪気が無いのはわかるが、けっこう辛辣な言葉だ。グサッとくる。でもそういえば、日下部さんがバンド名を間違わずに言ってくれたのは初めての様な気がするが、どうだっただろうか。
「でも、ライブの度にcream eyesはどんどん良くなっていって、ほんと信じられないようなスピードで魅力的になっていったっす。直接見てなかった土田さんにはわからないかもしれないっすけど、何かもう眩しいんすよ。バンドの道を諦めた自分からすると尚更、何のオーラも感じなかった普通な感じの彼らが輝きを増していくのは、希望の星って感じがしたっす」
「彼らに才能があることはわかっているさ。それがマリッカとのツアーで加速度的に磨かれていくだろうことも、予測の範囲内だ。だけど、それは僕が彼らをプロデュースする理由にはならない。言っただろう、僕はもう誰もプロデュースする気はないって」
「なんで……なんで土田さんはそんなに
日下部さんがそんな風に俺たちを見てくれていたなんて。その気持ちは素直に嬉しかった。だが、その援護射撃も土田さんには暖簾に腕押し。閉ざされた扉を開くには至らなかった。
「声が大きいですよ、日下部さん。ここは他のお客さんも通る場所なんですから」
声がした方に視線を向けると、グレーのパンツスーツに茶色のコートを羽織った、見るからに聡明な銀縁メガネをかけた女性の姿があった。
「川島さん!」
たった今戻ってきたようだ。これはタイミングが良い。
「3人とも、何を熱くなっているんですか。今は喧嘩をしているような時ではないでしょう」
「お早いお戻りだったね。クライアントに話は着いたのかい?」
「大方のところは。森野さんが代役を買って出てくれたのが大きかったです。普段ラジオ以外のメディアへの露出が少ない彼女は希少価値がありますから。それより、何の話をしていたんですか。一ノ瀬さんがいるということは、私にも関係無い話じゃないですよね?」
川島さんはコートを脱ぐと、そのまま俺の隣に座った。花のような匂いがふわりと香り、少しだけ気分が落ち着くのを感じた。
「今日は土田さんにcream eyesのプロデュースを依頼しに来たんです。それと、マリッカがやるはずだった12月4日のZIPPER Tokyoでのライブを、俺たちにやらせて欲しいと」
「……なるほど。12月4日って、10日後じゃないですか。無茶なことを言いますね」
「ほら、川島くんもこう言って……」
「でもまぁ、私にあれだけ無茶振りをしてきた土田さんが、無茶だと言ってそれを断るのは筋が通りませんよね」
「……川島くん?」
この時、斜向かいに座っていた日下部さんがにやりと笑った。
「実はZIPPERには代役を立てるから会場の予約はキャンセルしないと伝えてあるんですよ。本当は森野さんに依頼しようと思ってましたが……彼女も多忙の身ですし、ここはcream eyesの皆さんにお願いしましょうか」
「ちょ、川島くん。ちょっと待ってくれ」
「いいえ、待ちません。土田さん、私がそう言って待ってくれたことありましたか?」
「うぐ……」
強い。いつも土田さんに振り回されていた川島さんが、今は完全に攻勢だ。そういえば、川島さんは以前に「土田さんに情熱を取り戻してほしい」と言っていたっけ。
「それに、一ノ瀬さんも今日ひとりで来られたのは理由があってのことですよね?」
「あ、はい。京太郎はライブに向けて新曲の制作を急ピッチで進めています。さっき3曲書けたって連絡がありました。琴さんには読者モデル仲間にバンドのことを売り込んでもらっています。読者モデルの中には、インフルエンサーって言うんですか? SNS上で影響力のある人も多いですから。玲は12月4日まで毎日路上ライブをやるため、アコギの練習と警察への申請の準備しています。玲のお父さんがアコギが得意みたいで、教えてもらうって言ってました」
「それで一ノ瀬さんはここに直談判に来たって訳っすね」
「……あぁ、それで役割分担、ねぇ……」
そう、役割分担だ。それぞれのメンバーが、それぞれにできる最大限のことをやる。そう皆で決めたのだ。
俺の役割は、ZIPPER Tokyoへのライブ出演を取り付けること。そして、土田さんにプロデューサーになってもらうよう口説き落とすこと。
認めたくないが、作曲の能力は京太郎の方が優れている。琴さんのような人脈を持っているわけでもない。弾き語りの様に、一人でできるプロモーション活動も思いつかない。
だが、リーダーとして最も重要な役割を任されたのだ。俺を信じてくれる皆のためにも、絶対に引くわけにはいかない。そう心に決めてここに来た。
「君たちの熱意はわかったよ。だが、金銭面はどうするつもりだい? 契約アーティストではない君たちのライブにうちの会社は金を出せない。使用料の150万円は……」
「それならもう準備してあります」
俺は、持ってきた鞄の中から帯のついた札束を二つ取り出した。こんなシーン、映画やドラマでしか見たことないのに、まさか自分がそれをやることになるとは夢にも思わなかったが。
これにはさすがに土田さんも川島さんも日下部さんも目を丸くしていた。
「ここに200万円あります」
「い、一ノ瀬さん、こんな大金どうしたんすか!?」
「学生ローンでメンバー4人、限度額いっぱいまで借りてきました!」
ひとりあたり50万円の借金。学生からすれば大きな額だ。もしもライブにお客さんが来てくれなければ、何も得ることなくその負債だけを背負うことになる。だが、メンバーの誰一人として、この決断に躊躇する者はいなかった。
「これで金銭面は問題ないはずです」
「……くっくっく……」
「土田さん?」
「あっはっはっは!」
土田さんは大口を開けて笑っていた。これもまた、今までに見たことのない表情だった。
「はぁ、君たちはやっぱり馬鹿だな」
「な、土田さん! またそんなことを!」
「落ち着きなよ日下部くん。今度の馬鹿は良い意味で、さ」
「それって」
コーヒーを一口飲んでこちらを見据える土田さん。その視線は、こちらの覚悟を問うかのように感じられた。
だがこの時、俺は隣に座った川島さんがテーブルの下で小さくガッツポーズをしたことを見逃さなかった。口元も緩んでいて、本当に嬉しそうだ。
「あぁ、君たちの無茶に乗ってやろうじゃないか」
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