第121話 直談判
「あの、土田さんか川島さんか日下部さんとお会いしたいのですが」
「アポイントはございますか?」
「いえ、ありません」
「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「どうしてもお話ししたいことがあるんです」
「……確認いたしますので、少々お待ちください」
この日、俺は一人で再びシルバー・ストーン・レコードの本社を訪れていた。しかし、アポなしでいきなりやって来たのはあまり上手くなかったようで、受付のお姉さんは怪訝な顔をしながらどこかに電話を掛けている。ちゃんと繋いでくれるのだろうか。
「申し訳ありません。今は三名とも不在に……」
「あれ、一ノ瀬さんじゃないっすか。どうしたんすか?」
門前払いにされる寸前、コンビニ袋を片手に持った日下部さんに声を掛けられた。
「外から姿が見えたんすけど、今日なんか予定あるんすか?」
「ちょうど良かった! 日下部さん、マジでタイミング最高です!」
「え? 自分っすか?」
「お願いがあってきました。突然で申し訳ないんですが、お時間いただけませんか? できれば土田さんと川島さんにも同席して欲しいんですけど」
「ちょま……ちょっと待って欲しいっす」
受付のお姉さんは不審者を見るような目でこちらを見ている。日下部さんと顔見知りだということは伝わっているだろうが、やはり強引だったか。ダンボだったらこれもまた快感だとか言うのかもしれないが。
だが、今は周りの目など気にしていられない。約束の場所へ最短距離で進むと決めたのだから。
「お願いします。変なことしませんから。すぐに終わりますから」
「一ノ瀬さん、言ってることが合コンの後半で気の弱そうな女の子にガッつく童貞みたいになってるっすよ」
「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!!」
「お、そのネタ懐かしいっすね」
日下部さんはそう言って笑うと、俺を関係者用の簡易的な打ち合わせスペースへと入れてくれた。
「よくわかんないっすけど、とりあえずお話は聞かせてもらうっす。土田さんと川島さんも来れるか聞いてみるんで、そこで待ってて欲しいっす」
「あ、ありがとうございます!」
いかにも事務所という感じの遊びの無い椅子に座っていると、初めて見る女性社員がアイスコーヒーを持って来てくれた。紙コップにプラスチックの持ち手がつけられている、テレビドラマとかで見たことのあるやつだ。
「苦い」
社会人になればそれが普通なのか女性社員の気が利かないのかはわからないが、砂糖やミルクの類が出てこなかったため、苦手なブラックで飲むことを余儀なくされた。
「あれ、でもそういえば客先で出された飲み物には手を付けないのがマナーって聞いたことあるような……」
「そんなのはマナー講師が勝手に考えたことだから、気にしなくて良いんだよ」
俺の独り言に答えながら、土田さんが姿を現した。
「土田さん!」
「やぁ。そろそろ来ると思ってたよ……ってあれ、今日は一人かい?」
土田さんは周囲を見回しながら席に着いた。日下部さんも一緒だったが、川島さんの姿は見えなかった。
「皆で話し合って役割分担をしたので。ここに来るのは俺の役目なんです」
「役割分担、ね」
「本来なら全員で来るのが筋だってことはわかっているんですが……」
「まぁいいさ。それだけ切羽詰まってるってことだろう? とりあえず、話してごらんよ」
「あの、できれば川島さんにも聞いてもらいたいんですけど」
「彼女は今はいないよ。マリッカの活動休止に伴う諸々のキャンセル対応に追われていてね」
「そう、ですか……」
中止になったのは俺たちとのツアーだけではない。テレビ出演や雑誌の取材、ラジオの収録、野外フェスへの出演等々、新星として期待されていたマリッカが予定していた仕事は数えきれない。それらが全てキャンセルになってしまったのだから、方々への挨拶行脚も並大抵の苦労ではないはずだ。
本当は川島さんにも聞いて欲しい話ではあるのだが、事情が事情だけに仕方ないだろう。
「それで、一ノ瀬さんは今日はどんな用件で来たんすか?」
「あ、はい。えっと、単刀直入に言わせていただきますと、マリッカのライブツアーの続きをやらせて欲しいんです」
時が止まる。俺が何を言ったのか理解されなかったようだ。
「……は?」
「マリッカのライブツアーの続きを」
「いやいやいやいやいやいやいや、何言ってんすか一ノ瀬さん! マリッカの状況知ってますよね? 無理に決まってるじゃないっすか!」
「どういう意味か、説明してもらえる?」
そう言われることは想定済みだ。何も俺は、キャンセルになった自分たちのライブの機会を保障しろと我儘を言いに来た訳ではない。
「マリッカのツアーは中止になりましたけど、キャンセルした会場ってまだ空いてる状態ですよね? そこでライブをやらせて欲しいんです」
マリッカがツアー中止を発表したのは5日前。代替のイベントを入れるにしても、そんなにすぐには決まらないはずだ。
「ふむ。そうは言っても、残る日程はツアーファイナルを予定していたZIPPER Tokyoだけじゃないか。そこの会場で君たちがライブをやるのかい? ファイナルだからね、今までの500人規模の箱とはワケが違う。3,000人近いキャパがある会場だ。あと一週間でそれを埋めるだけの対バン相手が用意できると?」
「いえ、対バン相手は必要ありません」
土田さんの眉がピクリと動く。
「ワンマンで満員にします」
俺の発言を聞いて、日下部さんは絶句していた。土田さんは、落ち着いた仕草で煙草を取り出した。
「土田さん、オフィス内禁煙っす」
「あぁ、そうだった」
どうやら落ち着いてはいなかったようだ。いつもの土田さんなら「面白いこと言うね」と笑ってくれるかと思ったが、どうやらそういう雰囲気ではなさそうだ。
「はっきり言おう。考えが甘い」
土田さんは、今まで見せたことの無い鋭い目でこちらを見据えてきた。ものすごいプレッシャーだ。俺の分不相応な発言に怒ったのかもしれない。
だが、それも想定済みだ。
「君たちにはまだ何の実績もない。マリッカのツアーで多少は知名度が上がったかもしれないが、それでもワンマンライブはおろか自主企画ライブすら経験がないじゃないか。そんなバンドが3,000人規模の会場を満員にするだって? それは余りにも現実が見えていない。自惚れが過ぎる」
「ちょ、ちょっと土田さん! さすがに言い過ぎっすよ!」
「いいや、言うね。そもそも、何を根拠にそんなことを言っているんだ。マリッカが活動休止になったから、次は自分たちにお鉢が回ってくるとでも? 大体、ZIPPER Tokyoの会場使用料は1日150万円だ。学生の君たちにその金が用意できるのか? まさか、親に出してもらおうだなんて思ってるわけじゃないだろうね?」
「何を根拠に、ですか」
この時、俺は無意識に笑っていたらしい。
「何がおかしい」
土田さんはより一層凄みを効かせて来る。日下部さんもこんな土田さんは見たことがなかったのか、ひどく慌てた様子だった。
だが、俺は笑ってしまったのだ。
「すみません、土田さんから根拠を問われるとは思わなかったので」
「……あぁ、なるほどね。それは確かに、僕の責任だ」
「え、どういうことっすか?」
土田さんは肩をすくめて、前のめりになっていた姿勢を戻す。そしてまたテーブルに置いた煙草に手を伸ばそうとして、禁煙であることを思い出したのかその手を引っ込めた。
「そうだな……君の言う通り、ZIPPER Tokyoの利用予定はまだ入っていない。さすがにキャンセルが直前だったから、当日まで埋まることは無いだろう。だからって君たちが使えるとは限らないんだよ。会場側にも都合があるし、そもそも君たちを出演に値するバンドだと見てくれないかもしれない」
「だから、こうしてお願いに来たんです」
「もしかして、僕が善意で会場側に働きかけてあげることを期待しているのかい? 言っておくけど、僕は君のプロデューサーでも何でもない。マリッカのツアーに同行させたのは、単に面白そうだと思ったからだと言っただろう。そんなことをしてあげる義理は無い」
「いえ、僕は会場に口利きをして欲しかったわけじゃありません」
出してもらったアイスコーヒーの残りを飲み干して、俺は深呼吸する。そう、今日俺はこのことを伝えるために来たのだ。
「土田さん、cream eyesのプロデュースをしてください」
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