第114話 不機嫌なお姫様

 本日の会場となるライブハウス「サウンズ・グッド」に到着すると、莉子がホール中央に置かれた椅子に座っていた。


「2分遅刻」


 左腕に着けた華奢な時計を指差しながら、不機嫌そうな顔を見せる莉子。先日の大貧民大会以降、玲や琴さんとは打ち解けた様子を見せていたのに、今日はそれ以前に戻ってしまったかのようだ。いや、それ以上につんけんしている。何かよっぽど嫌なことでもあったのだろうか。


「川島さんも一緒だったの?」


 莉子の発言を受けて振り返ると、そこには息を切らした川島さんが立っていた。


「はぁっ、はぁっ……申し訳ありません。すぐに準備に入ります」


「あなたがいたのに遅刻しちゃダメじゃない」


「すみません。ただ、私と彼らは別行動でした。私が遅刻したのは私の責任です」


「ふーん……まぁいいけど。気を付けてよね」


「はい。失礼します」


 川島さんが遅刻するとは珍しい。今までは俺たちが余裕を持って会場入りした時も必ず先に現場にいたのに。


「あの、莉子ちゃん……ごめんなさい」


「……あなたたちも大事な時期なんでしょ。ちょっとたるんでるんじゃないの?」


「そんな2分くらいでガミガミ言わなくても」


 京太郎が何気なくそう言った途端、莉子が激高した。


「あんた馬鹿なの? 私はね、遅刻したこと自体を注意してんの! 何分遅れたかはどうでもいいのよ! 馬鹿だからわかんない? プロ意識が足りないって言ってんの! そんないい加減な考えなら今からでも今日の出演取り消してよ! ……っ迷惑! 邪魔!」


 烈火の如く怒りだした莉子に、俺たちは完全に気圧されてしまった。理由はともかく、自分たちの都合で遅刻したのは確かなので弁解の余地もない。


「申し訳ない」


 俺は莉子に飛び掛かりそうなみはるんを制しながら、頭を下げた。


「はぁ、なんか疲れた」


 莉子はそう言って、控室へと向かっていった。その足取りは重たく、機嫌だけでなく体調も悪いのかもしれない。


「何であんなにピリピリしてんだ……?」


「ちょっとありえなくない? 京くん悪くないし!」


「まぁウチらが遅刻したんは確かやからなぁ」


「それにしても、何だかいつもと様子が違う気がしました。莉子ちゃん、何かあったんでしょうか……」


 4日前の福岡ライブの時とは明らかに違う態度に、玲は戸惑っているようだった。


「今日はずっとあんな調子なんだ。悪かったね」


「椅子が喋った!?」


 莉子が座っていた椅子が突然声を発した。よく見るとそれは椅子ではなく、四つん這いになったダンボだったのだ。


「俺にはご褒美でしかなかったけど」


「何してんすかダンボさん……」


「ん? 椅子になってたけど」


 それが何か? と言わんばかりのダンボ。そんな当然のように言われると、俺の感覚がおかしいのかと混乱する。


「座る?」


「遠慮しときます。それより、莉子に何かあったんですか?」


「いや、別に。何でか今日は最初からご機嫌斜めなんだよ。さっき牡丹とも何か言い争いしてたな。そんで俺を見つけるなり『椅子になって』のご命令さ」


 理不尽すぎるしそれを受け入れるダンボも変態がすぎる。結論として、莉子の不機嫌の原因はわからないらしい。


「とりあえず、さっさとリハの準備しよか」


「そっすね。あー、でも何か釈然としねー」


「言い方はともかく、遅刻したのは俺らが悪いんだから」


「そうだけどさー」


 直で被害にあった京太郎は納得いかない様子だったが、わからないことを考えても仕方ない。ツアーも半ばを過ぎて疲れが溜まっているのかもしれないし、個人的に何か嫌なことがあったのかもしれない。それは莉子本人にしかわからないのだから。


「お疲れー」


 準備のために控室に向かう廊下で、牡丹に声を掛けられた。


「あ、牡丹さん。お疲れさまです」


「さっき莉子に怒鳴られてたでしょ」


「あ、はい……でもあれは私たちが遅刻したからで」


「気にしなくていいからね。あの子、今日は喉の調子悪いみたいでさ。上手く声が出ないんだって。それでイライラしてるだけだから」


「声が出ない? 今日のライブ大丈夫なの?」


「本番までにはコンディション戻すから大丈夫って、本人は言ってたけど」


「心配ですね……」


「あ~、多分心配されると余計に怒ると思うよ。さっきも私が問い詰めてようやく吐いたって感じだったし。まったく、体調悪いなら言ってくれないとこっちも困るんだけどねー」


 さっきダンボが言っていた言い争いとは多分このことだろう。それにしても、喉の調子が悪いことをバンドメンバーにまで隠そうとするのはいかがなものか。心配されたくないと言う気持ちはわからないでもないが、マリッカの一番の武器である莉子の歌が不調ということであれば、バンドとして対策を立てる必要もあるだろうに。


「喉の調子が悪い? 俺あんなに怒鳴られたのに?」


「あははは、被害者は京太郎だったんだ。たしかに、あんだけまくし立てる元気があれば大丈夫だと思うけどね~」


 牡丹は笑いながらホールの方へと歩いて行った。


「莉子ちゃん、大丈夫でしょうか」


「心配すると余計怒るって言ってだろ? 今は自分たちのことに集中しよう」


「はい……」


 とは言え、心配なのは俺も同じだった。喉の調子が悪い、それだけであんなに足取りが重そうな素振りを見せるだろうか。心配されたくないと言うなら尚更だ。


 何だか嫌な予感がする。


「……後でそれとなくマシューにも聞いてみようか」


「はい!」


 俺たちがリハを終えて控室に戻ると、廊下でマリッカのメンバーとすれ違った。いつも以上にピリピリとした空気を纏っていて、迂闊には声を掛けられなかった。

 マリッカのリハは順調そのもので、莉子の歌もいつもと遜色ない素晴らしい出来だ。喉の不調などまったく感じさせない。先ほど感じた嫌な予感は、やはり気のせいだろうか。


「だから大丈夫だって言ったでしょ」


 ステージの上で莉子は、メンバーに向かってそう主張していた。


『彼女のことは、君たちがしっかりと見ていてあげて欲しい』


 唐突に頭の中で、土田さんの言葉が思い起こされる。その直後、ステージを降りようと下手に向かって歩いていた莉子が、突然脚をもつれさせて転倒した。


「大丈夫!?」


 慌てて駆け寄るマリッカのメンバーと川島さん。ライブハウスのスタッフたちもざわついていた。


 やはり、何か様子がおかしい。


「……大丈夫だって。もう、何なの? 子供じゃないんだから、ちょっと転んだくらいで大袈裟」


「いや、しかし……」


「心配しないで。ライブではヘマしないから。今日はちょっと風邪気味で体がいつもより怠いだけ。喉も……もう平気。リハ聴いてたでしょ?」


 莉子は差し出された手を掴むことはせず、自力で立ち上がった。


「莉子」


 マシューが真剣な顔で呼びかける。


「何よ」


「本当に大丈夫なんだね?」


「本当に、って何のことよ。ただの風邪だってば。まぁ、体調管理ができてなかったのは謝るけど」


「……本番までは控室のソファで横になっててくれるかい。少しでも休んで、早く風邪を治すんだ」


「そうね。そうさせてもらおうかな。悪いんだけど、本番までは一人にしてくれる? 風邪を感染うつしちゃマズいし」


 皆が心配そうに見守る中、莉子はスタスタと控室へと戻って行った。


「何だよ。俺にはプロ意識が足りないとか言っておきながら、自分だって風邪ひいてるじゃん」


「ただの風邪やったらええんやけどな」


「え、違うんすか?」


 慌ただしく開場の準備が進む中、いつもと違う落ち着かない雰囲気が漂っていた。原因はもちろん莉子だ。莉子は普段から愛想のいい人間ではないが、それでもこれまでは俺たち以外に表立って不機嫌な態度を取ることは無かった。プロとして、最低限そこはラインを引いていたんだと思う。

 だが、今日は誰に対しても攻撃的だ。俺たちはもちろん、ライブハウスのスタッフや川島さん、マリッカの他のメンバーに対してさえも。これがただの体調不良から来る苛立ちなのか、それとも何か別の原因があるのか、莉子が何も語らないため、誰もが測りかねている様子だ。


「本日のゲストは、映画の主題歌を担当した今最も注目のバンド! マリッカの皆さんでーす!」


 控室に設置されていたテレビを眺めていたら、映画の番宣コーナーのゲストとしてマリッカが登場した。多忙なツアーの合間に、こんな仕事もこなしていたのか。


「今回の主題歌『Paradise Song』は映画の世界観にピッタリですよね。作曲時のエピソードを教えてもらえますか?」


「最初に脚本をもらって、舞台が小笠原諸島なんですけど、行ったことも無いしいまいちイメージが湧かなかったんですよ。だからこれは実際に行って確かめるしかないって思って、オファーをもらったその日のうちに船のチケットを取りました」


「その日のうちに!? すごい行動力ですね!」


「え、アタシ行ってないんだけど」


「牡丹がバンドに加入する前の話だから」


「ずるーい! いいなぁ、南の島」


「それじゃあ3人で行ったんですか?」


「いえ、莉子は『日焼けするからヤダ』って言って来てくれませんでした」


「ちょっと、そういうの言わなくても……」


「あははは、さすがの女子力ですね!」


「だからダンボさんと男二人でのむさい旅でしたよ。しかも船旅なんて初めてだったので、めちゃくちゃ船酔いしちゃって。島に着いた時はグロッキー状態でしたね」


「でもそのおかげでイメージはすごい湧いてきてね。ドラムを叩くときも、島のゆったりとした時間とか、綺麗な海とかを思い起こしたりしながら」


 司会者の能天気な質問に、マシューが笑顔で軽快に応えていた。たまに牡丹が茶々を入れたり、ダンボがいつもと違って落ち着いたコメントを出したり、和やかな雰囲気だ。莉子も、口数は少ないが笑顔を作って応じていた。


「あ、『東京アイランダーズ』の宣伝じゃないっすか。この仕事取って来るの大変だったって川島さんが言ってたっすよ」


「日下部さん、いつからいたんですか」


「最初からいたっすけど」


「マリッカ、映画の主題歌なんてやってたんですね」


「知らなかったっすか? これ、3年前に日本ゴールデングローブ賞を受賞した石動いするぎ監督の最新作で、かなりの話題作っすよ」


「デビュー作が話題の映画の主題歌……」


「反応薄いっすね~。デビュー作がこんな話題作の主題歌に抜擢されるなんて、マジでありえないことなんすからね! マリッカはもちろんっすけど、この案件引っ張ってきた川島さんはマジ半端ないっす。くぅー、自分も負けてらんないっす! だからクリームの皆さんには頑張ってもらわなきゃ困るっす!」


「それって……」


「ん? 何すか?」


「……いえ、何でもないです」


 このマリッカの売り出し方、まるっきりロークレと同じじゃないか。川島さんがロークレの経緯を知らないはずが無いし……


「cream eyesのみなさん、そろそろスタンバイお願いします!」


「あ、はい」


「ほら、行くぞ朔」


 京太郎に軽く頭を叩かれて、俺はステージへと向かった。何だか、色々なことが頭を巡って落ち着かなかった。


「とりあえず、ウチらはウチらのやることをやるだけや。余計なこと心配しとる余裕なんて無いんやからな」


 それを見透かしたように、琴さんに声をかけられた。確かに、俺たちはまだスタートラインに立ったばかり、いや、まだ立ってさえいないくらいの位置なのだ。自分たちのステージに意識を集中させなければ。


 ステージ袖から、観客のざわめきが聞こえてくる。日を追うごとに、俺たちへの期待が高まっているのも感じる。ここでしょうもない演奏を見せるわけにはいかない。


「そうですね」


 大きく、深呼吸。そして、右手を差し出す。


「今日も、世界征服へ向けて」


「あぁ」


「やるで」


「任せてください!」


 誰がどんな思いを抱えてここにいるのか、そのすべてを知ることはできない。それでも俺たちにできることがあるなら、今はただひたむきに。

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