第113話 Stairway to Heaven

「僕が初めてアキラと会ったのは今から15年前。まだアキラが高校生だった頃だ」


 土田さんはゆっくりと、穏やかな口調で語り始めた。


「当時アキラは、地元の愛知県でダンボと一緒にスキールニルというバンドを組んでいたんだ。注目度はそれほど高くなかったんだけど、アキラたちがよく出演していたライブハウスのオーナーが熱心でね。以前から付き合いのあった僕に、是非とも見て欲しいと直訴してきたんだよ。とんでもない才能を持った奴がいるぞ、ってね」


「ダンボさんって、高校生の頃から新藤さんと一緒にやってたんですね」


「あぁ、そうさ。二人の技術とセンスは当時からズバ抜けていたよ」


「でも、違うバンドでデビューしてるってことは……」


 その時俺の頭の中では、前に琴さんから聞いた白昼堂々のエピソードが思い出されていた。


「多分君の想像している通りだよ。僕はアキラとダンボの二人を引き抜いた。そして、Rollingローリング Cradleクレイドルを結成させたんだ。二人の、特にアキラの才能を活かすには、スキールニルのボーカルとベースはどう考えても力不足だったからね」


 土田さんは淡々と、ごく当たり前のこととして話していた。それを聞いて、俺は土田さんに対する思い違いを正そうと思った。やはりこの人は甘くない。プロなのだと。


「ってあれ? ボーカル? スキールニルはツインボーカルだったんですか?」


「あぁ、アキラは元々ギタリストで、歌は歌っていなかったんだよ。自分の声は変だから歌うのには向いてないって、そう言ってたなぁ」


「それって……」


 玲がハッとして土田さんを見つめた。新藤 アキラの言っていることが、まるっきり出会った頃の玲と同じだったからだ。


「ロークレも最初は別のボーカルをあてがってみたんだけど、どうにもしっくりこなくてね。それで試しにアキラに歌わせてみたら、これがドンピシャでさ。即決したよ。これでいこう、これしかない、って」


 新藤 アキラの歌声の特徴は、独特のハイトーンボイスだ。どんなにキーが上がっても力みを感じさせない、魔法がかかったような軽やかな声。あれを変な声と自称するとは、なんでそんなにも自己評価が低いのか不思議でならない。玲みたいに子供の頃にからかわれたとか、そんな感じなんだろうか。


「当時の僕は、何としてでもこの才能を日本の音楽界の台風の目にしたかった。既にバンドサウンドは下火だったけど、アキラなら頂点を取れると確信していたからね。だから、最初の売り出し方に拘った」


「ロークレのデビュー曲って、『High Beams Driver』っすよね」


 新歓ライブで奈々子さんやケンさんたちが演奏していた曲だ。


「映画の主題歌になってましたよね」


「そう。『夜を駆ける少年』の主題歌だ」


 「夜を駆ける少年」は興行収入100億円を超える大ヒットアニメ映画だ。その公開2年前に同じ監督が制作した「金色の羊」は、日本歴代2位の観客動員数を記録しており、期待の新作として当時テレビや雑誌で大々的に特集が組まれたりしていた。


「今考えるとすごいですよね。当時まだ無名だったロークレを、いきなりそんな大役に抜擢するなんて」


「その辺は僕の実績と人脈、それとこれのおかげだね」


 土田さんは力こぶを作り、二の腕をぱんぱんと叩いた。


「でも、最終的に監督を唸らせたのはやっぱりアキラの曲だったよ。監督が求めるイメージを、完璧に音楽に落とし込んでみせたんだ。アキラならこれくらいできるだろうと思っていた、僕の想像を遥かに超える完成度でね。そこからは順風満帆だったよ。映画、ドラマ、CMと、次から次へとオファーが舞い込んできた。そしてそのオファーを期待通りに完ぺきにこなしていくものだから、業界内での評価もうなぎのぼりさ。増えすぎた依頼をどうやって断ろうか、って真剣に悩んでたんだから、贅沢なもんだよね」


 嬉々として話す土田さんであったが、ここで一気にトーンダウンする。


「でもこの時既に、僕は新藤 アキラという人物を壊してしまっていたんだよ」


 正直に言って、俺は新藤 アキラという人物に個人的な感情はまったく無い。ロークレは良いバンドだと思うが、土田さんが「天才」と連呼するほどの何かを感じられていなかったからだ。

 だが、土田さんの話には好奇心がくすぐられた。野次馬根性みたいで後ろめたさもあったが、それが素直な気持ちだった。


「耳障りの良いキャッチ―なメロディ。癖の少ないバンドサウンド。共感を呼ぶメッセージ性の強い歌詞。老若男女に受けの良いビジュアル。それらはアキラたちが表現したかったものではなく、Rolling Cradleというバンドを世間に知らしめるために必要だったものだ。僕は彼らにそれを求めて、彼らもそれに応えた。だけど、それはロークレを型にはめて、イメージを固定してしまう結果になってしまった。そして、そのイメージは大衆に盛大に受け入れられてしまってね。共有されたバンドの虚像が、どんどん膨らんでいったんだ」


「バンドの虚像……」


「世間が求めるRolling Cradleというものが出来上がってしまったんだよ。本人たちの意志とは無関係に」


 バンドだけでなく、音楽をやる人間にはある程度固定されたイメージが付きまとう。そして、そのイメージから逸脱した挑戦が受け入れられることは稀だ。

 例えば、可愛くてポップな楽曲を中心に活動していたアイドルグループがロックな楽曲に挑戦したとする。その曲そのものがどれだけ素晴らしいものだったとしても、それを正当に「ロック」として評価してくれる人が果たしてどれだけいるだろうか。「アイドルがやるお遊戯ロック」のイメージを抜け出すことがどれだけ困難か、想像するのは難しくない。要するに、「どんな曲か」、よりも「誰の曲か」が重視されてしまうのだ。

 日の目を浴びなかった過去の名曲が、後の時代に人気アーティストのカバーでヒットすることがあるのもこのためだ。


 Rolling Cradleは、特に皆の共有するイメージが顕著だったということだろう。確かに、特別ファンではない俺でさえ、ロークレは「爽やかなギターサウンドのポップロック」という確固たるイメージを持っている。


「僕はね、それでもロークレはそのイメージを覆せると思っていたんだ。何せ彼らは天才だからね。実際、それをやれるだけのポテンシャルを彼らは間違いなく持っていた。だから、当時はとにかく今を突っ走ったんだ。その集大成と言えるのが……」


「20万人ライブ、ですか」


「そう。日本一の記録を作って頂点を取ってしまえば、誰もロークレに文句は言えなくなる。アキラたちが本当にやりたい音楽は、その後に好きなだけやれば良いと思っていたのさ」


 でも、そうはならなかった。20万人ライブの後も、ロークレはそれまでのイメージを崩すことなく、誰もが求める「Rolling Cradle」の音楽を発信し続け、期待に応え続けた。そして1年後に、新藤 アキラは自らの首に縄をかけた。


「だけど20万人ライブを終えた時点で……いや、本当はもっと前からだったのかもしれないな。アキラは、自分を見失ってしまった。元々マジメで一生懸命なやつだったけれど、その頃のアキラは、人から期待されるとそれを拒絶できなくなっていたんだ。自分が何を表現したいのかがわからず、誰かが望む自分が本当の自分なんだと、それが自分の価値なんだと、そう考えるようになっていた」


 与えられる才能と求められる才能。この二つの違いを、この時俺も理解した。


「僕はそのことに気づいて、ロークレの活動休止を会社に申し出たんだ」


「え? でもロークレは活動休止なんてしてないですよね?」


「会社が大反対したからね。順調に売れている稼ぎ頭を、何でこのタイミングで休止させる必要があるんだ、って。アキラの異変を訴えても、誰も聞く耳を持ってはくれなかった。しょうがないよ。だって、精力的に仕事をこなしていて、傍目には元気一杯だったんだから。何より、アキラ自身が休止を望まなかったしね。結局、僕はその件で会社と揉めて、ロークレの担当を外されてしまった」


「ひどい……」


芸術家アーティストなんて呼ばれていたって、会社に所属している以上は商品だからね。金のなる木をそう簡単に手放したりはしないさ。会社が未だに僕を手放さない様に」


 シルバー・ストーン・レコードは、メジャーを目指すバンドにとって最適解のひとつだと思っていた。多くの実力者を擁し、所属アーティストも自由にやっているように見えたからだ。

 それでも、金のためにアーティストがすり減らされる実情がある。なんだか少し、やりきれない思いがした。


「シルバー・ストーンって、割とアーティストの意志を尊重している印象がありましたけど……」


「その認識は間違っていないよ。業界の中ではかなり自由な方さ。基本的にはアーティストの意向を尊重する。ただ、会社を維持していくためには金が要るだろ? 言ってしまえば、当時他のアーティストが比較的自由にやれていたのは、ロークレが稼ぎ頭としてスポンサーの期待に応えていたからなのさ」


「ロークレは犠牲になっとったっちゅーことですか」


「……そうとも言える。少し、話がずれちゃったな」


 会社のため、金のため、他のアーティストのため、必要な犠牲であったことは理解できる。デビュー当時、まだ一般的ではなかったサブカルチャーの側面を押し出してブレイクした森野もりの 久麻くまなんかは、その恩恵に預かった筆頭と言えるのかもしれない。


「僕が担当から外れて間もなく、アキラは死んだ」


 淡々と話を続けていた土田さんが、深呼吸で息を整える。5年前なんて、当事者からすればつい最近の出来事のはず。掴みどころのない土田さんも、話すのは辛いのかもしれない。


「その前日までいつもと同じように仕事をこなしていたと聞くし、当日も仕事の予定が入っていたのにね。突発的な自殺だった。遺書も残っていないのはそのせいだ」


「で、でもそれじゃあ、新藤さんの自殺は土田さんのせいって訳ではないんじゃ」


「アキラを壊してしまったのは、僕の責任だ。一番近くで見ていた僕が、もっと早くに気づいてあげるべきだった。誰に反対されようとも、活動休止を断固として譲らなければ良かった」


 重たい沈黙がテーブルを包む。だから新藤 アキラを殺したのは自分なのだと、土田さんは自分を責め続けてきたのだろうか。最後に一口残された鉄板の上のハンバーグは、すっかり冷めてしまっていた。


「ちょっと待ってください。土田さん、さっきロークレは『与えられる才能』と『求められる才能』の両方を持っているって言ってましたよね。で、俺らは『求められる才能』の方を持っているかもしれなくて、マリッカには『与えられる才能』があるって」


 ずっと黙って聞いていた京太郎が、意を決したように口を挟んだ。


「あぁ、そう言ったね」


「それじゃあ、マリッカは……マリッカも、ロークレみたいに……」


 きっと京太郎もふたつの才能の違いを理解したんだろう。


 与えられる才能とは、大衆が望むものを具現化して与えることができる才能のこと。流行を取り入れた楽曲や、映画のストーリーに合わせた楽曲、商品のイメージを表現した楽曲を作ることができる、といった具合に。だからこそ、スポンサーとなる企業からの需要が高いのだ。


 求められる才能とは、アーティスト自身が表現を追求したものが、世間に求められるようになる才能のこと。流行にとらわれずに自分自身の世界観を確立し、それ自体がムーブメントになってしまう。そんな暴力的なセンスの持ち主、例えば森野 久麻モリクマがこれに該当するだろう。


 京太郎は、与えられる才能に秀でたマリッカが、ロークレの様にすり減らされてしまうのではないかと懸念しているのだ。


「その心配はいらないな」


 だが、土田さんは笑顔であっさりとそう言い放った。


「どうしてそう言い切れるんすか?」


「あのバンドの中心人物がマシューくんだからさ」


 その言葉に、琴さんの小鼻がピクリと反応する。


「彼は自分たちの商品価値を冷静に分析している。自分たちに求められているのがどんな音楽か、何をすればお客さんが喜んでくれるのかってね。その分析結果を発表して、その通りに反応が返ってくることに喜びを感じるタイプなのさ。彼は多分、経営者になっても成功するんじゃないかな。最初からそういうスタンスで音楽に向き合っているから、アキラみたいなことにはならないさ」


 あのイケメンは確かにそんな感じがする。何事も、自分の思い通りにコントロールすることが楽しいのだろう。でも、俺には疑問が残った。


「あの、他のメンバーはそのことに納得してるんですか? 自分たちのやってる音楽が、本当にやりたい音楽じゃないってことですよね?」


「僕はマリッカを直接面倒見てるわけじゃないからねぇ。川島くんの報告から推測しているだけなんだけど……」


 土田さんはそう前置きして、俺の疑問に答えてくれた。


「牡丹くんはどちらかと言えば君たちに近いタイプの人間みたいだし、バンドに加入したのも最近だ。今はマシューくんの音楽を随分と気に入っているみたいだけど、今後はフラストレーションを溜めていくことがあるかもしれないね。でも、そのことに気づかないほどマシューくんは間抜けじゃないよ。もし牡丹くんが反発するようになれば、ソロプロジェクトを立ち上げたりしてガス抜きを図るだろう。ベースだけメンバーを入れ替えることも検討すると思う」


「それって、メンバーを使い捨てるってことじゃ……」


「いや、違う。それは違うよ。そもそも、牡丹くんはマシューくんのスタンスを把握したうえで加入しているんだから。それは僕も確認している。そして牡丹くんは、マリッカを自身の音楽活動の土台にしようと考えている。言ってしまえば踏み台だね。もちろん、マシューくんもそのことは了承済みだ。聞こえは悪いかもしれないが、ふたりはバンドの仲間というよりビジネスパートナーなんだよ」


「ビジネス……」


 土田さんは俺が少し顔をしかめたのを見逃さなかったようで、諫めるように話し始めた。


「とかく音楽とか芸術作品にビジネスが絡むと嫌な顔をする人は多いけれど、必ずしもそれがマイナスに影響するとは限らないんだよ。マシューくんみたいなタイプなら尚更さ。むしろどんどん洗練されていって、今以上に素晴らしいものを見せてくれるはずだ」


「なる、ほど」


 今一つピンと来なかったが、そういうこともあるのかもしれないと自分に言い聞かせた。それに、いつか自分たちにメジャーデビューのチャンスが訪れたとしたら、それを受け入れなければいけない時が来るかもしれないのだから。


「莉子ちゃんは……」


「ん?」


「莉子ちゃんはどうなんでしょうか」


 玲が土田さんに問いかける。当然の疑問だ。あの我儘で不器用なお姫様が、マシューの様に冷静に自己分析をして音楽に取り組んでいるとは思えない。牡丹の様に、したたかな野望を持っているという感じでもない。


「……彼女のことは、君たちがしっかりと見ていてあげて欲しい」


「え?」


「それより、そろそろ出ないと入り時間に間に合わないんじゃないか?」


「あ、ホントだ! もうこんな時間!」


 時計を見ると、すでに12時40分を回っていた。13時の入り時間までギリギリのタイミングである。


「それじゃあここでお開きだ。会計は済ませておくから、君たちは早く会場に向かいなさい」


「でも……」


「遅刻なんかしたら川島くんが怒るぞ~。あ、お姉さん。デザートにケーキをひとつお願い。あとコーヒーも」


 莉子のことを見ていて欲しいとは、いったいどういう意味なのか。他にも聞きたいことはたくさんあったのだが、土田さんはもうこれ以上話す気が無いように見えた。


 少なくとも、今日の時点では。


 後ろ髪を引かれる思いで、俺たちはバタバタと席を立つ。土田さんはそれをにこやかに眺めていた。


「みんな、早く車乗ってー! 飛ばしていくから!」


「安全運転! 安全運転でね!」


「土田さん、ハンバーグご馳走様でした! とっても美味しかったです!」


 知りたかったことを全て聞けたわけではない。それでも、今日の話はこれから進む道を選ぶうえで大事なことだっと思う。


 みはるんの運転するミニバンは、法定速度という猛スピードで会場へと向かっていた。

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