第107話 真夜中の来訪者

 秋田でのライブは大盛況のうちに幕を閉じた。俺たちのCDはまたしても100枚以上の売上を記録し、SNS上での書き込みも肯定的なものが徐々に出てくるようになっていた。


「あ、この人私たちのこと褒めてくれてますよ!」


 皆が集まった宿泊先のホテルの部屋で、玲はニコニコ顔で報告してきた。


「玲はほんとにエゴサ好きだなぁ」


「だって気になるじゃないですか。それに、こうして反応してくれる人には直接感謝も伝えられますし」


 玲はその肯定的なSNSの書き込みに対して、cream eyesの公式アカウント(と言っても自分たちで勝手に作ったものだが)から「ありがとうございます! これからも応援してくれたら嬉しいです」とコメントを送った。しかしライブ中のMCとはキャラクターが全然違うので、もしかしたらコメントを貰った側も困惑するのではないだろうか。


「いけずなこともようさん書かれてるんとちゃうん?」


「まぁ、そういうのもあるにはありますけど……ちゃんとした批判なら今後の参考にもできますから。ただの悪口はもう気にしないことにしました」


「玲ちゃんは強なったんやねぇ。うちやったら喧嘩してまうかもしれんわ」


「琴さん、SNSで大事なのはですね、スルースキルなんですよ。ふふん」


 ドヤ顔が鼻につく。が、琴さんは笑ってそれを受け流していた。


 そんな風にライブ後の余韻に浸りながら部屋でまったりと話をしていると、部屋のドアがドンドンと強めにノックされた。時刻は既に24時を回っている。


「誰だこんな時間に」


「はーい。今開けますね~」


「ちょっと待って!」


 俺は不用意に扉を開けようとした玲の腕を掴んだ。


「変な奴だったらどうすんだ」


「変な奴?」


「ストーカーみたいな奴とか」


「そんな、日下部さんじゃないです……」


 玲がそう言った瞬間、一層大きな音でドアが叩かれた。部屋の中の緊張感が一気に高まる。ドンドンドンドンと何度も連続して叩いており、かなり苛ついているようにも感じられた。

 その音に驚いた玲が俺の腕にしがみついてくる。体は小刻みに震えており、さすがに能天気ではいられないと気づいたようだ。


「朔さん……」


「俺が様子を見て来るから」


「お、俺も行く!」


 玲も琴さんも、身内贔屓無しに言って見た目が良い。しかも一度SNS上で話題になったこともある。このツアーで認知度も上がっただろうし、厄介なファンがついてしまっていてもおかしくない。

 ホテルの部屋に入る時、誰かに見られていないかなんて警戒はしていなかった。それは女性陣もきっと同じはずだ。認識が甘かったかもしれない。

 だが、今そんなことを後悔しても仕方がない。まずはこの状況を打破しなければ。


 俺と京太郎の男二人で、音を立てないよう慎重にドアの覗き穴から外の様子を伺うと、そこには誰もいなかった。ますます怪しい。

 身振り手振りで女性陣に部屋の奥へ行くように伝えると、玲と琴さんとみはるんは身を寄せ合うようにベッドの上へと退避していった。俺と京太郎は顔を見合わせて合図を送り合い、ドアノブに手をかける。


「いち、にの、さん、で開けるぞ」


「お、おう」


 大きく深呼吸をして、囁き声でカウントを取る。


「いち、にの……」


 この時、心臓が飛び出しそうなほど鼓動しているのがわかった。


「さんッ!!!」


 俺は勢いよくドアを開けた。やはり誰もいない、と思ったその瞬間。


「ばあっ!」


「ぎゃああぁぁああああ!!」


「どぅわぁあああああああ!!!」


 覗き穴の死角となる位置に潜んでいた人影が飛び出してきた。男二人が大声を上げて盛大にすっ転ぶ。


「あはははははは! ビビりすぎでしょ!」


 折り重なる俺たちを見下しながら高笑いを上げる女の影。その正体は牡丹だった。安堵する気持ちと共に、騙されたことに対する恥ずかしさと怒りが込み上げてくる。


「いやいやこんなんビビるっしょ! タチ悪いっすよ牡丹さん!」


 京太郎って牡丹のことさん付けで呼ぶんだな。初めて知った。


「で、なんで牡丹がここに?」


 京太郎に乗っかられたまま、顔を上げて牡丹に尋ねた。牡丹は目線を合わせるように屈んで、にっこりと笑顔を見せた。


「せっかく同じホテルなんだし、交流を深めようと思って。ほら、これ」


 そう言って牡丹がポケットから取り出したのは、トランプだった。


「みんなで遊ぼう」


 服についた埃を手で払いながら、俺と京太郎は立ち上がる。部屋の中を見ると、女性陣もほっとした表情を見せていた。


「バカラでもやるの?」


「トランプって聞いて最初に出るのがバカラって……朔はどこのラスベガスで育ったのよ」


 一ノ瀬家では昔から正月に親戚一同が集まってバカラをするのが定番イベントだったのだが、どうやら一般的ではないらしい。お年玉が倍に増えるか、全て回収されるかのスリルが堪らないのに。


「お邪魔しまーすっと。さてさて、こんな深夜に男女同室で、乳繰り合ってなかったのかな~? あ、君がみはるんだねー。ちゃんと絡んだことなかったけど、京太郎の彼女なんだよね?」


「京太郎……呼び捨て……?」


「あー、みはるんストップストップ。牡丹はこういう奴なんだよ。距離が近いんだわ」


「えー、そんなことないでしょ。普通だって。あ、他のみんなも呼んでいい?」


「他のみんなって、まさか」


「そ、マリッカのメンバー。ちょっと待っててね~」


 こちらの同意を得る前に、牡丹はシュシュッとスマホでメッセージを送ってしまった。最初に聞く意味あったのだろうか。


「トランプ! 私大好きです!」


「玲はノリが良いね~。そういうとこ好き!」


「まぁ別にかまへんけど、この部屋に9人は狭すぎるんちゃう?」


 俺たちの今いる部屋は女子3人が泊まるためのトリプルルーム。男二人のツインルームよりはましだが、cream eyesプラスみはるんの5人でもそんなに余裕は無い程度の部屋だ。琴さんの言う通り、ここに9人は無理がある。


「狭いところにぎゅうぎゅうに入るのが良いんじゃない。ほら、私は大学行ったことないからわかんないけど、大学生の一人暮らしってそんな感じなんでしょ?」


「たしかに6畳1Kの俺の部屋に、最高で俺含めて7人泊ったことあるけど」


 京太郎の家は大学から比較的近いので、サークルメンバーの溜まり場になっている。ライブ後に終電を逃した実家組の避難先筆頭だ。ちなみに、その最高記録を樹立した時には俺もその場にいて、寝床はベッドの下だった。それを考えればこの部屋は余裕があると言えないことも無い。


「ベッドを3つくっつけちゃえばいけるいける」


 牡丹がグイグイと準備を進めるので、仕方なく俺たちも手伝うことにした。部屋にあるベッドとテーブルを壁際に寄せると、そこそこのスペースが出来上がった。確かに、これなら9人が車座に座るくらいはできそうだ。


 そこへ、コンコンとドアをノックする音がした。常識的な音量だ。


「はーい、今開けるよ~」


 最早自分の家であるかのように振舞う牡丹に、ライブ後の疲れもあって突っ込む気にはならなかった。ドアが開かれると、そこにはマリッカの残り3人のメンバーが立っていた。


「げっ。何でcream eyesのやつらがここにいんのよ」


 部屋の中にいる俺たちを見つけるなり莉子は悪態をついた。うむ、実に平常運転である。


「ん? 当たり前じゃん。ここcream eyesの女子が泊まってる部屋だし」


「牡丹が『大事な話がある』って呼び出したんでしょ? ふざけてるんなら私部屋に戻るからね。疲れてるんだから」


 どうして莉子まで素直にやって来たのか疑問だったが、そういうことか。牡丹のやつ、中々の策士だ。


「大事な話だよ~。一緒にツアーを回る道連れなのにさ、お互いのことまだほとんど知らないでしょ? だから、ここは大事な交流の場なのです」


「別に交流なんてしたくないし。慣れ合うつもりも無いから」


「琴とも?」


「ぐ……」


「まぁまぁ、莉子もたまには僕たち以外と交流するのも良いんじゃないかな」


「人をコミュ障みたいに言わないで」


「とりあえず、入った入った~」


 牡丹とマシューに説得されて、ものすごく渋い顔をしながら莉子が部屋に入ってきた。


「女子部屋か。どうりで良い匂いがするわけだ」


「ダンボさんキモいよー」


「牡丹ちゃん、もうちょっと気持ちを込めてくれないかなぁ」


 ダンボも入室し、いよいよ9人が部屋に集まった。ライブ会場や打ち合わせ以外の場では初めてのことだ。


「よっし、それじゃ早速始めよっか」


「始めるって、何を」


「ふっふっふ、大人数で楽しめるゲームと言ったら『大貧民』に決まってるでしょ!」


「ゲーム? 大貧民? 話をしに来たんじゃないの?」


「もう、莉子は頭が固いなぁ。せっかくみんな集まってるのにただ話すだけなんてつまんないじゃん」


「もう何でもいいけどさ。大貧民ってどんなゲームなの?」


「え!!??」


 その場にいた莉子以外の全員が驚きの声を上げた。


「……な、何なの……?」


「嘘でしょ……莉子、大貧民やったことないの?」


「あー、あれだよ。呼び方が違うんじゃないかな。ほら、『大富豪』って呼ぶ人もいるし」


「どっちも知らないってば。それがどうしたって言うのよ」


「……莉子ってさ、日本生まれの日本育ちだよね」


「何言ってんの。当たり前でしょ」


「あ、うん。そうだよね」


 にわかには信じがたい。一体どういう人生を歩んでくれば、20年間で一度も大貧民をプレイせずにいられたと言うのか。だが、それを聞くのはあまりにも残酷だ。全員同じ認識だったようで、それ以上誰も莉子を問い詰めることはしなかった。


「ま、まぁルールは教えてあげるから!」


「そもそも9人じゃプレイヤーが多すぎるやろ。二人一組のチーム戦にしたらええんちゃう?」


「あ、それいいねー。面白そう。じゃあ早速クジでチームを決めよう!」


 牡丹は部屋にあったメモ帳にアルファベットを書き、即席のクジを作り上げた。そして厳正なるクジ引きの結果、5組のチームが誕生した。


 Aチーム:俺(朔)と莉子

 Bチーム:京太郎と牡丹

 Cチーム:みはるんとマシュー

 Dチーム:琴さんと玲

 Eチーム(?):ダンボ


「何でよりにもよってあんたとなのよ」


「クジ引きなんだからしょうがないだろ……」


「ここでEを引くあたり、ダンボさん持ってるよね」


「あぁ、俺だけ孤独だなんて……あぁ……」


「ルールはどうしますか?」


「どうするって何? ルールは決まってるんでしょ?」


「大貧民っちゅーゲームはローカルルールが山ほどあんねん。せやから最初にルールを統一しとかな、まともにプレイできひんのよ」


「そうなんですね」


「琴さんには敬語なんだ……あイダだダダッ!」


 莉子は俺の太もものあたりを思いっきりつねってきた。それはもう、肉が抉られるかと思うほど強烈に。


「いいなぁ」


「はいそこ、乳繰り合わない!」


「だ、誰がちち、ちちくり……!」


 莉子が顔を赤くしながら抗議するのを軽く流して、牡丹はルールの確認を進めていく。


「えーっと、8流しは有りで良いよね。あとイレブンバックも」


「イレブンバック? Jジャックリターンでしょ」


「何その言い方かっこいい。まぁ呼び方はどうでもいいけど。えーっと、あとは……」


 協議の末、一般的なルールに加えて採用されたローカルルールはこうだ。


 あり:

 8流し(8が出たら場が流れる)

 イレブンバック (ジャックが出たら、カードの強さが逆転する)

 下剋上 (大貧民がトップであがった場合、全ての階級が逆転する)

 マーク縛り (同じマークが2枚続けて出された場合、それ以降も同一マークしか出せなくなる)

 スぺ3 (3は通常最弱のカードだが、ジョーカーが単独で出された場合、スペードの3のみそれに勝てる)


 無し:

 都落ち (大富豪がトップで上がれなかった場合、あがりの順位に関係なく大貧民となる)

 階段革命 (同一マークのカードを4枚階段で出した場合、革命状態になる)


 反則:

 ジョーカーあがり、2あがり (革命時は3あがり)、脱税


「こんなもんかな。大富豪と富豪はプラス1点、平民は0点、貧民と大貧民はマイナス1点ね。それで5ゲームやって、合計点で勝負!」


「いいんじゃないかな。で、何を賭けるんだい?」


「賭け?」


「ただゲームするだけじゃ張り合い無いじゃないか」


 マシューの言う通りだ。どうせやるなら真剣にやらなきゃつまらない。そのために、何かを賭けるということは必要だ。


「お金……はマズいですよね」


「玲、お前……」


「バカラとか言ってた朔が言える立場じゃねーな」


「何言ってんだ。バカラは健全で楽しいゲームだゾ」


「じゃあさ、1位のチームは最下位のチームに何でも好きなことを命令できる、ってのはどう?」


「ええんちゃう? 定番やけど」


「何でも、好きなことを……」


 俺の隣で、大貧民初心者の莉子がごくりと喉を鳴らした。勝ったら相手に一体何をさせるつもりなんだろうか。


「ダンボさん、わざと負けるの無しだからね」


「牡丹ちゃんってエスパー?」


「誰でもわかるっての」


 こうしてcream eyesとマリッカの仁義なき大貧民バトルの火蓋が切って落とされた。

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