第101話 言霊

「ここが世界征服の第一歩だ」


 日本には言霊ことだまという考えがある。何かを望むとき、声に出すことで実現に近づくことができるという信仰の一種。


 本日の会場である善光寺Cubic Clubが入った商業ビルに足を踏み入れるとき、俺はそんな話を思い出して呟いてみた。もともと無宗派であるうえに発した言葉があまりにも荒唐無稽すぎて、口に出した瞬間に笑ってしまったのだが。


「懐かしいなぁ」


「朔さんはここでライブやったことあるんですか?」


「まさか。高校生の時、客として来ただけだよ」


 長野県のバンドキッズにとって、ここは聖地だ。多くのプロミュージシャンがツアーでこの会場を利用しているし、何より俺の愛するJoan Jett's Dogsも解散前のツアーで来ている。当時まだ10歳にもなっていなかった俺はJJDのライブを観に行くことはできなかったが、早紀ちゃんが滅茶苦茶自慢してきたことをよく覚えている。


「おはようございまーす」


「ようやく来た。待ちくたびれちゃったよ」


 フロアに設置された簡易なテーブルセットに座っていた牡丹は、俺たちの姿を見かけるなり声を掛けてきた。


「あれ、今日もマリッカは入りの前に仕事じゃなかったっけ?」


「あぁあれね。今日はタウン誌の撮影でさ、莉子としげにいの美人コンビだけが対象なんだって。失礼しちゃうよね」


 忘れている人もいるかもしれないが、マリッカのギター兼キーボードを担当するマシューの本名は「大木・マシュー・茂」である。


「先方からのギャラの都合なので文句言わないでください。それに、牡丹さんだって十分美人じゃないですか」


「あ、川島さん。おはようございます」


「おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」


 川島さんは今日もカッチリとスーツで決めていた。相変わらずデキる女感がすごい。素面であれば、だけれども。


「ミヤっち、アタシ綺麗?」


「ポマードポマードポマード」


「え、急に何言ってんの? 何語?」


「……いえ、何でもありません」


 川島さんの口走った謎の言葉が何を意味するのかはわからなかったが、小さな声で「これがジェネレーションギャップか」と呟いたのが聞こえた。そういえば川島さんっていくつなんだろう。


「ウチらは先に荷物置いてくるわ」


「了解っす」


 琴さんと京太郎とみはるんは、川島さんに軽く挨拶を済まして控室へと向かう。川島さんも奥の方にいた日下部さんと打ち合わせを始めていた。


「あの、牡丹さん」


「あ、玲だ。今日もかわいいねー」


「あ、ありがとうございます……ではなくて!」


 挨拶がてらに口説くとは、とんだ伊達女である。


「牡丹さんに聞きたいことがあって」


「なになに? どうやったら好きな男の子を落とせるかって話?」


「ではなく! それも気になりますけど!」


 牡丹は一瞬こちらに視線を寄こして笑っていた。牡丹は詳しい経緯を知らないから悪意はないのだろうが、玲がそのネタでいじられるのを見ていると、こちらもどんな顔をすればいいのかわからないのでできればやめて欲しい。


「私が聞きたいのは、牡丹さんは何でマリッカに加入したのかって話です」


「あ、それは俺も聞きたいと思ってた。lalalapaloozaラララパルーザはどうしたのさ」


 牡丹は俺が思っていた以上に万能型のプレイヤーだったため、ファンクやフュージョンの要素を取り入れたマリッカの楽曲にも違和感なく馴染んでいる。だが、それでも彼女の根底にある音楽はロックだ。JJDのテリーの娘だからという理由だけでなく、同じベーシストとして確信がある。

 そういう点で言えば、マリッカよりもlalalapaloozaの方が牡丹のプレイスタイルとは噛み合うはずなのだが。


「lalalapaloozaは活動休止になっちゃったからね。しげ兄からは活動休止が決まる前から声かけてもらってたけど、マリッカでやろうって決めた一番のきっかけはそれかな」


「活動休止?」


「他のメンバーが来年からの就職活動に備えてインターンシップがどうたらこうたら、って感じで。活動休止って言ってるけど、多分この前朔たちとやったライブが最後で、そのままフェードアウトするんじゃないかな」


「マジか……良いバンドだからてっきりプロを目指すもんだと思ってた」


「向こう見ずに突っ走れる人はそう多くないってこと。私は元々高卒フリーターだからあれだけど、学生時代っていうリミットが終わりに近づいている人ほど、現実がちらついちゃって怖くなるんじゃない?」


 来年が就職活動ということは、今大学3年生と言うことだろう。琴さんと同い年だ。琴さんも大学を卒業したら、就職かお見合い結婚をしろと親に言われていると話していた。だから在学中に結果を出して、親を納得させる必要があるのだと。

 その話を聞いた時は、将来のレールを親に敷かれて窮屈そうだと思っていたが、逆に言えばバンドがダメだった時の選択肢が残されていると考えることもできる。


 普通の大学生であれば、大学を卒業した後も本気でバンドでの夢を追おうとする場合、フリーターとして活動することを覚悟しなければならない。仕事をしながらでもバンドは続けられるが、今の俺たちのようにツアーを回ったりすることは難しくなる。どうしても活動に制限がかかってしまうのだ。

 新卒至上主義とも言われる現代において、その決断をできる人は、相当に覚悟を決めているか、単に先のことを考えられないかのどちらかだ。


 それなら、真面目な人ほど学生というリミットの後半になるほど、本気のバンド活動を諦めてしまう人が多くなるのは仕方ないのかもしれない。


「lalalapaloozaは良いバンドだけど、マリッカは、って言うかしげ兄と莉子は覚悟が違うよ。絶対てっぺん取ってやるって思ってる。口には出さないけど」


「確かにあの二人はそんな感じするわ。ダンボさんは元から日本トップレベルのプレイヤーだし」


「そうそう。やっぱベーシストとしてはさ、レベルの高いドラマーとやるのは楽しいワケ。まぁあとは単純に、マリッカに入れば食いっぱぐれないだろうなって打算もあったけどね」


牡丹は晴れ晴れとした表情だった。


「アタシの選択は間違ってなかったって思ってるよ」


俺がBELLBOY'sではなくcream eyesを選んだように、牡丹は牡丹の選択をしたのだろう。淡々と語ってはいるが、そこにはきっと様々な葛藤があったはずだ。


「牡丹さんも世界平和を目指すんですか?」


「あー、それね。しげ兄が言ってるやつでしょ? 馬鹿っぽいよね~」


「馬鹿っぽいって……」


「うん、馬鹿っぽいって思ってた。でもさ、本当にできたら最高じゃん? アタシたちの音楽で世界が平和になって、みんな幸せになるなんてさ。だから私も乗っかるよ。それができたら、お父さんを超えられたって思うしね」


「お父さん?」


「あ、やば」


 自分がテリーの娘だということは内緒だと言っていたのに、清々しい自爆である。


「ううん、何でもない。気にしないで」


「そうですか。気になります」


「さ、今日も張り切って世界を平和にしちゃうぞー」


 牡丹は伸びをして席を立とうとした。わかりやすく誤魔化そうとしている姿が何だか笑える。


「牡丹さん」


「んー?」


「世界平和、できると思いますか?」


「そうだねぇ」


 意外にも、玲の方から話を戻した。そのストレートな質問に対し、牡丹は真っすぐこちらを見据えて答えた。


「もうやるって決めたから」


 できるかできないかではなく、やるかやらないか。100万回くらい酷使されて擦り切れている言葉だが、牡丹が言うと重みが違った。覚悟の差なのか、それともこれが「根拠の無い自信」なんだろうか。


「それじゃあ、牡丹さんも私たちの敵です」


「へ?」


 牡丹のリアクションは正しいと思う。今の会話の流れで唐突に敵対宣言されたら俺だってそうなる。誰だってそうなる。


「え、私たち敵になっちゃったの? なんで?」


「あー、うん。玲はいたって本気なんだ」


「cream eyesは世界征服を目指すと決めたので、世界平和を目指す人は敵です」


 牡丹はキョトンとした顔をした後、頬袋を目一杯膨らませてから思いっきり吹き出した。


「ブッフー! あはははは! マジで? マジで世界征服? そんな人畜無害そうな顔して、言ってること魔王みたい! あははは!」


「むーっ! 私たちは本気です!」


「あはははは! 朔もそうなの?」


 腹を抱えて涙を流している。よほどツボにはまったらしい。琴さんも似たような反応だったけれど。


 だが、そんな突っ込みどころしか無いような決意でも玲は本気なのだ。さっきの牡丹と同じく、本気でやると決めてしまったのだ。だったら俺も腹を括る他ないだろう。玲をこの世界に引き込んだのは、他でもない俺なのだから。


「もちろん」


 荒唐無稽でもどうでもいい。玲は俺の望みに応えてくれた。今度は俺が玲の望みに応える番だ。


「そうなんだ。ところでさ、どうなったら世界征服達成なの?」


「世界中の人がcream eyesのファンになったら、です」


「へぇ」


 牡丹はそこで笑うのをやめた。


「それなら確かに私たちの敵だ。マリッカのファンを取られるわけにはいかないからね」


 その顔は真剣だった。凄みを感じると共に、俺たちを敵だと認めてくれることが少し嬉しかった。


「よし、それじゃあミヤっちにお願いしてcream eyesの前座を外してもらおうっと」


「あ、ずるい!」


「あははは、冗談だって」


 随分立場の弱い魔王がいたものだ。だが、こっちの方が玲らしい。今思えば、昨日はどこかツアーに同行させてもらっているという遠慮があったように思う。


「それにしても魔王様が可愛すぎない? 琴くらい迫力があれば……」


「誰が魔王や」


「いったー!」


 いつのまにか戻ってきていた琴さんによる後頭部への鉄拳制裁で、牡丹が悶絶する。今ゴンって音したぞ。


「お父さんにもぶたれたことないのに!」


「やかましい」


 玲が魔王なら、俺と琴さんと京太郎とみはるんで四天王か。間違いなく俺と京太郎で最弱の座を争うことになるだろう。


「もう! 絶対負けないからね!」


「それはこっちの台詞です!」


 間もなくリハーサルが始まる。技術的には昨日から何も変わっていないのに、何だか今日は昨日より上手くやれる気がしてならない。気持ちが充実しているのが自分でもわかる。


「ここが世界征服の第一歩だ!」

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