第102話 ハイリスク・ローリターン
「招待客を入れたいんですけど」
「少しくらいなら大丈夫っすよ。受付に伝えとくんで、名前教えて欲しいっす」
「阿久津 早紀、です」
日下部さんはそれ以上何も聞かず、受付へと走っていった。相変わらずノリは軽いが、仕事が早いので助かる。
「朔さんちょっと来てもらえますかー?」
「あぁ、すぐ行くよ」
俺は、寂しそうな顔をしていた早紀ちゃんに何かしてあげたかったんだ。でも、ライブを見てもらえれば元気になるだろうなんて、そんな風には思っていない。きっと、そんな単純な話じゃないことはわかっている。
玲の呼びかけに応え控室へと向かった俺は、頬を叩いて気合を入れ直す。頭の中がやたらとクリアになっていた。
「ちょっとみんなに聞いて欲しいことがあるんだけど」
「どないしたん」
「ちょっと確認しておきたいことがありまして」
開場直前、控室で皆が集中を高めている中、俺は話を切り出した。
「玲、昨日cream eyesのCDが何枚売れたか知ってる?」
「えーっと、お客さんが500人来てたわけですから……50枚くらい、ですかね」
「正解は16枚でした」
「16枚! ですか……」
玲の顔には驚きと同時に落胆の色がうかがえた。その気持ちは、痛いほどわかる。
昨日のライブ、マリッカが凄まじいライブをやってのけたので霞んでしまったのだろうが、俺たちcream eyesだって過去最高と言える出来だったのだ。それなのに、期待を大きく下回る売り上げ枚数。負けず嫌いの玲が、落ち込まないはずがない。
「そう、たったの16枚。でも、これって実はそんなに悪い数字じゃないんだよ」
「そうでしょうか……」
「まぁ、500人来て16枚売れたってことは、ざっと30人に一人が買ってくれたっちゅーことやからなぁ」
「その通りです。俺たち目当てじゃなかった人たちが、それだけ買ってくれたってことですからね。それってつまり、日本の人口1億2000万人が俺たちの音楽を聴いてくれさえすれば、300万枚以上CDが売れるってことになる」
もちろん、こんなのは机上の空論だ。そもそも、1億2000万人の中には生まれたての赤ん坊もいれば100歳を超える老人もいる。ターゲットとなる層はもっとずっと少なくなるはずなのだから。
だが、今俺が伝えたいのはそんなことではない。
「それはそうかもしれないですけど……」
「で、朔が聞いて欲しいことって何? 昨日の出来も悪くなかったってこと?」
玲と京太郎は困惑した表情を浮かべていた。俺が何を言いたいのかわからない、そう顔に書いてある様だった。
「そうなんだよ。30人にひとり。うん、悪くない」
ますますふたりの顔に「?」マークが増えていく。もしかしたら、何とか昨日の自分たちを受け入れようと足掻いているように見えたかもしれない。だが俺は、自分を慰めたいわけではなかった。
「でも、それじゃダメなんだ」
「だから、何が言いたいんだよ」
俺は、笑い話になってしまいそうな玲の決意をもう一度確認したかったのだ。
「cream eyesが目指すのは世界征服なんだから、もうそう決めたんだから、300万枚程度の売上で満足しちゃいられない。世界征服ってことは、世界一ってことなんだから」
玲が軽い気持ちで「世界征服」を口にしたとは思っていない。言葉には責任が伴う。それを口にすることは、俺が過去に「プロになりたい」と言い出せなかったこととは比較にならないほど、覚悟が必要だったはずなんだ。
「玲はさっき、世界中の人をcream eyesのファンにするって牡丹に言ってたよね」
「はい」
「それって、普通にやってたら絶対無理だと思うんだ。音楽の好みなんて人それぞれだし、誰が聞いても100パーセント好まれるなんてありえないじゃん?」
玲は頷かなかった。無理だ、という俺の言葉を受け入れたくなかったんだろう。
「だから、普通じゃダメだ」
「普通じゃあかんて、どないすんの?」
「具体策はありません」
「なんだそりゃ!」
京太郎は大袈裟にずっこけた様なリアクションをして見せた。
「具体策は無いけど、今までみたいに自分たちの音楽を聴いてもらうってスタンスじゃダメだと思うんだ。それじゃ判断を聞き手に委ねてしまうから、好みによって振り分けられちゃうだろ?」
「いや、でもそれって当たり前のことじゃね? 好みは人それぞれだって、お前が言ったんじゃん」
その時、彫刻作品の「考える人」と同じポーズで考え込んでいた玲が、ゆっくりと口を開いた。
「……つまり、人の好みとか関係なくcream eyesの音楽を好きにならせる、ってことですか……?」
「そういうこと! 相手のことなんか考えない、自分たちの音楽を押し付けて、強制的に好きだって言わせるんだ」
「んな滅茶苦茶な!」
「だって、征服ってそういうもんでしょ? お願いだから、って言って征服し始める奴いないじゃん? 俺たちがこれからやらなきゃいけないのは、音楽性の強要だ。相手に嫌だと言わせない。問答無用、邪知暴虐の限りを尽くしたハラスメントだ」
自分でも何を言っているのか正しく理解しているわけじゃない。でも、これしかないと思ったのだ。世界を征服するには、マリッカに勝つためには、そうしなければいけないと。
「これはとんでもないこと言い出しましたね」
「玲にだけは言われたくない」
「パワハラならウチの得意分野やな」
「それリアクションに困ります」
「それでも、私は朔さんについていきますよ」
「ま、ウチらのリーダーやからな」
ふたりは微笑みながらそう言ってくれた。
「お前はどう思う?」
京太郎は腕を組んでうんうんと唸っている。
「正直、わかんねー。わかんねーけど、他に世界征服する方法も思いつかねー。だから、俺も朔に乗るわ」
「はは、ありがとよ!」
「責任取れよ?」
「一蓮托生って言葉、知ってる?」
「死なばもろともかお前!」
世界を征服しようとしているのだ。俺一人がリスクを背負う程度で叶うわけがない。
「で、どうするつもりなん? 具体策は無いなんて言うてたけど、本当に何にも考えてないわけやないんやろ?」
「まぁ、そうなんですけど」
「聞かせてください」
「……今日のライブで……」
俺は考えていたプランを皆に共有した。
「なるほど!」
「言いたいことはわかったわ」
「でもそれ、絶対怒られるやつじゃね?」
「だろうね。下手したらツアーの同行自体ここで打ち切られるかもしれない」
「そんだけのリスクを冒しても、得られるものは何も無いかもしれんしな」
「ハイリスク・ローリターンってやつですね。だけど……」
「それでも、絶対やりましょう!」
俺たちの最初の目標は、メジャーデビューして音楽で食っていくことだった。それを果たすだけなら、これからやろうとしていることは愚行と言う他ないだろう。
でも、俺たちは知ってしまった。マリッカと言う存在を。その音楽を。
そして、それに勝ちたいと思ってしまった。
「一蓮托生」
「死なばもろとも」
「旅は道連れ」
「世は情け!」
奇妙な掛け声が生まれてしまった。暑苦しいことこの上ない。俺も京太郎も、こういうのは好きじゃなかったはずなのに。
「クリームさーん、時間になったっすけどオンタイムで行けるっすかー?」
「
「何すか!?」
日下部さんもドン引きする雄叫びを上げながら、俺たちはステージへと駆け上がっていく。今日も今日とて、会場は満員御礼だ。そして、やはり俺たちに対する反応は薄い。
玲はギターを構えると、スタンドに刺さったマイクをグイッと引き寄せた。
「聴いて」
それだけ言うと、名乗りもせずに後ろを向いた。京太郎に早く始めろと言わんばかりに。
俺は早紀ちゃんが来ていないかとフロアを見回した。だが、暗くてよくわからない。それでもよかった。例えこの場に居なくても、届くと確信があったから。
間もなく、静かで美しいギターの音が空間を埋め尽くした。
「今回cream eyesの皆さんにお願いしたいのはオープニングアクトです。会場をあっためるのが仕事ですから、スローな曲は無しで、ガンガン盛り上げてくださいね」
ツアー前の打合せの時、川島さんが言っていた言葉が頭をよぎる。
一曲目はcream eyesで最もスローな曲、「残光」だ。
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