第90話 サッカーボール・キック

 10月14日、ジャケット及び歌詞カードのデータをプレス業者へ入稿完了。

 10月15日、17日、18日、22日、ハコとスタジオでの4時間リハーサル。及び新曲制作。

 10月24日、完成版のCDが納品。


 そして10月25日、俺たちは11月から始まる全国ツアーの打ち合わせのため、赤坂にある巨大なビルの27階、シルバー・ストーン・レコードの本社に来ていた。


 急ピッチで取り組んだCD制作も無事に終了し、ツアーに向けての準備は順調に進んでいた。


 ……はずだった。


「みんな、今日は来てくれてありがとう……ってあれ、京太郎くんは?」


「すいません川島さん。あの馬鹿は遅刻です……寝坊したって、さっき連絡がありました」


「寝坊? 今お昼の2時だけど」


「本当すいません……」


 こんな大事な日に寝坊とは。最近無かったから油断していたが、京太郎は元々筋金入りの遅刻魔だということを改めて思い知らされた。

 俺と玲と琴さんの3人で川島さんに平謝りだ。この償いは必ずしてもらわなければなるまい。


「はぁ、しょうがないわねぇ。でも打ち合わせの時間はずらせないから、悪いけど始めさせてもらうわよ」


「すいません。よろしくお願いします」


 オフィスの奥へと通されるまでの通路で、様々な有名アーティストのポスターが目に入った。その中でも、マリッカのデビューアルバムのポスターは一番目立つ位置に貼られていた。シルバー・ストーンの稼ぎ頭である森野 久麻や、映画の主題歌が大ヒットした若手バンド、会社の歴史を支えてきた大ベテランよりも好待遇である。それだけ期待度が高いということなんだろう。


 会社のオフィスという場所に初めて足を踏み入れ、見慣れない景色に目移りしていると、通路の向こうに白い扉が現れた。それは何の変哲もないただの扉。だが、開けることが躊躇われるを感じさせた。


 モヤのように扉の内側から滲み漂うそれは、中にいる彼らが発するオーラのようなものなのか、これから足を踏み入れようとする世界の過酷さなのか、今の俺には判断できなかった。そんなこちらの気を知ってか知らずか、川島さんは3回ノックをした後ガチャリと扉を開く。


「失礼します」


 扉の向こうは、ホワイトボードと大型のモニター、そして楕円形のデスクと椅子が並ぶだけの、飾り気のないシンプルな会議室だった。


「やぁ、久しぶりだね」


 爽やかに右手を上げながら声を掛けてきたのは、金髪のイケメン、マシューだった。以前に街で偶然会った時と比べて、輝きが5割増しくらいになっている気がする。そこにいるだけでとんでもなく眩しい。イケメンってすごい。


 そのマシューの隣で仏頂面をして脚を組む態度のデカい美女。莉子だ。こちらは以前会った時にも増して敵意を剥き出しにしている。別に喧嘩をしに来たわけじゃないし、そもそも敵対するような言動をした記憶も無いのだが……


 莉子の隣。左端に座っているのは牡丹だ。莉子とは対照的に、胸元で小さく手を振りながら無邪気な様子でこちらを歓迎してくれた。相変わらずと言うか、全く物怖じする様子が見られない。THE一般人とも言える程度に緊張している俺にも、その胆力を分けて欲しいくらいだ。


 そしてマシューの右隣に座っている無精髭にニット帽をかぶった少し小太りの男性は、間違いない、山元・ダンボ・真一だ。

 正直、マシューがイケメンだとか莉子がおっかないとか牡丹が可愛いとか、そんなことどうでもよくなるくらい、彼がそこにいるという事実に気持ちが昂っているのがわかる。何せ、ダンボと言えばもはや伝説となったバンドのメンバーだ。俺のミーハー心を馬鹿に出来るバンドマンなんていやしないだろう。


「よ、よろしくお願いシまァす」


 緊張で声が思い切り裏返ってしまった。


「だっさ」


 気にするな。莉子がこういう事を言う娘だということはわかっていたことだ。イケメンのマシューも言っていたじゃないか。彼女は人付き合いが苦手なんだと。だからこそ出てしまう言葉だと思えば、可愛く思えるじゃないか。


「何ニヤニヤしてんの。キモいんだけど」


 ちょっと言葉が強すぎるかな? うん、でもまぁしょうがない。しょうがないけどこの野郎。


「あははは! 何? 朔と莉子って仲悪いの?」


 ケラケラと笑う牡丹。マシューはその場を諫めるように両手で「まぁまぁ」とジェスチャーをして見せた。


「とりあえず座りなよ。ところで一人足りないみたいだけど……」


「ごめんなさい、師匠……じゃなくて、京太郎さんは寝坊で遅刻してて……」


「はぁ!? 寝坊? そいつ、舐めてんの!?」


「ひッ!」


 莉子がものすごい剣幕で怒鳴るものだから、玲が怯えてしまった。俺もビビった。

 だが、莉子の怒りももっともだろう。今回俺たちはマリッカのツアーに同行立場。そもそも対等の関係ではないのだ。それなのにこちらから遅刻者を出すなど、弁明の余地もない。


「ホンマに申し訳ない。あの阿呆にはウチからキツく言うておくから、どうか勘弁しとくれませんか」


 真っ先に謝罪したのは琴さんだった。俺も慌てて頭を下げる。


「……まぁ、あなたがそう言うなら……」


 その言葉を受け入れて、莉子はすんなりと引き下がった。以前会った時、莉子は琴さんに引っ叩かれて涙目敗走しているため、この反応は意外だ。琴さんにこそ敵意を剥き出しにしてもよさそうなのに。


「とりあえず、打ち合わせを始めましょうか」


 川島さんが場を引き締める。素面の状態であれば、やはり仕事のできる女性という印象が強い。それを変貌させるアルコールは、やっぱり恐ろしいものだ。俺も気をつけよう。


「今日は顔合わせが一番の目的だったんだけど、牡丹ちゃん以外のみんなも面識があったのね」


「あれ、都さんに話していなかったっけ? 僕と琴ちゃんが前に同じバンド組んでたって」


「え、そうなの?」


「まことに遺憾ながら事実やね」


「なになに? しげにいは琴と仲悪いの? アタシも誰かと仲悪くしといた方が良い?」


 牡丹のしげ兄呼びに思わず吹き出しそうになった。忘れてはいけない。この超絶イケメンハーフの本名は「大木・マシュー・茂」なのだ。


「しげ兄はやめてくれと言ったじゃないか……別に僕と琴ちゃんは仲悪くなんかないよ。ただ一方的に僕が嫌われているだけさ」


「それ、仲悪いのと何が違うの?」


「はい、脱線はそこまで!」


 再度、川島さんが場を収める。牡丹のおかげで場の空気は和やかになっていたが、俺には一つ気になることがあった。部屋に入って以降、ダンボが一言も言葉を発していないのだ。

 ずっと腕を組んだまま、表情を変えずにじっと座っている。京太郎の遅刻に腹を立てているのだろうか。その表情からは真意を伺う事ができず、俺は不安を感じていた。


「えー、それじゃあ今回のツアーについての最終確認を行っていきます。まずは初日となる金沢公演についてですが……」


 そこで改めて川島さんからツアーについての説明が行われた。宿泊するホテルやリハーサルの日程、当日の導線確認等々を丁寧に確認していく。マリッカはライブの前にラジオ出演の予定もあるらしく、俺たちよりもだいぶ忙しそうだ。

 説明の中で、cream eyesの身の回りをサポートしてくれるスタッフが一人つくことも明かされた。


「この部屋っすか!? あざっす!」


 川島さんが一通りの説明を終えたところで、会議室の外から騒がしい声が聞こえてきた。それとほぼ同時に、勢いよく扉が開かれる。


「遅れてしまってまことにごめんなさい!!」


 遅刻魔京太郎の登場だ。小学生並みの敬語風な言葉で謝罪をする馬鹿に、その場にいた全員の冷たい目線が注がれる。


 琴さんが無言で立ち上がり、頭を下げる京太郎の前に立った。


「あ、琴さん。ホントすんません……アラームセットしてたんすけど二度寝しちゃ……」


 それが京太郎の最期の言葉であった。琴さんは遅刻魔の股座またぐらを思いっきり蹴り上げたのだ。


 京太郎は呻き声を上げることさえもできず、その場に崩れ落ちた。


 自業自得とはいえ、男ならば誰しも目を覆いたくなるような惨劇だ。事実、あのマシューでさえ顔をしかめていた。


 敢えて説明させてもらうと、琴さんが蹴り上げたは、冷却を目的に体外に露出された臓器である。

 想像して欲しい。自分の内臓を思い切り蹴り飛ばされたら、どれほどの苦痛に襲われるのかを。


「遅刻魔死すべし。慈悲は無い」


 だが、その時俺は確かに見た。見てしまった。


 声も出せずに悶絶する京太郎の姿を、羨望の眼差しで見つめるダンボの姿を。

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