第89話 そこから何が見える
「ここ、おじいちゃん
ひかるちゃんは三脚を畦道にセットして、背負ったリュックの中からカメラを取り出した。高校生が持つには不相応と思えるほど高価そうな機材たちだったが、おじいちゃんから貰ったものだと聞いて合点がいった。
「おじいさんはカメラマンだったの?」
「いえ、カメラマンになれなかった素人です」
おじいちゃんっ子だという割には、何だか棘のある物言いだ。だが、その表情から悪意は感じられない。むしろ慈しむような柔らかな笑顔で、機材のセッティングを続けていた。
周りに遮るものが無いためか、風が強く吹いていて、ひかるちゃんの髪の毛が大きくたなびいていた。
「おじいちゃん、カメラが大好きなくせに技法や構図の勉強が大嫌いで、全然上達しなかったんですよ。ワシはワシのやりたい様にやる! 他人の
嬉しそうに話しながらカメラのレンズを取り付けてファインダーを覗き込み、別のレンズに交換してはまたファインダーを覗き込む。この作業を数回繰り返して、ひかるちゃんは納得した様に頷いた。
「それじゃあ撮っていきますね。配置は、えーっと……」
「ひかるちゃんは元々カメラが好きだったの?」
唐突に玲が質問を投げかけた。それを受け、ひかるちゃんの動きが一瞬止まる。
「別に好きでも嫌いでも……いや、嫌いでしたね。大嫌いでした」
「そっか」
玲はひかるちゃんの答えに満足したらしい。今の会話だけで何か通じるものがあったのだろうか。
「え? どゆこと?」
俺は何となく空気を読んでその話を流そうとしたのに、アホの京太郎にはそれができなかった。だが、俺は心の中でよく言ったと思っていた。だって、あんな話気になって仕方がないじゃないか。
「嫌いだったらあんなに上手くならないっしょ。今だってすごく楽しそうにやってるじゃん」
琴さんはやれやれといった表情で首を横に振っていた。玲は真剣な顔をしている。ひかるちゃんがどう反応するのか、慎重に伺っているようだ。
「……楽しそう、ですか。そう見えます?」
「違うの? 今もそうだし、SNSに上げてる写真もすごく写真が好きなんだろうなーって感じがしたけど。って言うか好きじゃなきゃカメラなんてわざわざやらなくない?」
これに関しては全面的に京太郎に同意だ。むしろ昔は嫌いだったというのなら、何がきっかけでカメラを始めようと思ったのか。いくらおじいちゃんの機材が手に入ったからと言って、好きでもないものを始めようとは思わないだろう。
「楽しそうに見えるんだ。良かった」
そう言って微笑んだひかるちゃんは、何だかホッとしているように見えた。
「昔カメラが嫌いだったってのは本当です。私の通ってる高校女子高なんですけど、み~んな自撮りやら流行りのスイーツやらをスマホで撮っては原型無くなるくらいに加工して、馬鹿じゃないのって思ってました」
「あぁ、所謂『
「それでも私に被害が及ばなきゃ別にいいかって思ってたんですけど、ある日クラスの中心人物的な子に誘われたんですよ。ひかるも一緒に限定スイーツ食べに行こうって。私そういうの全然興味なくて、普通に断ったんです。私はいいから皆で行ってきなよ、って。当時はSNSもやってなかったですし」
そこまで聞いてさすがの京太郎も何かを察したのか、バツの悪そうな顔をしていた。そしてその予感は、当たり前のように的中する。
「そしたら次の日から、私はクラスでいない人になってました」
「えっと……」
「あ、別に気にしなくていいですよ。むしろ伝説のセクシー女優みたいな名前~とかウザい絡みされなくなって良かったと思ったくらいです」
きっと周りに流されないタイプのひかるちゃんは、高校生活というコミュニティの中で孤立気味だったのだろう。今日制服で来たのは他に着るものが無かったからと言っていたし、お洒落に無頓着なところも女子高生らしくないと捉えられたのかもしれない。
名前を馬鹿にされたのだって、きっとその影響だ。簡単に想像できる。名前を揶揄したやつらは、クラスに馴染めないひかるちゃんをいじってあげた、くらいに考えていたのだろう。
「何か俺がムカついてきた」
「朔は黙っとき」
ひかるちゃんは淡々と話を進める。
「それから半年くらい経った1月のある日、おじいちゃんが亡くなりました」
玲はこのことに気付いていたんだろうか。そういえばひかるちゃんがおじいちゃんの話をする時、全部過去形で話していた気がする。
「死因は何だったと思います? お餅を喉に詰まらせたことによる窒息死。おじいちゃんの事は大好きだったから悲しくて仕方ないはずなのに、ギャグ漫画かよって思って笑っちゃいました。ほんと、不謹慎ですよね」
表情を隠そうとしたのか、ひかるちゃんはセッティングが済んだはずのカメラのファインダーを再度覗き込んだ。
「それで、おじいちゃんのカメラを引き取ったんだ」
「そうですね。遺品を整理する時、大量のカメラやレンズをどうするかって話になって。結構いいやつが揃ってたんで、売っちゃうって手もあったんですけどね。でも、機材と一緒におじいちゃの撮った写真のデータが出てきて……それを見た時、おじいちゃんの写真の凄さがわかったんです」
「本当はめっちゃ上手だった、とか?」
「だったら良かったんですけど」
ファインダーから顔を上げたひかるちゃんは、寂しそうに笑っていた。そして、風が止んだ。
「おじいちゃんの写真は……何て言うか、嘘が無い感じがしたんです。構図とかもうめちゃくちゃなのに。そこに写る人の気持ちが全部見えちゃってるような、そんな気がしたんです。あぁ、おじいちゃんがレンズ越しに見ていた景色は、こんなにも綺麗で残酷で純粋だったんだって」
音楽でも、下手な演奏に涙が溢れるなんてことはよくある話だ。もしかしたら写真も同じなのかもしれない。人の心を揺さぶるのに、必ずしも高い技術が必要だとは限らないのだから。
「それから私もおじいちゃんみたいな写真が撮りたいって思って、カメラを始めたんです。あ、私はちゃんと構図とか色々勉強してますよ?」
「ライブハウスでの写真ばかり撮っていたのは、何か理由があるん?」
「それは……」
ここに来てまたしても言い淀むひかるちゃん。だが、ここまで聞いてその先をおあずけされるわけにはいかないだろう。
俺たちが話の続きを待っていることを察したのか、ひかるちゃんは恐る恐る話を続けた。
「……怒らないでくださいね」
「え、何その前フリ」
「えっと、その……だって、バンドやってる人たちって、馬鹿みたいじゃないですか」
「ぉおっと!?」
ラップバトル並みの唐突なディスに虚を突かれた俺は、またしても変な声を出してしまった。
「え、そこはバンドはかっこいいから、とかじゃないの!?」
「あははは! せやなぁ、バンドマンなんてみーんなアホばっかりや」
「まぁ否定はしねーですけど……琴さん、それちゃんと自分も含んでます?」
「当たり前やん。ウチがもうちょい賢かったら、バンドなんて不安定で確証の持てんもんやっとらんわ」
琴さんが大笑いしているのを久々に見た気がする。でもまぁ確かに、今の時代にバンドをやろうなんて、しかもプロを目指そうなんて、まともに将来を見据える頭があれば考えないのかもしれない。
「いや、私の言う馬鹿みたい、ってのは良い意味でですよ? 良い意味で!」
「あのね、ひかるちゃん。良い意味でってつければ何でも許されるわけじゃないんだよ?」
「ひぃい、ごめんなさい!」
「あははは、別に誰も怒ってないから大丈夫だよ。ですよね、朔さん?」
「私は激怒した」
「太宰リスペクトやめろ」
「あはははは」
曇り空の田んぼの真ん中で、俺たちはゲラゲラと笑っていた。ひかるちゃんも笑っていた。さっきまでの
「でも、実際ライブハウスに出演してるバンドの人たちって、色々曝け出してる感じがするじゃないですか。本当、馬鹿みたいに。だから、私はあの場所に惹かれるんだと思います」
ひかるちゃんがそう言うと、風が再び強く吹き始めた。笑いがおさまったところで撮影再開だ。
「立ち位置はこんな感じで、玲さんはカメラに目線ください」
「こうかな」
「良い感じです! それじゃ撮っていきますね」
ひかるちゃんが何度も何度もシャッターを切る。俺たちはその間、横を向いたり下を向いたり、慣れない撮影にぎこちない動きをしていたと思う。読者モデルをこなす琴さんだけは、威風堂々といった感じでかっこよかったけれど。
「あ!」
突然、ひかるちゃんが声を上げた。
「どうしたの?」
「気にしないでください! でも今がチャンスなので集中してください!」
「えぇ……」
ものすごい勢いでシャッターを切りまくるひかるちゃん。何がチャンスなのか、気にするなと言われても気になるのだが。
「うんうん、良いぞ」
10分ばかりの間に、多分300枚くらいは写真を撮られた気がする。その膨大な量の中から、先日の玲の「奇跡の一枚」みたいな写真が生まれるのだろう。
「ふぅ……」
ひかるちゃんが額の汗を拭う仕草を見せた。どうやら満足のいく写真が撮れたらしい。
「ねぇねぇ、どんな感じに撮れた?」
玲がウキウキしながら近寄ると、ひかるちゃんは持参していたノートパソコンにカメラを繋いで、今しがた撮った写真を見せてくれていた。
「えーっと、このあたりのが良いと思うんですけど」
「うわー! すっごーい! なにこれー!!」
「なになに、そんな良い写真なの?」
玲が大きな声で騒ぐものだから、気になって小走りで駆け寄ってしまった。
「おおおおお!」
「すげー!」
「はー、これはホンマにすごいなぁ」
ノートパソコンのディスプレイに映し出されたその写真を見て、思わず感嘆の声が漏れた。
田園風景の中に物憂げな表情で4人が佇み、その向こうには白い窓枠の古い家。分厚い雲の隙間から帯状の光が差し込んで、それに向かうように鳥たちが羽ばたいていた。
「天使のはしご、ってやつですね。これが撮れたのはラッキーでした」
先ほどひかるちゃんが言っていたチャンスとはこのことだったのか。そのままでも雰囲気のある風景が、神秘的なまでに美しく切り取られていた。
「やっぱり、ひかるちゃんにお願いして良かった!」
玲が満面の笑顔でそう伝えると、ひかるちゃんは恥ずかしそうに笑っていた。
そしてその直後、俺たちの撮影が終わるのを待っていたかのように大粒の雨が降り始めた。ひかるちゃんの機材を守りながら皆でびしょびしょになって駅まで走ったこの道を、きっといつまでも忘れることは無いだろう。
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