第88話 Coincide with

 レコーディングは6日目に歌入れが完了し、7日目にはコーラスパートの収録とミックスダウンについての打ち合わせが行われた。あとはこの道30年のベテランであるエンジニアの小林さんに任せ、完成を待つのみだ。


 そして10月10日の日曜日。どんよりとした曇り空が広がるこの日、俺たちは栃木県のとある駅に来ていた。東京の自宅から実に2時間半以上もの時間をかけて。


「もはや小旅行だなこれ」


「しっかし、ほんまに何にも無いとこやねぇ」


「私、無人駅って初めて降りました。これ、切符とか無くても通れちゃいません?」


「玲ちゃんって割とそういうこと言うよね」


 そこは見渡す限りの田園風景。ビルや商店どころか、民家さえも駅前の数軒以外ほとんど見当たらない。


「長野の実家もけっこうな田舎だと思ってたけど、これはちょっとすごいな」


「俺の大分の実家でももうちょい店とかあるぞ。関東だよな、ここ」


「あんたら何で競い合っとんのや」


「確かに田舎ですけど、すごい綺麗な風景ですよね。夜とか星がよく見えそう! 今日がもっと晴れてたら良かったのに……」


 何故俺たちがここに来たのか、それはある人物の要請に応じたからだ。


「あの、cream eyesの皆さんですか?」


「あ、はい。あなたが……って、ぇえ!?」


 マス〇さんのモノマネのような声を上げてしまった。声を掛けられて振り返ったら、待ち合わせをしていた人物のイメージとあまりにもかけ離れた姿があったのだから仕方ないではないか。


「初めまして。takuです」


 挨拶と共にぺこりと頭を下げる制服女子。JKである。赤い縁の眼鏡に黒髪のボブカット、スカート丈は膝より少し上くらい、目つきは少し鋭いが、制服を着た可愛らしい女の子が立っていたのだ。


 そう、この日の目的はtaku氏をカメラマンに迎えてのCDのジャケット撮影。俺たちは指定された撮影場所へとやってきていたのだ。


 それにしても、SNS上でのtakuというハンドルネームややりとりしていた文章から、俺はてっきりtaku氏は年上の男性だとばかり思っていた。


「どうしました?」


「えぇっと……あまりにもイメージと違ったというか……」


「正直、おっさんやと思うてたわ」


「琴さん! 俺そこまで酷いこと言ってない!」


「あぁ、おっさんだと思ってくれてたならそれでオッケーですよ。それを狙ってキャラ作ってましたから」


「へ?」


 taku氏は冷めた感じで言った。この感じもSNS上のキャラとは印象が異なる。


「だって、子供だって思われたら舐められるじゃないですか。JKだーって変なの寄ってくる場合もありますし」


「確かに変な虫がつくんは嫌やもんな。なぁ、京太郎」


「なぜそこで俺に振るんすか」


 女子高生J Kというブランドは、はっきり言ってチートな力を持っている。「女子高生何某なにがし」と触れ込めば、それだけで大抵のものに一定の需要が生まれるものだ。女子高生バンド、女子高生アスリート、女子高生作家、そして女子高生カメラマン等々。

 ちなみに、女子高生の前に「現役」を入れると途端に如何いかがわしい雰囲気になることは内緒だ。


 だが彼女は、その有利な肩書を自ら放棄していた。そして、その理由はすぐに理解できた。


「正当に評価されたいもんね」


「わかりますか!」


 taku氏が目を輝かせながらグイッと顔を近づけてきた。さっきはクールな感じの子だと思ったのに。


「やっぱり、cream eyesの皆さんはわかってくれるんだ! そうなんです。前に女子高生だって明かしてSNSで写真を投稿してた時は、『若いのにすごいね』とか『女の子なのにすごいね』とか、そんな風にばかり言われることが多くて……それじゃあ私が女子高生じゃなくなったら、私の撮った写真には価値が無いのかって考えたら悔しくて……だからもうJKブランドは捨てたんです。今日制服で来たのは、人に会う用の服が他に無かったからです」


 いきなりすごい熱量で話し始めたtaku氏は、何だか玲に似ていると思った。負けず嫌いなところが特に。


 それにしても近い。近すぎる。色々な部分が衝突事故を起こしそうなほどに。


「ま、まぁ。俺らも色眼鏡で見られたりすることあったし……」


「ちょっと、朔さん……?」


 思わず赤面した俺に、玲が冷ややかな目線を投げてきた。女子との接近戦には慣れていないのだから勘弁して欲しい。むしろ俺の童貞力を侮るなと言いたい。言わないけど。


「色眼鏡……あ、それって多分私のせいですよね。何か色々変な感じにしちゃって、その件はすいませんでした」


 しおらしくなって顔を離したtaku氏に、俺はそっと胸を撫でおろした。


「謝らんでええよ。あの写真のおかげでウチらは前に進めたようなもんやし。むしろ感謝しかないわ。えっとtakuさん……takuちゃん? ってかその格好やとtakuって呼びづらいわ。本名は何て言うん?」


「本名……」


 taku氏の表情が曇り、俯いてしまった。ネット上でのやりとりはあったとはいえ、初対面の相手に本名を伝えることに抵抗があるというのはわかる。だが、そういうのとは違う感じだ。


「言いたないなら別にええけど」


「……いえ、皆さんにはありのままの私を知ってもらいたいので。賦存ふそんな方が良いって、言ってくれましたもんね」


「あ、あれは……!」


 恥ずかしい過去を掘り下げられ、玲の顔が一気に赤くなる。それにしても、以前玲が送信した誤変換の意味を深読みし、なんだか自分の支えにしてるっぽいtaku氏が少し心配になる。


「オホン。えっと、私の本名は……ら……る、です」


 声が小さすぎて、肝心の部分がまったく聞こえない。


「……え?」


「私の本名は、雲母きらら ひかる、です!!」


 恥ずかしさを堪えながら、絞り出すように叫んだtaku氏。いや、ひかるちゃん。


「taku要素ゼロ!?」


 京太郎が間髪入れずに突っ込みを入れると、


「いや、突っ込むのそこ!?」


 ひかるちゃんは素で驚いていた。


「え、俺何かおかしなこと言った?」


「あんたは存在自体がおかしいけど、今の突っ込みは別に変やないよ」


「存在ごとディスるのやめてもらえます?」


「あははは」


 俺たちが笑いあう中、ひかるちゃんは唖然としていた。だがすぐに我に返って食い下がる。


「いやいやいやいや、違うでしょ! そこは『何だその売れなくてすぐに枕営業に走る地下アイドルみたいな名前!』って突っ込むとこでしょ!」


 俺たちのリアクションが余程意外だったのか、敬語が使えなくなっていた。その方が背伸びの無い年相応な感じがして良いと思ったが。


「え~、そんなことないよ。ひかるちゃん、私はすごく可愛い名前だと思うな」


「玲さん……」


 言い淀んでいたのは、自分の名前の響きが恥ずかしかったかららしい。


「私の名前、変だと思わないんですか? きららひかる、なんて……」


「何かおかしいことあるん? ひかる、なんてええ名前やん。雲母っちゅー苗字は珍しなぁとは思うけど」


「いや、でも全体の響きが……クラスのみんなは馬鹿にしてくるし……」


「そんなこと言ったら俺なんか朔だよ? 生まれながらにして陰キャになることを約束されたようなもんだし」


「朔って名前は響きがかっこいいじゃないですか。それに、始まりって意味もありますし、そんなネガティブな意味じゃないと思いますけど」


「え、朔ってどういう意味なの?」


「お前はもっと国語を勉強しろアホ太郎」


 語彙力で高校生に劣るとは、文学部の風上にも置けん奴だ。だが、この会話をにこにこしながらやり過ごそうとしている人間がもう一人いた。


「玲、まさかお前も……?」


「……まぁまぁ、今はそんな話どうでも良いじゃないですか。それより、早く撮影場所に行きましょう! ね、ひかるちゃん!」


「あ、はい」


「逃げよった」


「逃げましたねぇ」


 ひかるちゃんを先頭に、俺たちは歩き始めた。玲は歩きながらスマホをいじっていた。きっと「朔」の意味を検索しているに違いない。歩きスマホ、ダメ絶対。


「それにしてもすごい場所だよね。確かに雰囲気ある」


 しばらく歩くと線路も視界に入らなくなり、田園に広がる草と遠くに見える鉄塔、一軒だけポツンと佇む白い窓枠の家と、遮る物の無い広い空の他に見えるものが無くなってきた。すると何故だか、ここが知っている場所のような不思議な感覚が浮かんでくる。ここには、確かに初めて来たはずなのに。


「この景色って……」


 どうやら玲も同じらしい。いや、玲こそこの景色に既視感を感じていて当然だ。


「この辺りにしましょうか。今日が曇ってくれて良かったです」


 晴れてくれてよかった、ではないことから、俺は確信した。


「ねぇ、ひかるちゃん。この場所を選んだのってもしかして……」


 玲が尋ねると、ひかるちゃんは笑顔で振り返った。それは今日初めて見た彼女の笑顔だった。


「cream eyesのBeautifulを聴いて、真っ先に思い浮かべた場所だからです」

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