第68話 叫んで、笑って、吐き出して

 合宿4日目。


 taku氏の投稿のシェア件数はあの後さらに加速度を増し、朝の時点で一気に2万件を突破。それ以降SNS上での拡散の勢いは一旦収まってきたが、多くの人の目に触れた分、批判的なコメントも増えていた。だがそのコメントをよくよく読んでみれば、「調子に乗ってる」だの「ボーカルもドラムも絶対性格悪い」だの「ベースは100%童貞」だの、写真だけ見て何がわかるのかと言いたくなる根拠の無いものばかりだ。

 少し調べればcream eyesの曲がネットで公開されていることがわかるはずなのに、それを聴いているとはとても思えない。だからこんな内容なら、覚悟してしまえば痛くも痒くもなかった。出る杭を条件反射で打ちたくなる人というのはどこにでもいるものなのだ。


「俺のことにももうちょっと触れてくれて良いと思うの」


「なんで写真だけで見抜いてるやつがいるんだよ。クソ」


 慣れてくれば楽しめたりもする。


 そして今度は、cream eyesのアカウントにフレンド申請やらメッセージやらが殺到していた。taku氏の投稿をシェアして以降更新していなかったためか、バンドからの発信を求める声が多く上がっていたのだ。


「どうする? 合宿中です、くらい言っとく?」


「新曲制作中、くらいでええんちゃう。合宿先とか特定されても面倒くさそうやし」


「いや、ここはあえて……」


 玲は素早くスマートホンの画面をフリックする。そのスピードは、男子には決して到達できない速さだ。


「次のライブに来たお客さん、一人ずつ丁寧にぶん殴る」


 画面にはそう表示されていた。


「ぷ」


「あっははははは! なんやのこれ!」


「これ良いじゃん! 俺これ好き!」


「あはは。絶対に“むしろ殴られたい”って変態が出てくるぞ」


「次のライブはこれくらいの気持ちでやるぞーっていう決意表明です。なめられちゃいけないと思って」


「思考が武闘派ヤンキーだな」


「あ、もちろん音楽でぶん殴るって意味ですよ?」


「同じだそんなもん」


「ええやん、ウチはそういうの好きやで」


「俺も良いと思う。やっちゃえ、玲ちゃん」


「よーし、それじゃ投稿しちゃいますよ~。それポチッとな!」


 玲は大きく振りかぶって、画面の投稿ボタンを押した。


「うわぁ、マジでやりやがった」


「あーあ、もうどうなっても知らんで」


「玲ちゃん、そこは空気読もうよ……」


「え? うそ、え?」


 先輩たちの悪ノリに、玲はまんまと騙され焦りの表情を浮かべていた。あまりに素直なリアクションに笑いを堪えることができず、すぐに演技だとバレてしまったが。


「もう! 本気でやっちまったかと思いました! ひどい!」


「あはは、ごめんごめん。でもさ、マジであの投稿すごく良いと思う。変に媚びてないし、インパクトあるし、何より強キャラ感出てるのが気に入った」


「ロックだよ、玲ちゃん」


「ま、今の状況やと何言うても批判的なコメントはつくやろうからね。当たり障りのないこと言うてもしゃあないわ。うん、こっちの方がキャラが立っとる」


「キャラって言うか、素直な気持ちなんですけどね」


「ほんならなおさらええわ」


 笑いあう俺たちに、いつもと違う視線が向けられていた。taku氏の撮った写真がネットで拡散されていることは、サラダボウルの中でも話題の中心になっていたからだ。サークル内にオリジナルバンドは複数存在するが、こんな風に世間からの注目を集めることになったのは初めてなのだから無理もない。


「朔さんたち、このままメジャーデビューとかしちゃうんですか!?」


 突拍子もないことを口にしたのは秀司だ。


「そんなうまい話は無いっての。バンドのアカウントになんか怪しげな勧誘のメッセージは来てたけど。壺とか買わされそうなやつ」


「壺? 壺買って何の得があるんすか?」


「その純粋さを忘れないで欲しい」


「でもそっか~、やっぱ一回バズったくらいじゃダメなんすね」


 秀司の言う通りだ。SNSで2万件のシェアというと、一般人の投稿としては相当な数ではあるものの、全体で見ればそこまで珍しいことでもない。その一瞬が瞬間最大風速で、それ以降話題に上がることも無く消えていったムーブメントは数知れない。

 今はメジャーレーベルもSNSを活用したマーケティングを行っていると聞くが、たった一度の「バズり」で契約を持ち掛けるほど浅はかではないだろう。そんなの粗製乱造もいいところだし、そんなところにバンドの未来を任せたいとも思わない。使い捨てられる未来が目に見えている。


「でも、とりあえず次のライブはめちゃくちゃお客さん入るみたいだから、そこで上手くやれればひょっとするかもね」


「マジすかすげぇ!」


「ねぇねぇ、もしメジャーデビューしたらさ、オクタゴンとの合コンセッティングしてよ」


 奈々子さんも話に加わってきた。オクタゴンとは、クラブ系女子に人気の男性ダンスグループ。「バンドは売れない」と言われ始めて久しいが、そんな今の音楽シーンの中心にいるとも言えるグループだ。だが、正直俺は1ミリも興味がない。ダンスとかできないし。

 そもそもメジャーデビューの話なんてどこからも来ていないし、仮にそうなったとしても、バンドの俺たちとダンスグループでは接点が生まれることは無さそうなものだが。


「あんた彼氏おるやん」


「それとこれとは別腹!」


「スイーツ感覚で男を漁るのはやめてください」


「何よケチ~」


 奈々子さんはわざとらしく頬を膨らませてみせた。あざとい。


 何となく、みんなが浮足立っているのを感じる。秀司や奈々子さん以外のサラダボウル会員も、きっと俺たちに聞きたいことがあるのだろう。身内から有名人が生まれるかもしれないという期待感がある以上、仕方のないことなのかも知れないが。


「そんなことより、今日はライブじゃないですか。奈々子さんは何やるんでしたっけ?」


「え~、奈々子はねぇ……」


 話を逸らしてはぐらかす。今の時点で言えることなんて多くはない。この先どうなるかなんて、俺たちにだってわからないのだから。


 先ほどの玲のSNSでの投稿には、既に様々な反応が寄せられていた。予想された通り、批判的なコメントも目立つ。煽るようなコメントも散見された。だが、それ以上に好意的な反応が多かった。

 見知らぬ誰かに攻撃されることは辛いが、見知らぬ誰かが味方してくれることは嬉しかった。せめて応援してくれる人たちの思いに応えたい。ガラにもなく、そんな気持ちが湧いてきていた。


 それから3時間後。


 夏合宿のライブは出演バンド数が多いため、昼食後すぐに開始される。宿に併設されたライブスペースにはあらかじめ機材がセッティングされているため、いつもの学内ライブに比べると準備がすこぶる楽だ。

 いざライブの時間が近づくと、先ほどの浮ついた空気はどこかへ行ってしまった。


「ようやくJJDがやれる……」


「ここまで長かったっすね」


「一発目、ぶち上げていくぞ」


 秀司と今回ドラムを務める四年生の宏樹さんと肩を組んだ。宏樹さんにとってはこれが最後の夏合宿ライブ。気合を入れなければなるまい。まぁ、宏樹さんは今年授業の単位を40も取らなければ卒業できないらしいので、留年の可能性が多いに残されているのだが。就活とか大丈夫だったんだろうか。


「そんじゃ一発目! みんな楽しんでいこう!」


 ボーカル&ギターを務める秀司が、誰が描いたのかわからない巨大な絵が飾られたステージの上で観客を盛り上げる。一年生ながら肝の据わったMCだ。


「覗き魔バンドきた!」


「大浴場で見かけないんだけど、お前らちゃんと風呂入ってんのか~?」


「女子はみんな一枚羽織って!」


 客席から、俺と秀司の初日の悪行がぶり返された。色々あったせいか、たった3日前の出来事がやけに昔に感じる。


「俺は覗いてねぇ!」


 それに対して宏樹さんがブチ切れた。全く持ってその通り。本当に申し訳ない。でもまぁ、盛り上がっているから良しだ。


「チクショウ! お前ら全員踊りやがれ!」


 ヤケクソ気味にイントロのギターを弾き始めた秀司に、俺と宏樹さんが合わせる。メンバー全員がJJDの曲を耳に穴が開くほど聞き込んでいるからこそできる芸当だ。ロックンロールを鳴らすなら、場が荒れているくらいが調度いい。


 少し懐かしくも感じる、ただひたすらに楽しいだけのライブがそこにはあった。cream eyesの活動はもちろん自分が好きでやっていることなのだが、誰を意識することもなく自分の好きな曲を演奏し、ミスっても笑って済ませられるこのサークルライブは、あまりにも無責任で楽しいのだ。


「ああぁあぁぁぁあああああ!!!」


 気が付くと叫んでいた。押し寄せる音の波の中で、誰にも届かない咆哮は自分の腹の中に返ってくる。


 高校生の頃から、何度聞いたかわからない、何度真似したかわからないベースのフレーズ。指板なんか見なくたって弾ける。普段は指弾きピチカートがメインだが、JJDの時だけはゴリゴリにピックで弾き倒していく。

 秀司のギターは荒っぽく、宏樹さんのドラムはつんのめるくらいに前のめりだ。でもそれでいい。ロックンロールとはそういうものだと思うから。


 ただ楽しいだけのライブばかりをしていたら、それにはいずれ飽きが来るということを俺はもう知っている。だけど今は、今だけは、ただただ楽しさだけを追い求めたかった。そのために、このJJDのコピーバンドは最適解だったと思う。


「センキューベイベー」


 曲の終わり、JJDのボーカルを真似てクールぶったダサいキメ台詞を放った秀司に、野次と歓声の混ざった声が送られる。あぁ、本当に楽しい。


 ステージの上から玲の姿が目に入った。笑っていた。踊っていた。それが嬉しかった。


 俺たちはノンストップで4曲を演奏し、ありがとうも言わずに「バイバイ」と一言だけ残してステージを降りた。3人とも汗だくだった。


「お疲れさん」


「マジ最高でした」


「あぁ、来年もやろうぜ」


「え、宏樹さん、留年確定っすか?」


「前期の必修英語、一回も出てねーからな」


「うわぁこの人クズだ!」


 ゲラゲラと大笑いしていると、昨日から溜まっていたストレスが吹っ飛んでいく気がした。サラダボウルという場所が、俺に与えてくれる安心感は思っていたより大きかったみたいだ。

 どうか、玲にとってもそうであって欲しいと願う。あいつにもこの場所で、悪いものを全部吐き出して、また心から笑って、一緒に音楽に、cream eyesに向き合ってもらいたかった。


「それじゃあ、全部吐き出してきますね」


「え?」


 壁にもたれて座っていた俺の前に、ギターを抱えた玲が立っていた。


「朔さん、全部声に出てましたよ」


「マジ?」


「マジです」


「超恥ずかしいんだけど……」


「そうですか? 私は嬉しかったですよ」


 玲はそう言って微笑むと、そのままステージに上がっていった。

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